第2話
俳人の、
黒々と大書された二文字。
そこには、「
この字は、マニアックと言えばそうだが、蛇蝎は知っていた。意味は、「刈り取られて、すこしひこばえのある秋の田んぼ」というような意味。
「穭田かあ…和風のお題やなあ。普段田んぼなんか目にする機会がない人のほうが多いやろうに。おれも追憶の中にしかないよ。でも、面白い言葉ではあるな?だいたい、この字の意味も全然知らんよ、不勉強極まりない。おれとしたことが」
ぶつぶつ言いながら、歳時記をめくると、「稲刈りあとの稲穂に、青々とした若いひこばえが生えたもの」で、「穭」は、それ自体の正式な名称と、字らしい。
「ほほお、
俳人だけあって、飯田蛇蝎というパロディみたいな号だが、漢字には精しいのだった。
「秋らしいし、故事由来も面白いから名句もありそうで?うーん、確かに多い。
曰く、
<ひつじ田も淡海の空も深曇/草間時彦>
<ひつじ田に鶉出でたる初景色/森澄雄>
<ひつじ田や雲の茜が水にあり/森澄雄>
<ひつじ田の畦の際より日本海/高橋優子>
<ひつじ田の瘠せて傾く海の際/中瀬喜陽>
<ひつじ田に入り少年の頃思ふ/森田公司>
<ひつじ田に大社の雀来て遊ぶ/村山古郷>
<秋篠のひつじ田四方に寺低し/松島利夫>
<ひつじ田の水の太陽げに円し/西東三鬼>
<ひつじ田を犬は走るや畦を行く/高浜虚子>
<ひつじ田に一羽下りたる雀かな/内田百間>
「どれも、しみじみした名句やなあ。深い意味が、ありそうでなさそうで、?一幅の名画をじっと鑑賞しているような?、そういう秋の情景の風物というのは多いけど、典型的な、和風の味わいの寂寥感がある季題やな、穭田かあ…」
まあ、小説とかの情景描写でも、さりげなく、主人公の心情を投影していたり、そういう効果を狙ったテクニカルな技法はある。
たとえば、気分が明るいときは、自然もなおさらに風光明媚に思えてくるし、暗鬱な気分だと梅雨空も、ますます、うっとうしいことこの上なく、何かの災厄のまえぶれにすら思えてくるときがある…
つまり、そういう効果を逆に転用しているテクニックで?
「穭田」というものから各人各様に連想するイメージがあるし、別に生える意味のないEXTRAなあだ花みたいな存在という、そこに心情を投影するというのも一興と言える。
「正岡子規は、「写生」を提唱したらしいけども、そういう句法というのはつまり、写実画のよさの称揚みたいな「人間」を捨象しようという発想なんだろうか? が、人間抜きの藝術というのは、むしろ邪道だよなあ? あえて、逆説的に、ルソーという人の哲学みたいな文明批判的な発想なんかな?」
… … とにかく、なんとなく?「穭田」の生えていそうな田舎に出かけてみることにした。実物を、秋の今の、この時だけの瞬間を、俳句に必要な一刹那のみの感興を、トタテグモの糸のように感性を放射して?把捉しようと思ったのだ。
… 蛇蝎氏は電車に乗って、田園地帯のある、近郊の、閑散とした寒村に出向いた。
”散逸寒村”なんて俳号もいいなあ?とか埒もないことを考えているうちにゴトゴトと電車が着いた。
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