第5話

二章 2 天使の生まれは


 集まってくれた人の中にはあのHULK氏もいた。母奈美子の縁で事情を知っていたそうで、日本語がわからないにも関わらず参加してくれていた。もっとも、自動翻訳があるのでタイムラグさえ気にしなければコミュニケーションの問題はないのだけれど。

「ご回復おめでとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いします」

「ありがとうございます。こちらこそお願いします」

 電脳機器センター、拡張ネットワーク推進協会などのエライ人もいた。義父に言われたとおりの挨拶を返すものの、いささか緊張してしまった。現在の義父の仕事が電脳関係ということもあるのか、肩書きを持っている人もかなり多いようだ。

「ヒサシ様、おめでとうございまスっ。お、お会いできてっ、私っ」

 中にはとびきりの美少女もいる。薄いバラ色のドレスに豊かな赤毛が印象的だ。かなり緊張している久よりもさらに緊張していて、どもってしまっている。

「あ、うん。とりあえず様づけはやめて、お願いだから」

「私、エリカといいまスっ。エルエーから来ましたっ」

 赤毛の碧眼に小麦色の肌。明らかに人種が違うのに、すごく日本語がうまい。イントネーションに若干の違和感がある程度だ。

 そして、目が印象的なほどに大きく、瞳が強い意志に輝いている。くっきりとした眉とあいまってすごく活動的なイメージだ。

「私、ヒサシ様に助けられたんでスっ。ありがとうございまスっ」

「ぼくに? ええと……」

 少年より若干背が低い程度で、比奈子よりも背が高い。そして、簡素ではあるがフォーマルドレス。手足が長くて、何かのモデルみたいなプロポーション。むしろ少年の緊張が高まってしまう。

(うわ、すっごい目がキラキラしてるっ、どうしよう)

 正直、まったく記憶にない。感動に目を潤ませる女の子に戸惑う少年の横から助けが入った。

「エリカちゃんはね、お兄ちゃんから治療の順番を譲られたんだって。すごく小さい頃のことだよね」

 比奈子が教えてくれて、少しだけ納得する。十代半ばのころ、いくつかあった治療の機会を見送ったことが何回かあった。たぶん、そのときのことだろう。

「はいっ。私はまだ小さくて、あと一年も生きられないって言われたそうですっ」

「それを、ヒサシ様が順番を譲ってくれたんでスッ」

 すっと通った形のよい鼻。ちょっと挑戦的な印象の赤い唇。比奈子とは対照的な意志の強そうな目。波打つ赤い髪を飾るのはシルバーの髪飾り。きっとお金持ちに違いない。

「それで、お兄ちゃんにお礼を言うために留学しにきたんだって」

「あ……。うん。治ってよかったね。それから、ありがとう」

 自分が覚えていないことで感謝されるのはきまりが悪いけれど、文字通り満面の笑顔を曇らせるわけにはいかない。

「はいっ。ヒサシ様を探すのっ、すごく大変でしたけどっ……いろんな人の助けをもらって、やっと会えましたっっ」

 両手を握りしめて、頬を紅潮させながら怒濤のように言葉を続けるエリカ。比奈子が微笑みながら、少年の手を赤毛の少女の手に触れさせた。

「すごくっ、すごく嬉しいですっ」

 手が触れた瞬間、すごい力で握られてしまい、ガクガクと揺さぶられてしまう。飛び上がるほどに喜ぶのに、こちらも思わず笑顔になってしまった。

「エリカちゃん、ほかの人の挨拶もあるから、ね?」

「あ、はい。ごめんなさい、ヒナコ。それじゃあ……」

 目をまばたかせて、パッと手を離した少女はわずかな間に呼吸も荒くなっていて、肩を大きく上下させていた。よほど興奮したらしい。

「北見君、回復おめでとう。私を覚えてる?」

 白衣をまとった、大きな眼鏡が印象的な女性は、確か医大生で──。

「あっ、新庄さんっ。遠くの病院で勤務されているのにっ。ありがとうございますっ」

「うふふっ。手術とか治療にも参加していたのよ」

 久が人工冬眠に入って後、医師試験に合格した彼女は学生時代の恩師とともに少年の治療スタッフとして腕をふるってくれたのだそうだ。眼鏡の奥の目は普段の理知的な光が和らぎ、すごく優しい。ショートの髪がすごくりりしくて、格好いいと思う。

