劣等感

第9話

〜side B〜


8月n+4日


「……はい、じゃあ練習はそこまで。発表していきましょう」


 男性講師の声掛けに、俺を含めた受講生全員が読み合わせを止め、講師の長机側に寄って体育座りで待機し始めた。

 これから講師に呼ばれた人が、順に皆の前に出てきて、テキストに書かれた短い台詞のやり取りを2人1組で披露し合うのだ。


 真島さんの尾行調査1回目が無事終わり、軽くファミレスで朝飯を食いながら感想を言い合い、すぐに帰宅した。

 帰宅後は仮眠を摂り、2〜3時間で起き、夕方から養成所のレッスンに参加をし始めて、今に至る。

 いつもより睡眠時間が短い分、声が出ていないような気がするが、それでもこの課題は自信がある。キャラクターの研究を念入りにしたから、似合う声色で台詞を発することが出来るはずだ。


「君は演技以前に声が出てないよ。悲しみや怒りの表現だって、もっと表に出していかないと。あと滑舌も練習して」

「はい……」


 別の受講生が講師から厳しい批評を受けているのを目の当たりにして、思わず身震いしてしまう。

 この養成所は入って1年目はランダムに分けられたクラスなのだが、2年目以降は実力別のクラスになるというシステムだ。来年優秀なクラスに選抜されるためにはレッスンで爪痕を残し、講師側に好印象を植え付けなければならない。ここで優秀と判断されなければプロの声優なんて夢のまた夢だろう。なんとしても、お褒めの言葉を頂かないと……。


「じゃあ次、青年役の方は川上くん」

『はいっ!』


 俺の名前が呼ばれた。よし、良いところを見せなくては。

 テキスト課題はファンタジーアニメの青年役と娘役のやり取りを想定されたものだ。

 相手役の女の子は普段あまり目立たない子で、実力的にもどちらかというと未熟な印象だ。掛け合いが上手くいくのかが不安だが、なんとかやり切らなくては。



『カレン……カレンじゃないか!』

「あなたはもしかして……エリオットなの?」

『久しぶりだなぁ、シュヴァルツ城で会って以来だろう?』


 出だしはまずまず、だよな? 勇敢な剣士の青年役にハマっているはず……。この時、講師が俺に視線を集中させていることに気付いていた。

 よーし。ラストの盛り上がり、ガンガンアピってやる!!


『私は父上に誓ったのだ。必ずや邪悪の根源、魔王・ルシファーをこの手で闇に葬ると……!!』

「エリオット……無茶はしないで。もし貴方が死んでしまったら……」

『私は、シュヴァルツ王国を守るためにこの身体を捧げる!! 父上がそうだったように。シュヴァルツ王国が未来永劫この一繫ぎの平原を統治し続けるには、ルシファー討伐は不可欠なんだ。そのためならこの命、燃え尽きても構わない!!』


 台詞の最後を言い切った後、聞いていた他の受講生から拍手が起こった。仲間たちの反応は良いけど、肝心の講師はどうだ?

 講師は俺とテキストを交互に見ながら、少しの間腕を組んで考え込んでいた。この時間が一番緊張する……。

 やがて、講師が重い口を開いた。


「川上……潤くん、だったかな?」

『は、はい!!』


 俺の名前を確認している……ということは、見込みのある受講生として覚えておこう! っていう解釈でOK?

 俺はワクワクしながら、その後の言葉を待っていた。


「凄く読み込んだんだね。台詞回しもよどみないし、キャラクターの個性が出せるように声色を研究したのも見て取れる」

『ありがとうございます!!』

「でも、1人でやってしまっているんだよね」

『え?』

「これは青年役と娘役の、会話のシーンなんだ。魔王打倒に燃える剣士と、それを心配する幼馴染の王女のやり取りなんだけど、君のさっきのお芝居は王女役の子の台詞を全然聞いていないように思えたんだよね。アニメのアフレコではなく、1人でやっている朗読劇のようだった」


 講師の鋭い指摘に、俺は言葉を失ってしまった。確かに張り切るあまり、自分の良いところを魅せなくてはという気持ちが勝ちすぎてしまっていたのかもしれない。

 でも、正直相手役の女の子があまり上手くない子だったことも影響しているんじゃないのか? 所々詰まってしまっていたし……。むしろ、なんとか釣られずに頑張った方だと思う。

