私が生まれた意味

第13話

『小夜ー!! 小夜ーっっ!!』


 小夜の名前を叫びながら中野の商店街を走る俺を、通りすがりの人々は不審者を見るような目で見ている。

 でも、そんなことはどうだってよかった。アイツが変な気を起こさず、無事でいてくれれば。


 マキさんから語られた真実は想像を絶する内容だった。

 性的暴行を受けた末に身籠みごもったのが自分だと聞かされたら、俺だって気が狂ってしまう。


 しかも小夜は、実母のヨウコと恋人の古谷の話を聞いて、受け入れようとしていたのだ。

 産みの母に育てられることはなく、施設に預けられてしまったけれど。

 その母は男の性処理をすることでお金を稼ぎ、生きてきたのだけれど。

 例え世間的に“普通じゃない”出生だったとしても、実母の人生を辿れば最終的に理解出来ると信じていたのだろう……。












「あれ、1人?」

「俺らと一緒にどっか行く?」


 待ち合わせをした駅の方まで戻って来てみると、駅前広場でうずくまっている小夜を見つけた。同時にちょっかいをかけようとしているチャラい男2人組も。

 小夜は拒否るのかと思いきや、されるがまま2人組に連れていかれそうになっている。これはマズい……!!


『すみません、コイツ妹なんです』


 急いで駆けつけ、連れ去りを阻止しようと咄嗟に嘘をく。2人組はダルそうな表情で舌打ちをして俺たちの前から去っていった。

 こんなこと、前もあったような気がするな……。


「私、亘の妹じゃないし」

『は? 数日前は“お兄ちゃん”って言ってただろーが』

「うるさい……」


 生意気な口は叩くが声は弱々しく、目も泣いて腫れてしまっている小夜。

 こういう時、なんて声をかけてあげるのが最適なのだろうか。


『小夜、戻ろう。理恵もマキさんも心配してる』

「別に心配なんてしなくていいよ……私なんて」

『何言ってんだよ』

「どうせ、誰からも望まれてなかった……事故で生まれたんだよ、私。事故で生まれた子がどうなろうが大したことじゃないでしょ」

『あのなぁ……』

「父親は襲ってきた強姦男の誰かだなんて、そんな子供捨てるに決まってるじゃん!! そもそも私、生まれるべきじゃなかったんだよ……こんな私がこの世にいる意味なんて」

『いい加減にしろよ!!!!』


 思わず大きな声が出てしまった。小夜はびっくりしてこちらを見ている。

 俺は小夜からすればただの他人だ。そんなヤツから説教なんて食らいたくないだろう。でも、言わずにはいられねぇよ。


『お前には今、岡山でお前のことを心配して待っているパパとママがいるんだぞ!? なんでパパとママはお前を施設から引き取ったんだよ、望んでいたからだろ? お前がもし自暴自棄になってどうにかなっちまったら、この2人はどんな気持ちになると思う? それに……この真実に辿り着くまで、どれだけの人がお前のために動いたと思ってるんだよ』