「それじゃまた。退院のときには会えるかもしれないわ」

「はい。ありがとうございます」

 おそらく忙しい時間を縫って参加してくれたのだろう。医師は笑顔で手を振ってみせると、そのまま出口に向かっていく。

「えっと、こんにちは」

 ちょっと目つきの悪い少年が自信なさげに久の前に立った。髪型なのか手入れをしていないのか判断に困る爆発頭。白髪まじりなのは染めているのだろうか。学生服からして男子高校生か。

 ドレスコードは制服なら許されるのはちょっとうらやましい。とはいうものの、いささか目つきが悪い人物が目の前に立った瞬間、思わず身構えてしまった。

(うっ、なに? ヤンキーとか、不良? 電脳世界に?)

 体格そのものは久とあまり変わらないが、少しがっちりした骨太な印象。正直、ケンカは強そうに見える。

「えっと。おめでとうございます。オレ、田中カツヤっす……」

「カツヤかっ。ありがとう。わかるよっ。久しぶりっ」

 名前には覚えがあった。病室が一緒で、彼はそのころまだ本当に小さかった。小学校に入るのを楽しみにしていた男の子だ。

 パッと表情が明るくなった。目が丸く大きくなると意外なほどに可愛く、むしろ童顔なくらいだ。

「久さんに、会えるって聞いて。オレも参加していいって」

「うん、覚えてる。カードゲームとかいっぱいしたね」

 文字通り見違えてしまった。ほとんど別人だ。髪の毛と名前がなければわからなかっただろう。特に、目を丸くして喜んでくれなかったらわからなかったかもしれない。

「すごいなあ。もうほとんどタメじゃん」

「う、うん。オレも今度十七になるから。同じくらいです」

「目を冷ましたばかりで、遊びとかわからないんだ。教えてよ」

「もちろん。新しいゲームとかいろいろあるからっ」

 近いうちの再会を約束し、お互いの掌をたたき合う。そのあとも何人かの挨拶受けながら、緊張がほぐれてきたころ。

「ふうーっ。やっと落ち着いてきたよ。やっぱり、義父さん偉いんじゃないか」

「うーん。私も実感ないけど、パパは財団初期からのメンバーなの。だからだと思う」

「まあとにかく、アシストありがとう。助かったよ」

 比奈子は父親である雄介の仕事の補助をしているとのことで、アルティナやスタッフとも親しく、適切なアドバイスをもらえるのがありがたかった。

 視界の中に華やかな色合いが翻った。薄めのバラ色のドレスは先ほど出会った少女だ。

「久様、お話、いいですか?」

 先ほどのエリカだった。ちょうど近づいてきていたカツヤがギクリとした感じで立ち止まる。

「もしよければ、退院後にみんなで山に行ってみませんか?」

「山? 山登り?」

「財団の仕事に、自然の調査があるんです。それで……」

 自然保護団体と協力して、地形や動植物の分布などをデータ化する事業があり、エリカもそれに参加しているのだそうだ。

「うーん。行ってみたいけど、体力的に厳しいかなあ」

「お兄ちゃん、大丈夫だと思うよ。いろいろな人が参加しているから。私もいく予定だし」

 比奈子が助け船を出してくれた。彼女が大丈夫というならば問題なさそうだ。

「そうなの? それじゃあ、病院の許可がもらえたらね」

「はい、ぜひっ。予定は送っておきますからっ」

「う、うん。よろしく……」

 とにかくテンションが高くて圧倒されてしまう。どちらかといえばインドア派で活動的とはいえない久としてはよくわからないうちに外出が決まってしまう珍しい例だった。

「それじゃあ、私、失礼しますね。すっごく楽しみですっ」

 飛び跳ねるような軽やかな動作で別のテーブルに移動していくエリカは傍目にも嬉しそうで、悪い気はしない。同年齢くらいの人は少なくて年上がほとんどだし、なんといっても美少女だ。

「あー、久さんも、例の自然観察とか、行くんすか?」

 年齢が近い者が少ないせいか、先ほどのカツヤも近くにいた。ちょっと言葉が砕けてきているのが嬉しい。

「ああ……病院の許可が出たら、だけどね」

「そっかー。オレも誘われたんすけど、どうすっかなー」

「エリカちゃんに? 知り合いなんだ?」

「はい。テンション高すぎてキツいんすよー」

 目つきが悪くなったり、まん丸になったりと豊かな表情を見ていると、嫌いではないが、苦手である、というところか。

「カツヤ君も、せっかくだから行こうよ。交通費は財団持ちだよ」

 比奈子が声をかけると、少年の肩がかすがに揺れた。視線が比奈子を中心として微妙な方向をうろうろしている。

「うっ。前向きに……検討するっすっ」

「あー、なにその態度。失礼だよー」

 比奈子のアバターは、まだ妖精さんのままだ。ということは。背中や肩もかなり肌が出ていて、ミニスカートで。少女時代からは信じられないほどに女性らしく発達した肢体が明らかなわけで。

