身辺調査その1

第7話

〜side B〜


8月n+4日


 武士と約束をした水曜日。正確に言うと、水曜の夜に出勤してきて日付が変わったので今は木曜日なのだが。

 どうやら前回ファミレスで話した真島さんの調査は、夜勤明けの悪ノリではなくガチで決行されるようだ。

 現在時刻は午前6時50分。9時までの勤務だからあと2時間ちょっとというところ。今ぐらいが一番疲れを感じてくるんだよな。

 欠伸あくびをする俺に、武士が少し離れた席から「後でよろしくな」と言いたげな表情でアイコンタクトを取ってくる。

 めちゃくちゃやる気満々じゃんか。武士にとっては退勤後からが本格的な活動時間という感じなのだろう、今日は見てる限り、かなりの省エネモードで働いているように思った。

 畜生ちくしょう、俺だって体力温存しておきたいところだよ。でも今日に限って入電が多い気がする……。


「お電話ありがとうございます。×××フィナンシャルサービス、担当真島でございます。……はい、はい、あのそれは………少々お待ちください! ……すみませんどなたかお願いします!」


 手を上げテンパりながら助けを求める真島さんと、そこへ駆けつける亘さん。

 まただよ。強い口調の人から掛かってきたらすぐこうなっちゃうんだよなー、真島さんは。


「真島さん、どうしましたか?」

「あの、無くしてたカードが戻ってきたというお客様なんですけど、使えなくなってる、今すぐ使えるようにしてくれと怒ってらっしゃるんです!」

「本人確認はしましたか?」

「あ、いえ、まだ……」

「どんなにお怒りでも、先に本人確認してください。実はなりすましでカードを悪用されるっていう可能性もあるんですから。これ基本中の基本中ですよ」

「ああ、はいすみません……お、お客様お待たせしました! まずですね、本人確認を取らせて……」



 その後、そのお客様の対応が終わるまで亘さんは真島さんに付きっきりだった。

 研修の初歩で教わることだし、落ち着いていれば絶対出来るはずなのにな。絶対この仕事向いてないだろ……。

 と、油断していたら今度は自分に入電あり。すかさず応対する。


『お電話ありがとうございます。×××フィナンシャルサービス、担当川上かわかみです』























『はー、やっと終わった……なんかすげー疲れたわ』

「本当それ、クソしんどかった」

『嘘つけよ、武士程よくサボってただろーが』

「やべ、バレてる」


 午前9時、無事定時で退勤となった。いつもの様に武士と一緒に休憩室を出て喫煙所に向かう。いつも通りならばその後ファミレス直行なのだが、今日はお預けだ。


『すげー腹減ってるんですけど』

「今日はちょっと我慢しようぜ。絶対この後ここに来るはずだから、マル対」

『まる……? 何それ』

「調査対象者ことだよ。探偵業界の隠語で」


 早速形から入るってか? とても20歳超えた大人だとは思えないぞ。

 というか、真島さんだって毎回必ずこの喫煙所に来てるかどうかもわからないんだし……。尾行捜査やるぞって言っておきながら作戦適当すぎないか?

 煙をくゆらせながら、俺は心のどこかでそんなに面白く話が転がっていくわけがないと思っていた。

 だが次の瞬間、俺は武士の勘の鋭さに脱帽することとなる。



『あ、お疲れっす……』

「お疲れ様です」


 喫煙所にやってきたのだ。真島さんが。

 真島さんは前に見た時と同じ……中年男性が吸う銘柄でお馴染みの煙草を、取り出し火を付ける。以前と同じ様に誰も言葉を発することはなく、煙をく音だけが喫煙所に響き渡る。なんとなくなのだが、真島さんが煙草の煙を吐く度に魂が抜けていっている様に見える。覇気がないというか、真島さんからは生命力を感じられない。

 それが近くにいるととてつもなく不気味で、なるべく同じ場所にいたくないという気持ちになる。長く一緒にいると自分の命も吸われるんじゃないかと心配になってくるのだ。

 武士は感じないのだろうか? この感覚は、俺だけなのか??