 情報提供をしてくれた現役デリヘル嬢たち、ゴールデン街で世話になった女将さんとマスター、真相を全て話すかどうか悩んだマキさん、そして理恵と俺……。

 多少成り行きもあるが、全員が小夜のために出来る限りの協力をした。みんな東京で出会い、数日前までは見ず知らずの他人だった人ばかりだ。

 それでも……どーでもいい小娘のために、自分の時間を使うもんかよ。


『例え傷付くことになるとしても、何故自分が生まれたのか知りたい。お前は覚悟を持ってここに来たって言ったよな?』

「言ったよ。それで全部わかったじゃん、私がどうやって生まれたのか」

『いーや、全部じゃない。マキさんの話の途中でお前は逃げた』

「あれ以上聞いて何になるん!? 知りとうないこと増えるだけじゃろ!?」

『ここまで色んな人を巻き込みながら突き止めたんだ!! どんな真実だろうと、受け止める覚悟を持てよ。それでもし辛くなるんだったら……俺が力になってやる』

「……なんで、そこまでしてくれるん?」

『そんなの、俺が“お兄ちゃん”だからに決まってんだろ』

「……アホらし」


 そう言って、小夜はようやく笑った。


















 俺は小夜を連れて、パブスナック・舞人まで戻った。

 近くまで行くと、店の外で立って待っている人が見えてきた。それは理恵1人で、マキさんの姿はなかった。


「亘、小夜ちゃん!! 大丈夫だった!?」

『おう。ナンパされかけてたのを俺が阻止した。ほれ、小夜』

「ごめんなさい……理恵さん」

「いいよ、小夜ちゃんが無事で良かった」


 俺みたいに怒ったりしない理恵に、小夜は申し訳なさそうに謝罪する。くそっ、なんなんだよこの態度の差は。

 理恵は俺たちに現在の状況を説明してくれた。


「お店の中が混んできちゃって、流石に出なきゃいけない雰囲気だったんだよね」

『そっか……むしろ金曜の夜にここまで付き合ってくれたマキさんは神対応だよな』

「うん、本当にそう。あとね……2人が外に出てる間、私に話全部聞かせてくれたよ」

『マジか』


 理恵が、マキさんから聞いてくれた話の続きを俺たちにも伝えてくれた。


 妊娠が理由でショーパブを辞めることになったヨウコは、地元の岡山県・倉敷市に帰ることとなった。

 ヨウコは自分の母親がいる実家に戻る。詳しい事情を話しはしなかったが、ヨウコの母親は“ろくでもない生き方してるからそんなことになるんだよ”と冷たく言い放ったのだそうだ。そして出産はせずに中絶した方がいい、とも。


 親からの愛情を受けた覚えがないヨウコは、この母親の発言に激しい憤りを感じる。

 確かに自分の家は母子家庭で、貧困に苦しんでいただろう。でも、同じような母子家庭の同級生で親子関係が良好そうな子は普通にいたし、ヨウコはそれが羨ましかった。

 母は自分を産んだことを後悔していたのか? 自分は居ない方が良かったのか? だから娘が非行に走ろうが放置し続けたし、家出してAV女優になったら恥ずかしい思いをさせるなと言って来たのか…? もしそうなら、自分はこんな母親のようにはなりたくない。


 お腹の中に宿った命に罪はない。

 自分は親に愛されなかったが、これだけどうしようもなく、ボロボロになってでも生きている。

 自分と同じように、この命には生きる権利があるのだ。自分が勝手に奪っていいものではない。

 ヨウコは母親の意見を無視し、出産を決意する。これが、彼女にとって最後の親への反抗であった。


「そうして小夜ちゃんを産んだの。小夜っていう名前をつけたのもヨウコさんらしいよ。産まれた時間が夜で、小さな星が1つだけ輝いて見えたからだって。無事出産はしたけど、やっぱり心の傷が深くて……小夜ちゃんを育てるのは自分には難しいってヨウコさんは判断した。小夜ちゃんが幸せに生きていけるように、彼女はえて施設に預けることを選んだんだよ」

「そうだったんだ……」


 小夜は目をうるませ、天をあおいだ。東京の夜空では中々星は見えないが、倉敷では見えたのかもな。

 名前はヨウコから貰った最初で最後のプレゼントで、施設に預けることが当時の彼女が出来る最大限の愛情表現だったのだろう。

 ところで……俺にはここで1つ、疑問が生じたのだが。


『この話を、マキさんはなんで知ってたんだよ』

「ヨウコさんは小夜ちゃんを施設に預けた後、東京に戻って来たんだよ。そしてマキさんの元を訪ねて来たの。舞人で働いてたこともあったみたい」

『何のために?』

「古谷さんを待つために……だよ」


 古谷との再会を信じて再び東京に戻ってきたヨウコは、しばらくは舞人でホステスとして働いていた。

 だが接客中に男性から軽くさわれられたりするだけで、暴行されたことを思い出しては取り乱す、ということがあったようだ。

 マキさんは気にしなくていい、客の方が悪いんだと励ましたが、そんな心遣いにヨウコは罪悪感を覚えるようになっていた。

 やがて店を休みがちになり、最終的には姿を消して連絡も取れなくなってしまったのだと、マキさんは語った。


『なるほど……マキさんがわかることもここまで、って感じだな』

「うん……。あ、マキさんから2枚写真を預かってる。小夜ちゃんが欲しいならあげても大丈夫って言ってたよ。1枚はショーパブのオープン前夜リハーサル後に撮った集合写真、もう1枚は舞人で働いてた時の写真だって」