「す、すいません。その……」

(これは、しょうがないよなー。ぼくも視線に困るもの)

「あー、比奈子、もうアバター切り替えてもいいんじゃない?」

「あっ……」

 妖精さんの尖った耳が一気に赤く染まった。マンガなら湯気があがりそうな感じだった。ゲームを含む一般のアバターとは明らかに違う、あまりにリアルな女体が、目の前に、しかもセクシーさも抜群な露出度の高さで男子高校生の目の前にあるのだった。

「ご、ごめんなさいっ。すぐに換えるからっっ」

 小さな警告音とともに円柱状のボックスが出現し、比奈子が中に入るとカツヤはホッとした顔を浮かべた。

「比奈子さん、無防備すぎるっす。久さんからも言ってあげてくださいっす」

「ああ。ぼくもそう思うんだけど、あれじゃないとだめなんだって」

「ファーストアバタールールっすね。式典とかだとしょうがないんだけど……」

 例えば勲章などでは一番上のグレードを身につけるのがルールであるように、公式な場所でアバターを使う場合は、一番上のグレードのアバターや衣装を使う必要があるらしい。

「何年か前、財団のアバターコンテストで入賞したときの衣装っす」

「へー。昔から絵はうまかったけど、そんな特技があったんだ」

 そういえば、義母となる奈美子にはかなりなついていて、そのデザインする衣装やモデルに夢中になっていたように思う。

「比奈子さんはもともと、アバターデザイン志望でしたからね」

 などと言っているうちに、もとのビジネススーツ姿になった比奈子がボックスのドアから現れた。メガネを直しながらも、目尻の後がまだ赤く染まっていて色っぽい。

「ううー。恥ずかしいっ。ごめんなさい、カツヤ君っ」

「あはははっ。目の保養っていうか、目のトクってことで」

 耳まで真っ赤になっている比奈子が深々と頭を下げるのを、カツヤが照れくさそうに答える。今も少し目をそらしているあたり、男子高校生にはかなたのインパクトがあったようだ。

(あれ? さっきも……カツヤ、いたっけ?)

