sideシーラ

ルークと呼ばれていた彼は私に別れの挨拶をするとすぐに行ってしまった。

銀色の髪に緑色の瞳が印象的な人だった。

年はナイト様と同じくらいだろうか。


「ナイト、様。彼は」


ナイト様の大きな手が私の口を塞いだ。


「シーラ、さっきから何だ。

俺の呼び方とか敬語とか。誰かに何か言われたのか?」


優しい口調だけど、目は笑っていない。

心なしか手の力も強い気がする。


「もしかして、俺に嫌気がさしたか?」


その質問に怒りが湧いた。

あまりにもおかしな発言だから。


私を疎ましく思っているのはあなたなのに。


あんなよく分からない私と同い年の女の子にまで届いている話なのにどうして隠そうとするんだろう。

私はもう全てを知っているのに。

邪魔なら邪魔と言ってくれた方がまだマシよ。


勝手に裏切られた気分になっている私は相当な被害妄想者だ。

そもそも私は保護された身。

ずっとナイト様の側に居座る方がおかしいのよ。


私はもう16歳になった。

結婚だってできる。

いつまでもナイト様を頼るわけにはいかないわ。


ナイト様は私の目を見て口を塞いだ手を離してくれない。


「俺に何の遠慮もしなくていい。

俺たちの仲だろ、今更礼儀なんかいらねぇよ。」


嘘つき、本当はそんなこと思っていないくせに。

もう泣き出してしまいたい。


何で嘘つくの?ナイト様は何がしたいの?

私がナイト様の手に触れるとそっと手を離してくれる。

これでようやく話せるわ。


「ナイト様、私はもう16歳になりました。

ナイト様の保護がなくてもちゃんと生きていけます。」


これであなたも言いやすくなったでしょう?

たった一言、言ってくれたらいいの。

今までありがとうって。

どんなに心の込もっていない言葉でもナイト様の声で聞けばちゃんと弁えれる。


「そうか?俺にはそう見えない。

それより早く帰るぞ。俺らの家に。」


私は理解ができなかった。

でも、私はちゃんと言ったよ。

一人で生きていけるって。

ナイト様の力がなくても海にさえ帰れば生活なんてどうにでもなる。


私が邪魔なんでしょう?

あの女の子たちが言っていた。

私の面倒を仕方なく見ているって。

皇女様といずれは結婚するって…。


胸の奥がズキズキと痛む。

捨てるなら今捨ててよ。

そうしたら私は頑張ってあなたのことを忘れるから。


初めてナイト様に背を向けて眠った。

ナイト様もいつものように私を抱きしめてくれないし、これでいいのよ。


ナイト様もきっと清々しているわ。  

近いうち、海に帰ろう。

これこそ人間がよく言ってる、潮時だ。

明日、ちゃんと言おう。


告げてもいない別れを想像して私は静かに涙を流した。


次の日の朝、目を覚ますとナイト様は隣にいない。

今日も仕事があるから早起きなんだ。

今日は私がナイト様に別れを告げる日。

悲しみを必死に押し殺して身支度をした。

別れを告げたとして絶対に泣いてはダメ。


ナイト様は優しいから私が惨めに見えた瞬間、私を止めてくるはずよ。

その証拠にナイト様は昨日、私が一人で生きていけると言ったのにそうは見えないと言った。


それはきっと私が頼りなく見えるからだと思う。

私が自立していると思ってもらうためには泣いてなんかいられない。

大丈夫よ、人魚は我慢強い生き物なんだから。


ナイト様はきっと書斎にいる。

この時間はいつも書き物をしているから。

書斎に行こうと部屋のドアを開けたら…


「きゃっ!」

「!!」


ちょうど部屋に入ろうとしていたであろうナイト様と鉢合わせた。


「お、おはよう、」


あぁ、違う違う。


「おはようございます、ナイト様。」


私がちゃんと言い直すとナイト様の眉間に皺が寄る。

あれ?何か怒らせるようなこと言った?


「やめろよ、それ。」


敬語と様をつける事を?


