第3話

 1980年9月10日。東京の空には、夏の名残が漂っていたものの、秋の気配が少しずつ顔を覗かせ始めていた。大通りにはカラフルなファッションに身を包んだ若者たちが行き交い、街の電光掲示板では「ザ・ベストテン」や新作ドラマの予告が流れている。銀座のショーウィンドウには、今季流行のブラウスやベルボトムのジーンズ、肩パッドが入ったジャケットが並び、皆が注目していた。


 その日、健一と春美は都内の小さな喫茶店で密会していた。健一は、黒いサングラスにダークブルーのジャケット、裾の広がったデニムパンツを合わせたスタイル。時代のトレンドをしっかりと押さえつつも、捜査官としての緊張感を帯びた雰囲気を纏っていた。一方、春美はライトピンクのブラウスにロングスカートを合わせ、軽くパーマをかけた髪が時代を象徴していた。どこか懐かしさと新鮮さが交錯するファッションに、二人の影が映し出されていた。


 喫茶店のスピーカーからは、中森明菜の「スローモーション」や、松田聖子の「風は秋色」といった新曲が流れていた。若者たちは皆、これらの曲に耳を傾け、アイドルたちの新しいステージ衣装や髪型を真似しようとする姿が見られる。春美も思わず、その歌声に聴き入ってしまった。


 健一が先に切り出した。「…調査の件だけど、進展があった。NHKの会計担当者が、特定の企業との不正な取引に関わっている可能性が高い。それと、少し気になるのは、これに絡んでいる人物が結構大物なんだ。芸能界との繋がりもあるかもしれない」


「芸能界って…まさか、テレビに出てる有名な人?」春美は驚きを隠せなかった。彼女はテレビ局の内情に少しだけ詳しかったが、まさか不正が絡んでいるとは想像もしていなかった。


「俺もまだ確証は持てない。でも、会計帳簿や取引記録を洗っているうちに、いくつか不審な振り込みが見つかったんだ。しかも、名前が消されてる取引が多い。たとえば…」健一は、声を抑えながら話を続けた。


 そのとき、喫茶店のテレビが切り替わり、ザ・ベストテンの番組予告が映し出された。来週のランキングには新曲を出した松田聖子が登場するという告知に、周囲の客たちが歓声を上げている。二人は一瞬、視線を交わし、微笑みあった。


「春美、もうすぐ俺の任務も終わる。すべてが明らかになったら…二人で、もっと普通の日常に戻ろう。こんなふうに秘密にして話すのも、もう終わりにしたい」健一が、少し寂しそうにそう言うと、春美は彼の手をそっと握った。


「うん、健ちゃん…私もずっと一緒にいたい。こんなに不安で、でもワクワクした日々を忘れたくない」


 その日、健一は最後の潜入作戦のために、NHKの会計事務所へと向かうことを決意した。真相を暴くその日が、二人の未来への第一歩となるように。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る