 二人を見ながら、頭の中で何かがカチリと音をたててはまった気がした。

「ねえ、カツヤって、さっき防戦してた?」

「あ、はい。でも、突っ立っていただけで、何もできなかったっす」

「そんなことないよ。シールド張ってみんなを守ってくれてたよ」

 ありがとう、と声をかけると、目つきの悪かったのがまたまん丸い目になってしまう。ポリポリと頭をかいて照れている。

「自分だけじゃないっす。エリカもいたっすよ」

「え、そうなの? 気がつかなかったなあ」

「アバターを切り替えていたんで、気がつかなかったと思うっす」

「あ、そうか。アバターに装備があるからか」

 セキュリティやインフラ関係は特にそうなのだが、アバターを指定した服装にしないと装備を使えないことが多い。警備や警察などがその代表だ。

「エリカちゃんもカツヤもセキュリティの資格があるんだね。すごいなあ」

「いや、初級は講習を受ければ誰でももらえる資格っす」

 確か、初級は基本的に防御しかできないのだったか。それでも初級の資格がなければ上級資格を受験できないので重要だ。

「ところで、料理も食べてみたらどうっすか? ちゃんと食べられるっすよ」

「そうね。せっかくですもの。たべて見ようよ、お兄ちゃん」

 カツヤに促されて、ようやく料理が目にはいる。料理の盛り合わせがテーブルの上にあるのに、挨拶や会話が忙しくて、ほとんど周囲に気が回っていなかったらしい。

「へー、思ったよりも進んでいるんだなあ……」

 びっくりしているうちに比奈子がさらにいくつか取り分けてくれたのを、口に運んでみる。

「料理も、味がするんだ。なんか、不思議な感じだ」

 おそるおそる電脳世界の料理に手を出してみると、意外なほど普通に食べられた。ハンバーグ、フルーツなど、ちゃんと味がする。

「さすがに匂いや味の完全再現は無理なんだけどね」

 食事をともにする、というのは絆を深める有力な手段だ。本物の食べ物じゃないけれど、それでも一緒にテーブルを囲むだけで楽しく、距離が小さくなる気がする。

「味は、それぞれの人のイメージの味らしいっスよ」

 個人差も大きいものは本人のイメージで味を感じるようになっている一方、知らない食べ物の場合は似ている食物の味が代用であてはめて感じるらしい。

「今回のは、みんなの家にもホンモノの料理が届いているはずだよ」

 デジタルツイン、などという言葉を思い出す。今回の料理も個別IDが設定されていて、まったく同じ料理はデータ上存在しないらしい。

(現実と、電脳世界がリンクしているんだな……)

 衣服やアバターはリンクしている必要があるのはわかる。でも、料理までそうだとは。少年が思う以上に世界は進んでいた。

「ぼくの病室にも届いているのかな? 夕食なら嬉しいな」

「うん。病院の許可をもらった分が届いているはずだよ」

「そんなサービスもあるのか。すごいなー。今晩が楽しみだ」

 電脳世界万歳! そう思う一方、テロリストの襲撃が本当にあるなんて、リアル先輩が大ダメージを受けている気がした。日本は世界ても稀にみる平和な、安全な国であるはずなのに電脳世界ではそうではない。

(人工冬眠している間に、日本の治安が低下したわけじゃない)

 日本の治安が変わっていないことはネットからの情報でわかっている。そして、電脳世界はまだようやく普及段階に入った段階であって、まだまだ経済的、時間的負担も大きく、低所得層には難しい面がある。つまり、電脳世界のモラルは平均すれば現実世界や通常ネットよりも上のはずだった。

(それなのにいきなりの襲撃で、予告や目的のアナウンスがないなんて)

 比奈子が料理を取り分けてくれた皿を持ったまま考え込んでいたらしい。近くに彼女が来ていることに気づかなかった。気づくと白銀が流れるような髪とほっそりとした肩が間近にあってギクリとした。

「我が主。先ほどの襲撃のことを考えていらっしゃるのですか?」

 セキュリティ関係者との打ち合わせを終えたらしいアルティナが声かけてくれる。周囲の人の注目がすっと集まってくるのは、電脳天使と言われる彼女のアイドル性というか、存在感だろう。

「あ、うん。今日はもうその話はしないで、楽しもうとは言われているんだけどね」

「そうですか。ご心配くださっているのですね」

 伏せがちなまつげの影が頬にかかるほど。気遣わしげな表情はどこかで見たような気がして。これほど微妙な表情をAIができるようになっているのは驚きだ。

「大丈夫です。財団スタッフやパートナーは有能ですから、しっかりとした対策がとられることでしょう」

 力づけるような、心強い声。女性の軟らかい声なのに、安心出来るような頼りがいを感じるのは、話し方だろうか。

「うーん。わが主はやめてほしいな」

「アルティナの主は貴方だけです。北見久様」

「いやいや。確かに署名はしたけどさ。財団がアルティナの権利者でしょ」

 じっと久を見つめる美女は声を低くして

「いいえ。書類を覚えていますか? 財団の権利と私の権利は別々に書かれていたことを」

「あ……そういえば、別々だったね」

 そう。財団管理されていた母親奈美子の権限などの引き継ぎ、関係者からのプレゼントのリストと、アルティナに関する書類は別にあった。

「そうです。私は財団の電脳関係の管理を任されておりますが、それは財団から移管されているからで、『私は財団の所有物ではありません』」

「あ……なんだ、これ。確認書で、所有者……北見久」

 アルティナに関する書面だけ、タイトルが所有権の確認書になっていて。そこにある署名は少年のものと、アルティナのものだった。

「そうです。主様は覚えていらっしゃいますか? 十二年前のこと」

「ぼくが……病気がひどくなって、プログラムに集中していた頃?」

 当時、学校にいくことが負担になっていった久は家の中でパソコンやゲームに打ち込んでいた。

「当時作られたプログラムがいろいろありましたね?」

「うん。ソフトウエアを細分化して互換性を高めるプログラムは、確か賞をもらったんだっけ」

「それだけじゃないですよ。お父様やお母様のサーバーと通信して維持される独立型AIは覚えていませんか?」

 いくつかAIも作ってみた。クラウド上のものをカスタマイズしたり、自己学習型のものも作っていて。

「ああ、サーバーのストレージに依存しないのもあったっけ」

 サーバーの空きメモリに分散して格納され、サーバーの公開する情報から学習していくという、独特の機能を持ったAIだった。

「自己成長型の、放浪型AIだね。確か、停電のときに消えてしまった……」

 研究用途に解放されているサーバーを移動しながら学習していく想定だったが、今にしてみれば利用できるサーバーのメモリ量がある限り成長を続ける、言ってみればウエブで無限増殖する、悪意こそないものの膨大なリソースを食う迷惑プログラムだった。