 俺たちの方がこの喫煙所には先に来ていたが、この後真島さんを尾行しようとしているため先にここを出るわけにはいかない。1本目を吸い終わったので仕方なく2本目を取り出し火を付けると、その数秒後に1本吸い終わった真島さんは軽く会釈して喫煙所を出て行った。それを見送ると、いざ行動開始だ。


「……よし、行くぞ潤」

『2本目勿体無いな……』












 真島さんと一定の距離を保ちながら後をつける俺と武士。真島さんは俺たちの職場がある西新宿から、新宿三丁目の方へ歩いている。

 俺は十分な距離を取りつつ真島さんの後ろをついていき、武士は車道を挟んで反対側から様子をうかがっている。何か伝えることがある場合はメッセージアプリをかいしてすると打ち合わせ済みだ。


“出来ればもうちょっと距離を取ってくれ”


 武士からのメッセージを受信した。結構ガッツリ空けてると思うんだけどなー。

 俺が首を傾げる素振りが見えたのか、今度は音声着信が入ってきた。とりあえず応答してみる。


『はい、もしもし?』

「こちら、武士。潤ちょっといいか?」

『何? 距離取ればいいんだろ?』

「ああ。万が一立ち止まって引き返した場合、その距離だとマル対に尾行がバレる。俺らはプロの探偵と違ってマル対と顔見知りだからな。通常よりリスクが高い分、慎重にいこう」


 いや、おい今後その口調でいくつもり?? 厨二病かよ……。

 まぁ、でも武士が言ってることはもっともだ。バレたら即終了なだけでなく今後職場で警戒されるかもしれないしな。ややこしいことになるのはこちらも御免ごめんだ。


 武士の助言通り、俺は歩くスピードを遅くして目一杯距離を取った。例え俺が見失いそうになったとしても反対側にいる武士がカバー出来るから、とのことだ。


 それにしても、同じ新宿エリアだとしても新宿三丁目まで向かっているのは何故なのだろう。

 地下鉄だと1~2駅ぐらいの距離を歩いていることになる。

 真島さんにとって明確な目的がある場所なのだろうか?


 地下鉄の新宿三丁目駅周辺までやってきた。

 それまでは家電量販店や百貨店、高級ブランド店の横を通過しながら、ひたすら新宿通りを真っ直ぐ歩いていたのだが、ここに来て急に立ち止まってしまった。

 信号待ちをしていて、どうやら武士がいる方へ渡ろうとしているようだ。武士がピンチなんじゃ? と一瞬ドキッとしたが、武士はというと上手い具合に地図アプリを確認するために立ち止まっている風を装って切り抜けていた。

 信号を渡った先には映画館が入っているビルがあるので、朝イチ上映でも観るのだろうかと予想したのだがそうではないらしい。映画館のビルには入らず、その隣にある文房具や画材の大型販売店に入っていった。ちなみに開店したばかりっぽい。俺は画材屋の入口で武士と合流した。


『え、朝イチでここ?』

「とりあえず入ろう。確か何階もフロアあるところだから」



 自動ドアを潜り店内に入ると、開店したばかりだからか店員達から元気に「いらっしゃいませ!」と出迎えられた。あんまり大きな声出されると気付かれる恐れがあるのでヒヤヒヤしてしまう。

 1階は文房具・事務用品フロアのようだ。俺はなんとなく商品を探す風で1階を見回した。ここには真島さんの姿はない。

 俺がそうしている間に、武士はエスカレーター付近にあるフロアガイドをチェックしていた。


「潤、いるとしたら多分2階か3階だと思う」


 武士がそう言ってエスカレーターに乗り込んだので、俺も後に続く。俺も一瞬だけフロアガイドを確認したが、確か2階がデザイン用品で3階が絵具などの画材の売り場と書かれていた。文房具のコーナーに立ち寄らなかったということはアート系で使うものを求めているのだろう。これぐらいは俺でも推理出来るぞ。

