第5話

 1980年9月20日、健一は源義家についての理解をさらに深めるため、地元の図書館へと向かった。図書館の中は静かで、レトロな木製の本棚が歴史の重みを感じさせる。秋の陽が窓から差し込み、ほのかに照らされる本棚の間を歩きながら、彼は義家に関する資料を探していた。


 本棚の隅で「源氏三代記」という題の書物を見つけ、ページをめくり始める。そこには、源義家の武勇と数々の戦での活躍が生き生きと描かれていた。彼の生涯は戦いの連続で、特に後三年の役での活躍が義家を伝説的な存在へと押し上げたことが記されている。健一は、その戦略や心の内にある葛藤に思いを馳せ、深く感動を覚えた。


 ふと、健一は義家が決して「戦うためだけの武将」ではなかったと気づく。彼は多くの人々に慕われる人格者であり、義家の持つ優しさや民への思いが、彼をただの戦士以上の存在にしていたのだ。健一は、義家の人間性をどのようにドラマに描き出せるかを考え、メモ帳に構想を走り書きしていった。


 さらに調べを進めるうち、健一は義家の時代背景や政治的な駆け引き、家族との関係にも触れ、彼の物語が単なる戦いの話ではなく、深いドラマに満ちていることを実感した。そして、この知識を大河ドラマの脚本にどう活かすか、頭の中で構想が膨らんでいった。


 その時、図書館のスピーカーから懐かしい『ザ・ベストテン』のテーマ曲が流れ、健一は現実に引き戻された。「時代背景として80年代の空気を感じさせるのも悪くないかもな…」と心の中で微笑みつつ、義家の物語をさらに深めるため、健一は次の本を手に取った。


 源頼義の長男として、河内源氏の本拠地である河内国石川郡壺井(現・大阪府羽曳野市壺井)の香炉峰の館に生まれる。母は、平直方の娘。


 幼名は不動丸、または源太丸。7歳の春に、山城国の石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と称す。


 生没とも諸説あるが、68歳で死去とする史料が多く、没年は史料としての信頼性が最も高い『中右記』嘉承元年(1106年)7月15日条から逆算し、長暦3年(1039年)の生まれとする説が有力である。


 鎮守府将軍兼陸奥守に任ぜられた父・頼義が安倍氏と戦った前九年の役では、天喜5年(1057年)11月に数百の死者を出し大敗した黄海の戦いを経験。その後出羽国の清原氏の応援を得て頼義は安倍氏を破った。


 しかし、『奥州後三年記』(『続群書類従』収録)には清原武衡の乳母の千任に「なんぢが父頼義、貞任、宗任をうちえずして、名簿をさヽげて故清将軍(鎮守府将軍・清原武則)をかたらひたてまつれり。ひとへにそのちからにてたまたま貞任らをうちえたり」と言われて激怒したことが載っているが、「名簿」を差しだし、臣下の礼をとったかどうかはともかく、それに近い平身低頭で参戦を頼みこんだことが判る。康平6年(1063年)2月25日に義家は従五位下出羽守に叙任された。


 しかし出羽国はその清原氏の本拠地である。清原武則には前九年の役で頭を下げた経緯もあり受領としての任国経営が思うに任せなかったのか、『朝野群載』には、翌康平7年(1064年)に朝廷に越中守への転任を希望したことが記されている。ただしそれが承認されたかどうかは不明である。この年、義家は在京しており美濃国において美濃源氏の祖・源国房と合戦している。


 延久2年(1070年)に義家は下野守となっており、陸奥で印と国庫の鍵を盗んだ藤原基通を捕らえたことが『扶桑略記』8月1日条に見える。当時の陸奥守は大和源氏の源頼俊で、即位間もない後三条天皇が頼俊らに北陸奥の征服を命じており、北陸奥の征服(延久蝦夷合戦)自体は成功したが、この藤原基通の件の為か頼俊には恩賞はなく、その後の受領任官も記録には見えない。


 承暦3年(1079年)8月に美濃で源国房と闘乱を起こした右兵衛尉・源重宗(清和源氏満政流4代)を官命により追討。


 永保元年(1081年)9月14日に検非違使と共に園城寺の悪僧を追補(『扶桑略記』)。同年10月14日には白河天皇の石清水八幡宮行幸に際し、園城寺の悪僧(僧兵)の襲撃を防ぐために、弟・源義綱と2人でそれぞれの郎党を率いて護衛したが、この時本官(官職)が無かったため関白・藤原師実の前駆の名目で護衛を行った。さらに帰りが夜となったので義家は束帯(朝廷での正式な装束)から非常時に戦いやすい布衣(ほい:常服)に着替え、弓箭きゅうせんを帯して白河天皇の乗輿の側らで警護にあたり、藤原為房の『為房卿記』には、「布衣の武士、鳳輦に扈従こしゅうす。未だかつて聞かざる事也」と書かれている。


 12月4日の白河天皇の春日社行幸に際しては義家は甲冑をつけ、弓箭を帯した100名の兵を率いて白河天皇を警護する。この段階では公卿達の日記『水左記』などにも「近日の例」と書かれるようになり、官職によらず天皇を警護することが普通のことと思われはじめる。後の「北面武士」の下地にもなった出来事である。この頃から義家・義綱兄弟は白河帝に近侍している。

 

 

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