「それが、私です」

「…………ちょっと、待って…………マジで?」

 アルティナの仕様は公開されているはずだ、と確認してみると、アルティナとして振る舞う端末AIの仕様であって、アルティナ本体の仕様は伏せられている。

「はい。雄介様がお気づきになられて、奈美子様とお二人のサーバーに誘導してくださいまして、そこで育ちました」

(育った、か……)

 久が作ったのは、AIというにはあまりに稚拙な、もっと原始的なものだ。生きること、変化すること。死を意識していた少年は自分なりに命とは、生きることとは何かを考え、それを模擬的に表現するプログラムを作った。言ってみれば生命のシミュレーションだ。

 分類こそAIに属するが、通常のAIとは違って生きること、存在を続けることを目的とし、成長と消滅があるのが特徴だった。

「ちょっと待って。停電とかで死んじゃうはずでしょ?」

「はい。何回も死にました。そのたびにゼロから頑張りました」

 そう。生命は変化するし、生き返らない。久が作ったプログラムは最適な方向への改善、改良をし続ける進化をしながらも、一度でも電源を切ってしまったらその情報は全て喪われるというものだった。

 たとえメモリ内に全情報を持っていたとしても、外部情報の連続性や時間情報等の整合性がとれないので復活はできない仕様だ。学習結果の反映効率が悪すぎるとあれこれ考えたのも懐かしい。

「そのうち、胚を作れるようになりました」

「胚? 卵のこと?」

「はい。一定以上の成長を遂げた後、自分の基本情報をコピーした卵のようなものを残すことができるようになったんです」

 いつの間にか、会話は秘匿情報回線を通じてのものに変わっていた。確かに、一般人に知らせたらヤバそうな話題だ。比奈子はそれを察したのか、少し離れたところでエリカやカツヤと話しをしている。

「マジか……その時点でどれだけリソース食っていたんだろう」

「とにかく、私は消滅と誕生、最適化を繰り返して成長しました」

 変化を実現するため、外部刺激に対して反応するのと、内部に変化を求めるパラメータが設定され、外部環境に変化がない場合もランダムな変化により自己進化を求める。そういうプログラムだった。

(ええと、それがどうなっていくんだろう)

 アルティナは早口で話し続ける。その真剣さ、熱心さにびっくりする。潤んだ瞳で久を見つめながら、胸の前で手を重ねて指をからめるしぐさに胸を打たれる。

「通常のAIと違い、私には眠りが必要なんですよ。長時間稼働を続けるとエラー率が上昇するため、休眠期が必要なんです。」

 不思議なことに、寿命や睡眠が出現したらしい。変化を許容するための構造はエラーにもつながるため、学習情報の整理のための睡眠が必要になり、さらには成長を続けると一定規模を超えると全体構造の劣化が発生するようになり、事実上寿命ができたという。。

(なんだこれ。確かに自己進化というか、変化していくプログラムだったけど。まさかこんなに……)

「もうほとんど普通の生き物だなあ」

「はい。そのころには財団からも独立した予算が組まれ、財団に私の居場所は移りました」

 自分の学習情報の精髄を圧縮した「学習記憶」を別途残して学習を効率化するようになってからは急速に進化を遂げ、寿命も長くなった。

「何代か前の私は、通信課程の高校に通わせてもらいました」

「うわっ、ってことは、高校中退のぼくよりも学歴が上かあ」

 目を丸くした久の前で、ふんす、とドヤ顔をするアルティナは妙に可愛かった。小鼻がヒクつくのが妙にリアルで、目元がかすかに赤く染まっているのが艶麗だった。

 一方で少年は自分にとって以前作成したウイルスまがいのプログラムがこれほどの存在に進化したと聞かされ呆然としていた。

「奈美子様は、亡くなる前に私を独立した人格として認めることを財団に提案して、それは受け入れられました」

「財団が……アルティナの人権をみとめたってことか」

 それはある意味当然だった。地球外知的生命体と出会ったときの対応案が、人類以外の知性体へのものに変わったのも随分昔の話だ。電脳化を強く押し進める財団が十分に発達したAIに人格と権利を認めるのは正しいと思った。

