第2話
小惑星探査機『オケアノス』の目的は、「外惑星」と呼ばれる星々の探索……の、下見である。
太陽系はとてつもなく広い。その広い世界へ漕ぎ出すため、僕らはあまりに何も知らなすぎる。
だから『オケアノス』を送り込み、世界の最果てを本格的に冒険するための航海術を会得しようとしているのだ。
オケアノスとは、ギリシャ神話世界の最果てにあるとされる大海原のこと。
そして挑むのは天の最高神『ジュピター』の名を冠した木星だ。
僕らは今まさに、最果ての宇宙へ漕ぎ出して神秘に近づこうとしている。
だが地球から発信した電波が探査機へ到達するまで、五〇分以上かかってしまう。
だから『オケアノス』をラジコンのように無線操縦することはできない。あらかじめプログラムで命令をあたえて、計画されている動きを教えてやる必要がある。
そのプログラムを、僕は五年も書き続けてきた。このプロジェクトに関われたことが本当にうれしかった僕としては、あっという間の五年だった。
「鳥飼教授。ありがとうございます」
取材は終わりに近づきつつあった。
「しかし教授。最近、太陽の活動が活発になってきていると伺いました。探査機との通信に影響はありますか?」
「少なからず影響はうけるでしょう。しかし『オケアノス』の計画段階から織り込み済みのイベントですので、影響は最小限に抑えられるとみています」
「いま話題の怪獣による計画への影響は?」
「いまのところはありません。怪獣が現れてもう七十日以上たちましたが、年を越した二月下旬になっても動きを見せていません。このまま当分はラグランジュ点に留まり、現状維持が続くと予想されています」
聞き耳を立てていた僕も、教授と同じ意見だった。
そのとき管制室の内線電話がけたたましく鳴り、受話器をとって応対した職員が慌てはじめた。そして教授のほうを振り返り、叫んだ。
「怪獣が動きはじめました!」
***
三月十日の夕方。
僕らは管制室に缶詰で、疲労困憊のさなかにあった。
「また失敗だ」
「こっちから送ったコマンドは? 『オケアノス』に送れてる?」
「たぶん。だけど『オケアノス』からの受信完了報告がないことにはなんとも」
三月に入ってから、僕らは『オケアノス』との通信にことごとく失敗していた。
二月下旬にラグランジュ点を出発した怪獣は、三月になる前には地球の北極圏を見渡せる衛星軌道へとやってきた。
怪獣はそれから毎日のように、北極と南極を行き来して過ごしている。
間近で怪獣を見られるようになったことで馬鹿馬鹿しいほどのお祭り騒ぎが起こったが、人類はすぐに陶酔状態から目覚めた。
怪獣が妨害電波をまき散らしはじめて、その影響が甚大だったからだ。
妨害電波は騒音みたいなもので、通信衛星やGPS衛星、気象衛星との通信が撹乱される。
同じように僕らも『オケアノス』から送られてくるはずの通信を受け取れていない。
『オケアノス』は頭が良い。探査機自身がカメラで見た星と太陽の位置関係から、自分が宇宙のどこにいるのかを判断できる。
地球からの観測で「キミはいまここにいるよ」と教えるよりも誤差がなくて正確だ。
だから僕らは『オケアノス』から送られてくる現在地情報を頼りに航行スケジュールを立てている。
いまはそのやりとりが、怪獣の妨害電波で不可能になっていた。
『オケアノス』だけじゃない。携帯電話や船舶、航空機も大きく制限を受けている。人類社会は思いもよらない危機に陥っていた。
だけど身近に感じる生活の不便さよりも、僕らは『オケアノス』を失う可能性のほうがよほど恐ろしかった。
『オケアノス』はいまこの瞬間も木星へ向けて飛び続けている。それはいい。
だけど僕らが適切な航路を教えてあげないと、『オケアノス』はやがて木星の超強力な重力に捕らえられ、周囲を回り続ける衛星のひとつにされてしまうだろう。
そうなったら自力での脱出は不可能になってしまう。
管制室のプロジェクトメンバーは、僕を含めてみんなが『オケアノス』を助けるために知恵をふり絞った。
いろんな通信方法が試されたが、結局は『オケアノス』からの返答が受け取れないから検証のしようがない。
状況が八方ふさがりに見えはじめ、やがて口からはため息しか出てこなくなった。
五年も一緒に旅してきた相棒を、こんなところで失うわけにはいかないのに。
「みんな。ご苦労さん」
管制室に鳥飼教授が入ってきた。その両手にはテイクアウトの手提げ袋が下がっている。
「ちょっと休まないかい。研究棟の桜が咲いていたよ」
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