しんぞうをのみこむ

緋色こう

しんぞうをのみこむ

 ――こころを探していた。ずっと、ずっと探していた。


 それがどんなものなのか知らなくて、ただ、ずっと探していたことだけは分かるのだ。友達のスバルはその正体を知っているらしかったけれど、シノには何にも教えてくれなかった。


 スバルは、生まれた時からシノの隣にいた。閉鎖的なこの街は人と関わる機会はそう多くない。いや、そもそも機会が与えられること自体が少ないのだ。生まれた時からずっと、『外』に出るための準備をして、規則的に、ともすれば無感情に生きていく。

 そんな中で、スバルは他よりも感情豊かに話をする男だった。逆にシノは、他よりも感情の起伏が少ない男だった。シノの側はつまらないだろうに、ずっとスバルは隣に居てくれた。

 シノがこころを探し始めたのがいつからかは覚えていない。それでも、なんとなく大事にしなければいけない感情な気がして。

 はじめスバルに相談したとき、彼は何とも不思議な顔をして、「知らねえな」と突っぱねた。でも、何度もこころの在り処を尋ねるうちに、「知らない」が嘘なのだと気付いた。

 だって、長い付き合いだったから。嘘を吐くとき耳たぶを触る、といういかにも人間らしい彼の癖を知っていたのだ。

「どうして嘘を吐くの?」

「どうしてだろうな」

 スバル以外の住民に話を聞いてみても、皆「知らない」と言うばかりで、それどころか可哀そうなものを見るような表情を浮かべるのだ。だからシノは、探し物の話はスバルにしかしなかった。

「ぼくの探してるこころは、たぶん、素敵なもの」

「どうだろうな」

「スバルにとっては、素敵じゃない?」

「……どうだろうな」

 探し物のこころについては何も教えてはくれないけど、知りたがりのシノになんでも教えてくれたのはスバルだった。感情を探して考えては、ひとつひとつその答え合わせをしてくれる。そんなスバルに、きっとシノは懐いているのだ。



 スバルが、街の外に行くのだと聞いた。それで、こころの事を聞けるのはこれが最後だと思った。人で言うところの親友が居なくなる。それはきっと『寂しい』と呼ばれるこころだろう。

「外へ行くの?」

「……そうだよ」

「ねえ、ぼくの探し物、どこにある?」

「だから、知らねえって」

「知ってるはず」

「知ってたとしても教えねえ」

「なんで」

「さあな」

 今まで通りの、変わらないやりとり。いつもなら、そう、と言って聞くのを止めていた。だけどシノは、この時ばかりは答えを聞かなければいけない気がして、「最後だから」と彼の腕を引いた。

「最後、ねえ」

 はあ、と大きく息を吐いたスバルが顔を上げた。そこに浮かんでいたのは、とても不思議な表情だった。まるで泣き出す前の子供のような、幼い子供を諭す親のような、酷くアンバランスな顔。

「お前、本当に『探し物』が何か知りたいんだよな?」

「うん」

「…………だよなあ」

「嫌なの?」

「嫌だよ」

「なんで」

「お前が後悔するから」

「後悔する方が、知らないよりはまし」

「そうかよ。……あー、でもまあ」

 今度ははっきりと、大人びた顔。決意を固めたような顔をして、スバルはシノに笑いかけた。

「ちょっとだけなら、」

 スバルが、自分の服をめくって胸元に手を掛ける。何をしようとしているのか分からなかったから、黙って見守る。

「オレがこれからどこに行くか、知ってるか?」

「壁の向こう」

「まあ、そうだな。……この町から出るための出口は、二つある」

「そうなの?」

「ひとつは、『外』に出る出口。で、オレがこれから行くのが、」

 カチャ、と軽やかな音が響く。心臓の蓋を開けたスバルが、そこから小さな記憶媒体を取り出す。携帯が必須とされている記録装置とは別の、所謂『不用品』。

「――ゴミ捨て場」

「え、」

「餞別だ。ちゃんと消化して、忘れろよ?」

 開いた口に捻じ込むように指が入ってくる。突然の行動に動揺しているうちに、シノは思わず媒体を飲み込んでいた。


脳が揺れて、意識が落ちる。



 次に意識が覚醒したとき、スバルの姿は見えなかった。情報を処理しようとする脳が忙しなく動く。

『感情』が、記録ではなく記憶として、知識ではなく実感として、身体中を満たしていく。

「なんで、……言ってよ、」

恋心を持った人型アンドロイドは廃棄される。それを、スバルはとうの昔に知っていた。だから、スバルは、シノに自覚させることを良しとしなかったのだ。それを理解して、同時に、スバルに渡された心臓がシノへの想いだということも理解した。

涙ひとつも流れないこの身体が、憎くて、悲しくて。前髪をぐしゃぐしゃと掴んだ。

言わないで、言わないで。どんなこころも拾おうとするシノのアンドロイドらしからぬ繊細さが好きだったなんて、今更そんなこと言わないで。シノだって、スバルのそういうところに焦がれたのに。

 アンドロイドが口から摂取するのは、オイルなどの燃料と、消化して消去してもいい一時的な情報だけ。シノが飲み込んだスバルのこころは、すぐに消えてなくなってしまうだろう。

「もっと早く言ってよ、……連れて行って、ほしかったよ」

 スバルが、シノに恋心を忘れさせようと手段は、あまりに残酷で、暴力的で、温かかった。

「ぼくもすき、好きだよ、スバル」

 消えてしまう前に、確かめるように、誰にも聞かれないように小さな声で、シノはこころを口にした。


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しんぞうをのみこむ 緋色こう @Hi1ro_kou

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