 2階フロアに到着し、1階と同じ様に見て回ろうとすると、武士に腕を掴まれた。


「慎重に動けよ。見つかるぞ」

『わかってるって』

「商品棚の角とか、死角を上手いこと利用するようにな」

『へいへい』


 二手に分かれ、2階フロアを探索し始める。調査のために立ち寄っただけなのに、店内を歩いているうちに自然と陳列されている商品に興味が湧いてきた。

 俺の目に止まったのは漫画を描くのに使う道具類だ。つけペンのペン先やスクリーントーン、デッサン人形などが沢山並んでいるのを見ていると、ついつい欲しいと思ってしまう。全く絵心のない俺でもワクワクするような、ここはそんな空間なのだ。

 商品の1つを手に取ろうとした時、スマホが振動して俺宛にメッセージが届いたことを知らせた。画面を確認すると案の定相手は武士だ。


“マル対発見”

“潤のいる棚の反対側”


 マジか……。自分がいる場所から棚を隔てて向こうに尾行対象がいると思うと、急激に緊張してくる。

 武士に言われた通り、商品棚の角に身を隠しながらその場に“マル対”がいるかを確認してみる……。


 ……いた。何やら真剣に商品を選んでいるようで、俺たちの尾行には気付いていない。

 何を買おうとしているのだろうか。先程漫画用品を見たばかりなので、もしかしたら漫画家志望のオジサンなのかもなーなど想像したのだが、そうではないらしい。

 対象はいくつかの商品を手に取ると、別の場所へ移動しようと動き始めたので、俺はすぐさま死角に入り込んだ。

 俺が近づけないぶん、武士が一定の距離を保ちながら対象の後を尾け、2人ともエスカレーターで上のフロアへ行ってしまった。

 俺も後を追わないといけないけど、その前に何の商品を手に取ったのか確認したくて、さっきまで対象がいたコーナーに立ち寄る。

 彼が手に取ったものはカラースプレーとアクリルガッシュ? という商品のようだ。カラースプレーって、よく街中の壁やシャッターの落書きで使われてるやつ? それ以外の用途が思いつかない。取り敢えず記録としてスマホのカメラで商品棚を撮っておいた。


“まだ2階?”


 武士からのメッセージだ。わかってるって、俺も早く行きゃいいんだろ?


““もう上がる””

“いや、そのままそこにいて欲しい”


 現在対象も武士も3階にいるらしいが、武士曰くずっと同じコーナーにいて動かないから2人で張り付いていても仕様が無いとのことだ。そして武士は、3階より上のフロアには行かないのではないかと予想している。俺も改めてフロアガイドを確認してみると、どうやら4階より上は絵画を飾るのに使う額縁や、プロが描いた絵画作品の販売フロアらしい。画材を見ているということは鑑賞者ではなく創作者だろうから、確かに4階より上には行かないだろうという予想は的を得ている。

 ということは、3階で目当ての物を購入した後はエスカレーターを使って下に降りてくることになる。なるほど、帰路は俺がメインで尾行しろってことだな。






“レジで会計してる”

“下に降りた!”


 やがて武士のメッセージを確認して間も無く、俺の目にも対象の姿が確認出来た。2階に到着し、そのまま1階へ向かうかと思いきや、まだ2階フロアにとどまっている。

 しかもくだりエスカレーターのすぐそばのコーナーに、だ。再び訪れた緊迫感に俺はどこか興奮を覚えていた。


““また2階で何か探してる””


 武士が鉢合わせないようにメッセージを送りつつ、対象が何を物色しているのかも探りを入れる。

 1人で待機している間にざっとこのフロアを見て回ったので、なんとなくどこに何があるかはわかっている。あそこは確か建築模型の材料があった。

 そして対象が手に取った商品を目視する。あれは……粉か? そういえば土を表現するための材料があった気がする。多分それだ。

 対象はそのまま2階のレジに向かって行き、会計をしている間に俺は武士に状況報告をした。


““2階でまた何か買ってる””

