退勤間近の風景から

第3話

〜side B〜


8月n日



『亘さーん、すんません聞いてもいいですか?』


 クレーム対応がようやく終わって頭が回らなくなっていた俺は、すぐさま亘さんを呼んだ。

 呼んだ直後、亘さんも自分の電話応対が終わったばかりで入力作業をしているところだと気づいたが、面倒見のいい彼はすぐに俺のところに来てくれる。


「おお、何?」

『なんかー、よくわかんないクレームだけ言われた感じなんですけど、これって応対結果何選べば良いんですっけ?』

「基本“完了”でいいよ。こっちから折り返す必要がなければ」

『あざす』

「人に聞く前に業務マニュアルで確認する癖づけ、したほうがいいよ」

『了解っす』


 また注意されちった。

 亘さんからはよく“もうちょっと丁寧に仕事しよう”と言われる。トークスキルはあるんだから勿体無い、とも。

 わかっちゃいるんですけどねー、正直人に聞く方が早いんだよな。

 自席のデスクパソコンに表示されている現在時刻を見ると、午前8時50分となっている。定時で上がるためにはこれから急いで入力作業を済ませないといけない。

 定時死守のために俺は必死だった。


「潤、上がれそ?」

『うん、頑張れば』

「無理だったら休憩室で待ってっから。今日ってレッスンの日?」

『あるけど、夕方から』

「んじゃサクッとだな」


 話しかけてきたのは同僚の武士たけしで、歳は俺より2つ上だが、この職場で一番気の合うヤツだ。

 俺と武士はシフトがかぶった時は決まって、仕事終わりでファミレスに立ち寄っている。俺らにとって一種のルーティーンみたいなもんだ。

 俺は声優を目指して養成所に通っていて、武士はゲーム実況やまとめ動画の投稿などをする動画配信者の顔を持っている。

 コールセンターの夜勤を通じて知り合ったが、2人ともアニメやゲームが好きで話が合うし、生活のためにここで働きつつも他に目的がある者同士、良い友達関係を築けている。この春に上京してきたばかりでまだまだ友人は少ないのだが、養成所の仲間より一緒にいて楽しいと感じる程だ。


『急がねーと……えっと、応対結果は“完了”、住所変更手続きに関する問い合わせで……』


ブツブツ独り言を唱えながら応対メモの入力をしていると近くで大きな声が響いた。声の方に顔を向けると、1ヶ月前に新しく入ってきたオッサンが管理職の人に怒られているところだった。


「真島さん! この間違え、前もやりましたよね?」

「はい……」

「ここを間違えると、後で集計処理の時に誤差が出るんですよ。誤差出る度に僕ら1件1件確認してるって言いましたよね?」

「申し訳ございません」



 あの調子じゃ、真島さんは残業確定だな。


 地元から出てきた俺にとってここは東京で初めての職場なのだが、東京のコールセンターは本当に色々な人がいるんだなーと感じたものだ。

 最初、研修期間のうちは夜勤ではなく日勤だったのだが、昼間はコールセンター業務ベテランのおばちゃん達ばかりの印象だった。短期間勤務の若い女の子に偉そうに振る舞うクセ強おばちゃんも中にはいて、引いてしまったのを覚えている。まさに女性の多い職場の怖さを体験した瞬間だった。

 夜勤は男性ばかりだし、基本同僚に干渉しないスタンスの人が多いので揉め事は特にないが、夜勤帯を選ぶ人達だけあってバラエティーに富んだメンバーのように思える。

 後からわかったことなのだが、この業種は俺や武士みたいに表に出るような活動をしている人が集まりやすいみたいで、他にも俳優・芸人・バンドマンなど一通り揃っている。

 かと思えば、亘さんみたいにキャリアアップも視野に入れて真面目に勤務している人もいるし、真島さんみたいな残念なオッサンもいる。

 よく知らないけど、真島さんは見た目的にたぶん年齢は40代、失業してしまって職安で必死に再就職先探したけど、最終的にここに辿り着いた……そんな感じの経歴なんだろうなと思う。あくまで俺の予想だ。

 しかしあの歳で新人として入社し、自分よりも歳下であろう管理職に怒られるなんて惨めすぎる。

 俺はまだ23だけど、将来ああいう風にならないためにも、もっと真面目にこの仕事も取り組んだ方がいいのかもしれない。

 そりゃあ、そもそも東京に出て来たのは小さい頃からの夢である声優になるためで、プロになれるように覚悟を持って取り組むさ。でもやっぱり保険は必要だと思うんだよな。

 実際、俺はコールセンターのオペレーターという仕事が結構好きだ。自分の声を活かせるし、普段からアナウンス原稿の練習みたいな感覚で出来るわけだし。ついでに亘さんが言うように人と話をするのも得意だし。