 俺が納得していないというのを察したのか、講師がある提案をしてきた。


「試しに娘役は田口たぐちさんのままで、青年役を川上くんから佐伯さえきくんにチェンジして同じところをやってみてくれないかな?」


 はい、と元気な声で佐伯くんと呼ばれる受講生が前に出てきたので、俺は渋々観覧側の方に戻った。

 佐伯くんはこの講師に気に入られている優秀な受講生だ。確か特待生枠でこの養成所に入ったと聞いたことがあるし、まだ受講生なのに特別に収録現場を経験したこともあるらしい。


 講師の合図によって、先ほど俺と読み合わせをした田口さんと、佐伯くんによる実演が始まった。

 彼女自身がそうだいうこともあるのだが、田口さんが演じる娘役は大人しくて控えめな雰囲気の役作りだ。佐伯くんは、そんな田口さんの演技プランに合わせて会話しているように思えた。幼馴染という設定だから、あまりにもテンションの差があると不自然だと考えたのだろう。そして、心なしか田口さんは俺と読み合わせをしていた時より身体が強張っていないようにも見える。これが一緒にやりやすい相手……ということなのだろうか。悔しいけど、佐伯くんは俺より遥かに上手い。

 読み合わせが終わった後、俺の時よりもさらに大きな拍手が巻き起こった。


「佐伯くん田口さん、ありがとう。……な。こういうことなんだよ、わかったかな川上くん」

『はい……』

「自分の演技プランも大事だけど、お芝居は相手役がいるんだ。映像でも舞台でも、君達が学んでいるアニメや映画のアフレコも一緒だ。相手と共鳴するっていう意識をもっと持ってくれ。まぁ、努力は認めるけどね」



 こうして、今日のレッスンは俺の自尊心をボキボキにへし折られるという形で終了した。

 養成所から出て1人駅へ向かっている間、ついつい今日のことを思い出してネガティブな感情に浸ってしまう。

 講師は物凄く柔らかく表現していたが、要するに言いたいことはこうだ。


“お前みたいに、ちょっと声に自身があるからって声優を目指す奴は世の中には山ほどいる。その中でも本当に芝居が出来ているのはほんの一握りだ、佐伯くんのように”


 普段コールセンターの職場で真島さんのことを“仕事が出来ない可哀想なオッサン”と散々陰で弄ってきたが、場所が違えば自分も“出来ない者”として人から弄られる側になりえるのかもしれない。真島さんのような扱いを受けるなんて、考えただけでも屈辱的だ。

 実際レッスンが終わった後、今日の感想で盛り上がって喋っている受講生たちも、俺のことは触れてはいけないことのようにスルーしていた。

 俺は普段から自信を持ってレッスンに参加している空気感を出していた自覚があるから、声優志望として致命的なことを言われて気の毒……なんて思われているのだろう。

 くそっ、こんなところで馬鹿にされて落ち込んでるようじゃ、プロの声優になんてなれるわけないのに……思った以上にダメージがデカいな。


 そんな時、俺のスマホが震えた。振動が長いので誰かからの着信だと思い、急いで確認する。相手は武士だった。


『もしもし?』

「よう。今ってちょうどレッスン終わったとこ?」

『当たり。駅まで歩いてる』

「養成所って代々木だったよな。じゃあ新宿まですぐ出てこれるだろ? 一緒に飯食おうよ」


 今朝夜勤明け、尾行捜査して朝飯一緒に食ったじゃん。俺らどれだけ一緒に行動するんだよ、カップルか。

 まぁでも今日みたいに落ち込んでる時は、武士と馬鹿話したほうが気が紛れていいかもな。


『別にいいよ。新宿の何口方面?』

「なんか……潤、元気なくね?」

『え? まぁ……』

「……よし。じゃあファミレスじゃなくて飲むか。俺オススメの店知ってるし!」





















「うぃー、お疲れ〜」

『お疲れ』


 武士の1杯目はビール、ビールが苦手な俺はゆずレモンサワーで乾杯した。

 武士のオススメという、レモンサワー専門店に入った。レモンサワーだけで物凄い種類があるので、飲み比べをしてるうちにベロベロになりそうだ。

 適当に食べ物を注文し、待っている間に武士が俺を誘った理由について話し始めた。


「今朝の尾行調査の成果をさ、俺なりにまとめて資料作ってみたわけよ」


 そう言って武士は俺にA4コピー用紙の冊子を渡してきた。なんか、めちゃくちゃプレゼン資料みたいな感じがする。

 改めて今朝の調査結果を整理すると、マル対=真島さんはうちの夜勤が終わった後一服し、その足で新宿西口エリアから新宿三丁目エリアまで徒歩で移動。開店したばかりの大型画材店に立ち寄る。購入品は2階でカラースプレー、アクリルガッシュ、カラーサンド。3階でアクリル絵具を数種類。