 小夜が理恵からその写真を受け取り、俺も横から覗き見た。

 今まではAV女優・美月ウララの商品パッケージ画像でしか顔を見ていなかったのだが、手にしている写真の中にいたヨウコはまるで別人のように思えた。

 リハーサル後の写真では華やかな衣装を着て、自信に満ち溢れた表情をしている。

 舞人での写真の方は、落ち着きのある穏やかな笑顔を浮かべていた。

 目鼻立ちはくっきりしていて、おそらく誰が見ても美人と言うだろう。そしてどことなく、小夜とも似ていた……。


「……あ、1個思い出した!!」

『え、何が?』


 じっくり写真を見ていたら、急に理恵が大きな声を上げたので咄嗟に反応する。


「なんかね、舞人にすっごい偏屈そうなジジイの客がいたの。そのジジイ、俺は昔からの常連だって偉そうに喋ってる人で、マキさんも面倒臭い爺さんだってあんまり相手にしてなかったんだけどね」

『そのジジイの話がなんか関係あんの?』

「こっちの、舞人の方の写真を急に覗き込んできて、“あー、ホームレス女か”って言ったの。マキさんがあっち行ってってジジイを追い払った後に“あのお客さんはヨウコのことをいつもあんな呼び方するの。本当にムカつく”って怒ってた。ヨウコさんは東京に戻って来てから姿を消すまでマキさんの家に居候してたみたいだから、それであんなこと言うんだろうなって」

『ホームレス……』


 ふと、俺の中で1つの仮説が生まれた。

 マキさんの言うように、居候していることを悪意を持ってそう表現しているのかもしれない。だが、もし本当にそのままの意味なんだとしたら……?


『……ちょっと確かめてくる』

「え、ちょっと亘!?」


 俺は理恵をすり抜け、再び舞人の店内に入った。

 ホステスさんたちが反射的に発した“いらっしゃいませ”を無視し、そのジジイを探した。

 マキさんが俺の姿に気付き、駆け寄ってくる。


「亘くん、戻ってきたの? あ、小夜ちゃんは大丈夫だった?」

『マキさん、“ホームレス女”って言ったお客さんは誰ですか?』

「ああ……気にしないで。アイツ本当に失礼なジジイなのよ」

『いえ、不快に思ったとかじゃなく。聞きたいことがあるんですよ』


 マキさんは不思議そうな顔をして、そのジジイが誰なのかを教えてくれた。

 ジジイはカウンターの一番端っこの席で1人、ホステスさんたちに悪態をきながら飲んでいた。


『すみません、ちょっといいですか?』

「ああ? なんだ、坊主」

『この女性の写真を見て、“ホームレス女”と言ったのは何故ですか?』


 舞人で撮られたヨウコさんの写真を突きつけ、俺はジジイに問いかけた。

 ジジイは飲みすぎて呂律の回らない状態だったが、問いかけには答えてくれる。


「なんでって、ホームレスだからだよ」

『もっと具体的に、教えてください』

「ああ!? めんどくせぇなぁ……昔この店に何年か、いたろ? 名前は覚えてねーけど顔は良かった女だ。こいつとよーく似た別嬪べっぴんのねーちゃんが新宿駅西口でホームレスしてんの見たことあんだよ」


 マキさんはジジイに適当なこと言うなと怒り、ジジイはそれに対して適当じゃねぇと言い返し、口喧嘩を始めてしまっていた。

 俺はその喧嘩を無視して、じっと写真を見つめる。

 そして、自分の中のわずかな記憶を呼び起こす……。



 捜索活動1日目の朝。

 街宣車の演説、熱心に支援する聴衆、演説場所の近くに居場所を構えるホームレスたち、初老の男性に混じっていた女性のホームレス……。


 あの日だけじゃない、夜勤明けに西口エリアから駅まで歩いてる間によく見かけていた。

 たまに視界に入ってきたあの女性ホームレス、そしてこの写真のヨウコ。

 俺の頭の中で、2つの顔が完全に重なった。




『……あの人だ!!』

「亘くん!?」


 マキさん、今日はお店を騒がせてごめんなさい。

 必ず、後で舞人にもお礼にうかがいます。

 とりあえず今は……早く小夜と理恵を連れて、中央線に乗らなきゃなんねぇんだ…!!!!

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