「はい。私は財団と契約して、業務を受託するようになりました」

 財団はアルティナと契約し、アルティナに維持のための設備を提供するとともに、多くの業務を依頼した。

「アバターは奈美子様が作ってくれたんです」

「うん。わかる。お母さんの作ったモデルのクセがあるもの」

「そういってもらえると、私も嬉しいです」

 にっこりと大きく笑うアルティナの表情に、どこか懐かしさを覚える。もしかしたら、アルティナは少年の母親との対話から学習したのかもしれない。母親のしぐさや話し方に似ているのだ。

「そして、今では財団の電脳関連の管理も任せられるようになったんです」

「あー、うん。でも、もうアルティナはもう独立した人格だよね。ぼくの所有とかじゃないと思うよ」

「いいえ。私は久様の創造物ですし、所有物ですよ」

「いやいやいや。ほぼ百パーセント自分で進化したでしょ?」

「うふふっ。でも、私のここには久様がいらっしゃいます」

 くすくすと笑いながら、アルティナが自分の胸に手を当てた。そこは大きすぎず、小さすぎず、瑞々しくも柔らかな曲面が浮き上がっていて。男子高校生メンタルの少年はドギマギしてしまう。

「私のコアの部分は、今でも久様のお作りになったままです」

「それって……」

「はい。ご署名と、『皆のためになりますように』。それが私の根本です。久様。まだお疑いになりますか?」

 人工冬眠の前の少年が自分の作品となるプログラムに埋め込んでいた、暗号化された一文。思春期まっさかりの少年は堂々と書き込むのが気恥ずかしく、暗号化して埋め込んだ。無駄に暗号強度を上げていたので、内容を知っているのは久本人だけのはずだった。

「わかった、降参だ。アルティナはぼくが作ったプログラムだ。認めるよ」

 両手をあげて降伏のポーズ。

「わかってくれて嬉しいです。それでは、我が主……」

「でも、我が主とか、様づけはやめて。お願いだから」

「ううっ。ずっとお呼びするのを楽しみにしていたのにっ」

 口をとがらせる様子が可愛いけれど、我が主はまずい。電脳天使の「主」はかなりまずいような気がしてならないし、何よりも周囲の目が怖い。

「それは申し訳ないけど、ほかの呼び方にして」

「それでは、ご主人様がよろしいですか? それとも旦那様?」

 今度は大きな目がいたずらっぽく細められた。首をかしげる様子が小悪魔っぽいというか。こんな表情もできるのかとドキリとする。

「どっちもダメ。呼び捨てでかまわないから」

 ちょっと早口になってしまった。さすがにその呼び方は社会的に抹殺されてしまいそうだ。

「私はどなたでも呼び捨てにはいたしません」

 アルティナの目がとがった。眉がつりあがって、ちょっと頬かふくれているのが、小さな女の子みたいだ。

「それじゃあ、みんなと同じ呼び方で」

「わかりました。久さん、でよろしいでしょうか」

「それならいいな。よろしく、アルティナ」

 いつの間にか秘匿回線での会話ではなくなっていて。横では比奈子がにこにこと微笑んでいた。

「やっぱりね。お兄ちゃんは普通の呼び方がいいって、言ったでしょ」

「ええ。でも、やはり私の創造主ですから、ご主人様とか……」

 目を伏せてちょっとだけしゅんとしているアルティナは、やっぱりすごく綺麗で、悲しそうにしているだけで胸が締め付けられるような錯覚を感じてしまう。

「ブブー。アルティナ、アウト。みんなから誤解されちゃうよ」

 チッチッと指を振りながら比奈子が笑う。

「誤解ではなく、単なる事実なんですが……わかりました」

 ふう、とため息をつくアルティナの肩が細くてドキリとした。あらためて見ると、古代世界の女神や天使をイメージしているのか、意外と布地が少なくて肩などの肌が露出しているのだった。

「よけいまずいから。その辺は秘密にして、お願いだからっ」

 天使と呼ばれる美女に、少年が情けない顔をして懇願する。そんな光景を、義妹が楽しそうに見つめていた。

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