 普段聞きなれない商品を後で武士が調べたようだ。アクリルガッシュとはアクリル絵具の一種なのだが、こちらは不透明で艶のない表面を表現するのに使う画材らしい。ポスターなどで、均一にベタ塗りするのに適している商品だ。カラーサンドはゼオライトという鉱物や、ガラス・小石などを細かく砕いて色付けをしたもので、こちらは建築模型で地面を表現するのにも使えるし、最近はお洒落な観葉植物を作るサンドアート用としても重宝されている、とのことだ。

 これらの画材を購入し、画材屋の向かいにある喫茶店に入ったところで1回目の調査は終了している。

 マル対が何らかのアート作品を制作しているのは確実で、購入した画材の特徴から制作しているのは絵画などの平面アートではなく、立体アートであると予想出来る。


『……すげー。よくまとめたなぁ』

「俺、これまとめながら思ったんだけどさ……これ、調査結果を動画にして投稿したらバズるんじゃね? “バイト先の謎めいた中年を尾行してみた結果……”みたいなタイトルで」

『動画!?』

「おう。身近にあるミステリー的な動画って、結構人気で視聴回数伸びるんだぞ?」


 確かに昔から不可解な事件の真相や都市伝説みたいなジャンルは一定数ファンがついている印象がある。

 人気動画になる要素は十分あるけど、同時にかなりのリスクもともなうと俺は思う。一度投稿すれば不特定多数に視聴されるのだから、当の本人が動画を見てしまう可能性もあるわけで。内容を見て自分のことだと気づいてしまった……ということもあり得るのだ。

 俺はその危険性について言及しようとしたが、武士は話を続けた。


「俺今までは投稿する動画、全部音声ソフト使ってたんだけどさ。これをもし動画にするなら、原稿は潤に読んで欲しいって思ってんだよね」

『俺が?』

「電話応対してるとこしか知らねーけど、良く通るしいい声だと思うんだよな。お前ナレーション絶対上手いだろ?」


 そう言われて思い出した。今日のレッスンでは全然芝居が出来ていないと酷評されたが、別のレッスンの時……ナレーション講座の時はそれなりに評価されてたっけ。

 つーか普段から何気なく、俺のこと見ててくれてたんだな。

 武士の言葉を聞き、小一時間前までドン底にいたのが嘘みたいに気分が晴れていくのを感じた。


『武士、ありがとう』

「へ? 何が?」

『俺さ、今日のレッスンで講師の先生にボッコボコに批判されてクソ落ち込んでたんだよな。自信無くしてたんだけど、武士が俺のこと褒めてくれたから』

「ふーん。……潤ってさ、結構繊細だよな」

『はぁ?』


 くだらないことで落ち込んでるなぁと言われたような気がして俺はムッとしたが、武士は気にせずつまみの唐揚げを食いながら続けた。


「俺もさ、動画投稿始めたばっかの時は全然視聴回数伸びなくて。とりあえず視聴回数上げるために人気動画の真似したりしたわけよ。それで“しょーもない企画”だの“パクリ動画”だの、アンチコメント付きまくったんだよ。まぁでも、俺は神経図太いから気にせずずっと続けてて。そしたらそのうちコツ掴んできて、今はなんとか収益ラインまで来れたって感じ」

『羨ましいな、成功体験持ってて。俺ももっと図太くなれ、ってか?』

「それもあるっちゃーあるけど。続けてればさ、またその先生見返せるタイミングあるんじゃね? 今年の春に東京来て始めたばっかなんだったら、これからじゃん」




 ジーンと胸が熱くなった。こいつとはたまたま職場で知り合って、普段は一緒にふざけてばっかだけど……俺は本当にいい友達を持ったと思う。


 俺は動画のナレーション出演を了承し、それからは次の尾行調査と動画制作の日程を話し合った。

 次の調査日は俺と武士、マル対の出勤が被る土曜の夜勤明け、つまり日曜の朝だ。それまでに早速武士は今日の捜査分の動画を作るのに取り掛かるようで、原稿が出来次第俺にも声をかけてくれるとのことだ。

 そんな話をしつつ、雑談もしつつの楽しい時間を過ごした。2人で一体何種類のレモンサワーを頼んだのか、全く覚えていない。


 次の日の朝。起きて早々俺を襲った頭痛によって、帰りに道端でゲロったことを思い出したのだった。

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