5. 文句なんてありません



「レイラ、結婚して欲しい」

「……もう、しているのでは?」

「書類上で、な。俺は、君と本当の意味で夫婦になりたい」


 いつのまにか寝室が一緒になって、距離も近くなって。暖炉の前のソファで、私を抱きしめながら、そう仰ったローガン様。

 本当の意味で、夫婦……。


「な、なぜ泣く!?」

「……わ、かりません。何も、悲しくないのに」


 頬が熱い何かで濡れて、ぼたぼたと落ちて。それをローガン様が優しく拭ってくれる。少しふわふわして寄りかかれば頭を撫でてくれた。


「……限界だったんじゃないか? 一人で仇敵の家に嫁いできたんだ、心細かっただろう」

「っそんなことはありません!」


 本当だった。ここに嫁いできてからずっと、夢のような気分だった。だから、なぜ泣いてしまったのか、自分でもわからなかった。ただ、ただ……


「なんだか、酷く、安心して」

「そうか」

「暖かくて、幸せで」

「そうか」

「そう思ったら、止まらなくて。ですが、すぐ、止めますから」


 お母様が亡くなったあの日に、涙なんて一生分流し終えてしまったと思っていたのに。泣きなんてしたら、お父様やお継母様に、なんて言われるか……。


「泣いていい。泣いていいんだ、レイラ」


 泣いて、いい。ローガン様はそう仰って、背中をさすってくださる。ローガン様が仰るなら、きっと、泣いていいのだろう。




「落ち着いたか?」

「……はい」


 泣きながら色々とお話しした。

 実家での暮らしのこと、初めてウィンザー家に来た日のこと、そして、ローガン様をどれだけ愛しているかについて。どうやら家についてのことはプロフィールシートや普段の行動、交換日記などで察しがついていたらしく、それでも言い出すまではと聞かないでいてくださっていたのだとか。

 確かに、幸せに気づける前に聞かれていたら、どう答えればいいのかわからなくなっていただろう。


「好待遇で驚いたと言っていたが、これは普通だ。例え好ましくない身の上でも、嫁いできた者に衣食住を与えるのは当然だし、虐げるなんてもってのほかだ」

「……嫌われていたら、その、それ相応の扱いを受けるのが当然だと思っておりましたので」


 そうでなければ、実家での扱いは何だったのだろう。血のつながっていないウィンザー家の方が普通で、我が家の方が、おかしいだなんて。お母様によく似た私が、お父様とお継母様を引き裂いた証が、嫌われるのは、そういうものとして扱われるのは……。


「当然なんかじゃない。正直、俺は今すぐにでもコルベール家の奴らの首を絞めに行きたい」


 怒りを滲ませるローガン様に、泣き疲れたのも吹き飛んで慌てて止める。


「復讐なんてしませんし、望んでいません。せっかく和解しましたのに」


 表面上だけでも、政治の安定につながっているのだし、仮にも伯爵家が殺されたら大変なことになる。

 それに、別にそこまで恨んではいない。だって、お継母様の折檻は覚えていない。あのぼーっとしてしまっていた時間がそうなのかもしれないと先ほど思い至ったくらいだ。そのことを話したら、ローガン様は防衛本能として忘れていたのだろうと仰っていましたが。


「しかし……」

「今までずっと、当然のことだと思っていたのです。簡単には、憎めません」


 エリーに至っては、生まれた時からいる、母が嫌っている姉なんて複雑だっただろう。確かに、エリーは私を嫌っていた。でも、両親に好かれたければ、一緒になって嫌うしかない。それでも、あの子はなんだかんだと見送りに来てしまう子だった。


「それに私、何も文句なんてないんです」


 幸せな生活よりも大切なものなんて、どこにもないのですから。


         *




「さようなら、大嫌いすきなお姉様。私の目の前から、消えてくれてよかった」

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