第3話
三月の初旬でも、研究棟の桜の木はチラホラと咲きはじめていた。最近は温暖化の影響もあって開花が本当に早くなっている。
木の根元にはレジャーシートが敷かれ、クーラーボックスまで持ち込まれていた。教授がみんなをねぎらうために用意してくれたらしい。
機嫌が悪くなっていたチームだったが、さすがに顔がほころんだ。
そこかしこで缶のプルタブをひらく音が響き、自然と談笑がはじまる。
仕事が抜けきらず議論や検討をはじめる者もいたが、淀んだ空気の部屋でするよりずっと建設的な意見が交わされている。
心なしか、みんな学生のころに戻ったような雰囲気になっていた。
「笹目くん。ご苦労さま」
遠巻きにコーラを飲んでいた僕のところへ、教授がビール缶をもってやってくる。
「先生すみません。ちょっと、いまは飲めなくて」
「いいよいいよ。飲みたい人だけ飲めばいいから」
教授は僕のとなりに座り、チーズかまぼこを片手にやりはじめる。
「笹目くんとも長い付き合いだね。もう今年で……五年になるか」
「ええ」
「今回は参ったねえ」
「当日までに、なんとか打開策を見つけます」
教授は、もうすぐ退官だと聞いている。自分が関わる最後のプロジェクトが、こんな幕引きを迎えるなんて想像していただろうか。そして納得しているのだろうか。
ビールをすする教授の顔からは、そんな自己憐憫は見てとれない。むしろ「三〇〇億円がパアか」とでも言い出しそうな、悟った眼をしていた。
「こりゃあ天災だよ。僕らは嵐が過ぎ去るのを待つしかないよ」
教授は引き際を心得ているようだった。だけど僕は『オケアノス』を助けてやりたかったし、まだ諦めたくなかった。
怪獣の存在は『オケアノス』だけではなく、地球全体の問題に。ひいては文明が存続できるかという試練に発展しつつある。
だからここで人類が回答を得られずに膝を折ることは危険だと、僕の本能が警告している。
小さい頃からSFドラマや映画、漫画に親しんできた。宇宙人に会いたいとも思った。だから今回の怪獣騒ぎは心が躍った。
地球人は宇宙唯一の孤独な存在ではないと証明され、これから不思議に満ち満ちた日々がはじまると、希望をもった。
それがこんな観光公害みたいなことになり、しかも人類文明に甚大な被害を与えることに発展するだなんて。
幻滅とはこういうことを言うのだろうか。
「だから言ってるだろ! 怪獣にミサイルでも撃ち込めって!」
議論が白熱していた一団から、わめくような声がした。そのあまりに物騒な内容に、僕らはギョッとした。
「お前もっと考えろよ。放射線が飛び交う宇宙空間を生身でうろついて、太陽からの電子線が集まる北極や南極上空に平気で居座るヤツだぞ? ミサイルなんて屁でもないだろ」
そんなもっともらしい反論をされたミサイル論者はしょぼくれてしまった。その様子に教授も笑っている。
このぐらいで静かになる血気なら、可愛らしいとでも思っているのかもしれない。
「あのう……。これはなんの集まりでしょうか……?」
控えめだが、みんなに聞こえるよう尋ねる声に、今度はみんなが振りかえる。
そこには、濃紺のジャケットを着込んだ守衛が立っていた。
「ああー、すみません!」
教授が目一杯の申し訳なさをにじませて謝りはじめたことで、僕らはすべてを察した。
つまり教授は、守衛所に許可をとらず酒盛りを計画してしまったのだ。
「ああ鳥飼先生。先生が主催ですか?」
「あい、すみません。ちょっと行き詰まっていましたもので、つい」
「先生がいらっしゃるなら良いです。でも、あまりお騒ぎにならないでくださいね」
「本当にすみません」
事態がつかめた守衛はきびすを返して帰っていく。僕らはその遠ざかる背中に向かってぺこぺこ頭を下げ続けていた。
「いやはや。油断した。みんなもどうか、ハメを外しすぎて騒がないように、ね」
そのとき。
僕は教授の言った言葉が妙に気になった。
そして街灯に照らされて桃色に輝く桜と、その下で楽しそうにしている同僚たちの姿が、僕の脳を震わせていく。
太陽。
北極と南極。
花見。
「そうか!」
跳ねるように立ち上がって叫ぶ僕を、教授は奇異の目で見ている。だけど僕は自分のひらめきに自信があり、他人の目など気にしていられなかった。
「先生。怪獣がラグランジュ点を出て動き出したのは二月の終わりですよね?」
「そうだね」
「太陽が活動を強めてきたのは二月から三月にかけてでした」
教授はあいかわらずの奇異の目に加えて、首をかしげた。
「それが?」
「怪獣は、地球のオーロラを『花見』に来ているんじゃないですか?」
地球は大きな磁石だ。
太陽風が地球に降りそそぐと、太陽の電子線が地球の北極と南極へと集められる。それが大気中の酸素などと反応して、オーロラという目に見える現象としてあらわれる。
オーロラは太陽の活動が活発になるほどに光り輝く。つまり、太陽の活動が活発になりはじめるこの三月からはオーロラの『見ごろ』なのだ。
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