““今会計中””


 会計が終わった対象者は今度こそここを出るのだろう、降りエスカレーターに乗り込み1階へ向かっていく。俺もその後を追う。

 買い物袋を持ち画材屋を後にした対象は信号を渡り、再び新宿三丁目駅側に歩いていく。そして、とあるビルの入口に吸い込まれていった。

 距離を取りまくっていた俺と少し遅れて来た武士は焦って、駆け足でそのビルまで向かう。1階にはエレベーターしかなく、各階ごとに店が入っているようだ。


「何階だ?」

『あ、2階で止まってる』


 俺が確認した限り、対象がこのビルの中に入った後に別の人物が来た形跡はなかった。ということは対象が2階で降りてそのまま、ということだ。まぁ、予めビルの中にいた人物が階移動をしているというパターンもあるけど。それよりは前者である可能性の方が高いだろう。

 各階の案内を見ると、2階には喫茶店があるらしい。“喫煙目的店”という魅力的なワードが書かれている。腹も減っているし、尾行しつつ喫茶店のモーニングにもありつけたら文句なしだ。

 俺たちはとりあえずエレベーターに乗り込み、2階に向かうことにした。



 エレベーターが2階に到着し、扉が開くともう喫茶店の中にいる、というような構造だった。降りてすぐのところに小さなテーブルがあり、そこに店の名刺が置かれている。

 武士が名刺を1枚取り、レジカウンターの方へ進んでいく。入口付近に本が沢山並んでいたり、店内装飾が落ち着いた色合いだったりして、どことなくレトロな雰囲気の喫茶店だ。

 ふと見ると、奥の方で対象がウェイターに注文をしている姿を確認。だがこの喫茶店、かなり開放的な作りになっていて、客席の間に柱や壁などがあまりないのだ。お昼時とは違って今は客入りもまばらなため、これは下手したら対象に気付かれそうだと感じた。武士も俺と同じ考えだと察し、今日はここまでだなと目配せした。


「2名様ですか?」


 ウェイトレスに声を掛けられ、咄嗟に俺たちは乗ってきたエレベーターの近くまで逃げた。いぶかしげなウェイトレスにまた来ます、と適当な言い訳をして店の名刺を持ち帰りつつ、本日の調査活動はお開きとなった。

 エレベーターで1階まで戻ってきた所でようやく緊張の糸が切れ、2人とも興奮気味に口を開いた。


「すげーじゃん、俺ら! めちゃくちゃ上手いこと動けたっぽくね?」

『思ってたよりな! マジの探偵みたいだった』

「本当は電車乗って帰るとこまで続けたかったけど……あの喫茶店は難しいわ。でもあそこ、マル対の行きつけくせえな」

『だろうな。今度どんな店か尾行じゃなく別で行ってみてもいいじゃん』


 ふと武士を見ると、満足そうにニヤニヤしている。何だよ、気持ち悪いな。

 俺の考えていることがわかったのか、その表情をしている理由を説明してくる。


「潤クン、最初は乗り気じゃなかったのに、やってみると意外にもハマってんじゃん」

『はぁ? うるせぇよ、武士のテンションに付き合ってやってるだけだし』

「素直じゃねぇなぁ? 十分探偵2号の役割果たしてたぞ」

『え、1号はお前?』

「当たり前じゃん」


 そんな馬鹿話をしながら、俺らも遅めの朝飯を食うべくいつものファミレスを目指して歩いて行った。

 確かに……対象、真島さんの調査活動を楽しんでいる自分がいた。

 決して本人には知られてはいけないスリル、いけないことをしているのではないかという背徳感。

 実はのめり込んでいるということを認めたくなくて、俺は武士に塩対応を貫いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る