 そういえば、確か武士は投資の勉強をしてるって言ってたな。

 武士は一応動画投稿を収益化出来ているのだが、それでもまだまだお小遣い程度なのでここで働いている。

 今のところコールセンターの給料で生活費をまかないつつ、コツコツ投資の運転資金を貯めている段階らしいが、なるべく早く今の状況から脱出し、家から出なくても稼げるようになりたいと息巻いていた。

 その時の俺は、自分には挑戦出来ないことだと思って“夢のある話だな”ってただ聞いていただけだった。でも今となってはあらゆる可能性を模索するためにももっと真剣に聞くべき話だったのかもしれない、と思えてくる。この後どうせファミレス行くし、もう1回聞いてみるか。


 ここの仕事を頑張って給料アップを狙うにしろ、武士に習って投資に挑戦するにしろ、やっぱり何かしら保険かけとかないとこのご時世将来が不安だよな。

 まぁ養成所の先生にこんなこと言うと「そんな覚悟のないヤツは辞めちまえ!」って言われそうだけど。

 つーか、一般的に将来不安なら夢なんか追わずに普通に就職しろってことなんだろうけど。

 何せ、真島さんみたいな中年になりたくねぇって話。








 そうこうしているうちに時刻は午前9時。無事俺は定時で打刻することが出来、そそくさと運用室を後にした。

 運用室から休憩室に移り、自分のロッカーの鍵を開けて帰り支度をする。武士も俺とほぼ同じタイミングで休憩室に来ていた。


「潤よかったな、定時で上がれて。結構長いことクレーム対応してたじゃん」

『長いことかかったけど、応対メモに残さなくていいようなことしか言われなかったから』

「そのパターンか、お疲れ。とりあえず煙草行こ」


 退勤後の俺らの習慣、その1。とりあえず喫煙所に直行。

 そもそも俺たちはたまたま喫煙所で遭遇して、吸ってる銘柄は何か、歳はいくつか、ここの仕事以外はどう過ごしてるかなど話しているうちに仲良くなった。

 俺たちの親世代に比べたら喫煙者は年々減少傾向にあるようだが、今でも喫煙所は一種の交流場の役割を担っているように思う。

 喫煙所はビルの裏口から出て、完全に外にある。冷房の効いた快適なビルを出た瞬間、高温で湿った空気が一気に体にのしかかって来て、思わずため息が出た。


「やっば。今気温何度だよ」

『さっさと1本吸って飯行こ』


 まったく。今の時代、喫煙者は肩身狭いよな。吸いたきゃ場所を探して外で吸えってなってるんだから。

 ライターの火さえも夏の暑さに拍車をかけているように思えてくる。

 早くファミレスに移動してしまいたかったから、急いで一服した。


『武士、後半全然件数なかったよな?』

「マジ暇だった。幸運すぎ」

『俺あのクレーマーからかかってきた時、うわーってなったもん。残業にならなかったの奇跡に近い』

「あ、つーか。真島さんまた怒られてたな」

『いやマジであの人ヤバいよな。何回やっても覚えられないもん』

「知ってる? 亘さんさ、俺らには“こここうした方がいい”とか言うじゃん? あの人には言わねーんだよ。最初のうちはやってたけど途中で諦めたっぽい」

『ハハッ、それは可哀想だわ』


 真島さんの話で盛り上がっていると、裏口のドアの開く音がした。

 このビル内には俺たちの勤め先以外にもいくつか会社が入っているから、“誰か来たな”ぐらいに思っていた。

 だがその入って来た人物は、今話題沸騰中の真島さんだった。体が凍りつくってこういうことだったのか。季節は夏なのに。


『……お疲れ様っす』

「お疲れ様です」


 とりあえず挨拶をしたら、真島さんも返してきた。真島さんもポケットから煙草を取り出し、一服し始める。

 当然陰口の続きを話すわけにはいかないから俺たちは黙っているし、真島さんも特に何も喋らない。そもそも2人とも真島さんと話をしたことがない。

 さっきまでの盛り上がりが嘘みたいに静まり返った喫煙所内。お互いの煙を吐く音と、遠くで鳴いている蝉の声が微かに聞こえるだけだ。

 空気に耐えられず、俺と武士は1本の半分も吸わないうちに火を消した。


「お先です」


 武士の先導で喫煙所を後にし、だいぶ離れてから2人して大きなため息をついた。ここ最近で一番緊張したような気がする。


「……うわー、マジでビビった」

『え、俺らの話って聞いてたと思う?』

「いや……それは大丈夫じゃね? 流石に。あの喫煙所のドア、鉄製で結構分厚いじゃん」

『だったら大丈夫か……つーか、真島さんもここ使うんだ。俺ら今後場所変えた方が良くね?』

「確かに。とにかく早いとこ飯行こうや」



 ちょっとしたホラー体験でゾッとした所で、俺たちは行きつけのファミレスに向かって歩き出した。

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