「今までがおかしかったんですよ。

本当に失礼な事をしていました。」


女の子たちの噂を聞いて気付く時点で私の常識は終わっている。


「別にいいだろ、今まで通りで。

これじゃあ赤の他人と暮らしているみたいで気が休まらない。」


ナイト様はおかしな事を言う人だ。


「私たちは赤の他人ですよ、ナイト様。」


そもそも人と人魚、何もかもが違う。


「……ふざけるな。」


静かにつぶやかれた言葉が私の背筋を凍らせた。

私はナイト様にそんな強い言葉を使われたことがなかったから。


「あの…」

「何年も毎晩同じベッドで寝て同じもん食って長い時間過ごしてるのに赤の他人?

冗談を言ってるつもりなら何も面白くないぞ。」


ナイト様、すごく怒ってる。


「昨日から本当に何なんだ。」


ナイト様が一歩近付いてきたから私は少し怖くて一歩下がる。

ナイト様が完全に部屋に入り切ったらドアが勝手に閉まった。


「何が気に食わない?」


気に食わない?私が?

何もかも気に食わないのはナイト様の方でしょ?

そもそも間違いを正しただけなのにどうしてそんなに怒ってるの?


「気に食わない事なんて、何もありません。

ただ、私…海に帰ろうと思ってるんです。」

「海に帰る…?」


ナイト様の表情がついになくなってしまった。

ちゃんと理由を言わないと。


「は…はい……。

それなら、ナイト様に負担をかけずに済みますから。

ほら、私の足はナイト様のおかげで動くようになってるでしょ?

私が出ていけば毎日そんな魔法を使わなくてもよくなるんです。」


私が出ていくことの利点を話してもナイト様は何も言わない。

何も言わないどころか、私を無言で抱き上げて…


「ナイト様、あの…きゃっ!」


私をベッドに放り投げた。


「な、何するんですか!」


ギシッとベッドが軋んで、ナイト様の大きな手が私の頭の横に置かれる。

こんなのまるで押し倒されたみたいだ。


「俺がかけた魔法のことならもう何も気にするな。今からその足を取り上げる。」


ナイト様は相変わらず怒っていてさらには訳のわからないことを言い出した。

足を取り上げるって何?

まさか足を斬るつもり?


「じっとしてろ。」


ナイト様がわざと私の耳元に顔を寄せて囁いた。

その低い声に私は思わず心臓を躍らせてしまう。

この鼓動をどうにか抑えようとしていたら…


「ひゃっ///」


ナイト様のもう片方の大きな手が私の太腿を優しく撫でた。


すぐにナイト様が言った意味が分かった。


「ほら、これで満足か?

海に帰る話はまた今度な。」


私が歩けるようになったあのすごい魔法を一瞬で取り上げたらしい。


「また今度って…いつなら聞いてくれるんですか!」


ナイト様は緩く笑うと私の口を塞ぐようにして顎を掴む。

それが少し痛くて怯んでしまった。


「とりあえず、歩けるようになってからな。

それまでこの話は一切聞かない。

怪我をするといけないから練習は程々にしとけよ。」


そんな……。

私が歩けるようになるまでって、何年かかると思ってるの?

私の事が邪魔なんでしょう?

訳のわからないことをせずに私を海に帰せばいいのに。


「俺は今からオークの討伐に向かう。

少し遠いからいつもより遅いと思うがちゃんと帰ってくるからいい子にして待ってろ、いいな?」


嫌だ、なんて言える雰囲気じゃない。

私は口を塞がれたまま何度か頷いた。


私が頷いたらナイト様が私の口から手を離した。


「私…すぐに歩けるようになりますから。

だから、心配しないでください。

それから、討伐気を付けてくださいね。」


ナイト様の機嫌は直ったようでさっき程怖い顔はしていなかった。


「あぁ、すぐに帰ってくる。

不便なことがあれば全て使用人に言ってくれ。

シーラの言う事は全て聞くように言いつけておくから。」


それはどうだろう。

ナイト様の執事やメイドは、ナイト様がいないと私の言う事なんて一つも聞かない。


それを知っているのは私だけだ。


「分かりました、ありがとうございます。

…ナイト様、本当に気を付けてくださいね。」


ナイト様がオークなんかにやられる訳はないけど討伐は何があるか分からない。

また今日もナイト様のことをずっと考えるいた日になりそう。


「あぁ、心配するな。

ちゃんと生きて帰ってくる。」


ナイト様は私の頭を優しく撫でると瞬間移動の魔法で一瞬で消えてしまった。


「はぁ…。」


ナイト様、行ってしまった。

これから何時間か何日かは知らないけど私の味方は誰もいない。


ナイト様がこの部屋からいなくなった瞬間、ノックもなしに部屋のドアが開かれた。


入ってきたのは私が一番嫌いなメイド長のミザリーだ。

今日も黒い髪をまとめて結び、神経質そうな表情をしている。


「これ、勝手に着ておいて。

掃除は公爵様がお帰りになる時にするから。

食事は自分で済ませてちょうだい。

残り物以外を食べたら追い出すからね。」  


おそらく無理だろうけど一応頼んでみよう。


「あの…食事はこの部屋に」

「どうして私が魚の言うことを聞かないといけないの?」


バタン!!!と大きな音を立ててドアが閉められた。

これは、断食かな。


まぁいいや、最近太った気がしたし体重が減ってちょうどいいよね。

何事もポジティブに考えよう。

ナイト様がいないこのお城ではそうでもしないとやっていけない。


気を取り直して歩く練習をしよう。

私が歩けるようにならないとナイト様は取り合ってくれない。

試しにベッドを降りてみる事にした。

どうにか這ってベッドの端に移動する。

床に爪先を付けてみるけど驚くほど力が入らない。


「……。」


足の力を取り上げられてよく分かった。

私は本当にナイト様に迷惑をかけていたんだって。


1日でも早く歩けるようにならないと。

ナイト様はぶっきらぼうな所があるけど根が優しいから私を突き放していないだけ。

あの女の子達が言ってたじゃない。

ナイト様の友人から直接聞いた事だって。


ナイト様は基本的に他人に自分の話をするタイプの人間じゃない。

それなのに友人に私の事を話したって事は相当思う所があったんだと思う。 


それを考えたら1秒でも早く歩けるようにならないと。


「よし!」


私なら大丈夫よ。

絶対にできる!!!

意を決して思い切り床に足をつけた。


その結果は…

「ぎゃっ!!」

バターン!!!!!


「うぅ〜っ」


痛い……おでこ打った………。


心が折れそう……じゃない!!!

私は上半身だけ起こして自分の両頬をバチっと挟むようにして叩いた。


めげるな!絶対できる!!

私は人魚よ!!!

海の悪魔と呼ばれている生き物なんだから!


歩くなんて簡単!

泳ぐよりも簡単なんだから!!!

とりあえず四つん這いになってみた。

ここからが大事、踏ん張って立つのよ。


「ん゛ー!!!!」


頑張れー!!!!私!!!!


奮闘する事30分…


「はぁ…はぁ…はぁ………。」


歩くどころか掴まり立ちがやっとだ。

人間ってすごい…一体どうやってあんなにスタスタ歩けるようになるの?それより暑い!


体中の水分がなくなってしまいそう。

喉乾いたなぁ……。

水は厨房にしかない。

厨房は一階、ここは三階、これは困った。


どうやって水を取りに行く?


歩いて行くのはまず無理だろう。

こうなったら這って行くしかないわ。

人魚に水は必要不可欠。

人魚は陸にいると人間よりも早く脱水症状が出る。

だから早めに水分補給をしたり水に入ったりしないといけない。

この体だから全てのことに時間がかかる。


見つかった時にはミイラでした、なんて洒落にならない。


ドアまで這ってようやく廊下に出た。

このお城は本当に広いから廊下が信じられないくらい長い。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


這うのも楽じゃない、とにかく水がほしい。


廊下をひたすら這っていると…


「見てよ、あれ。」

「やだー、誰か助けてあげたら?」

「嫌よ、生臭くなりそうだし。」


私に聞こえるようにわざと悪口を言う3人のメイド達。


失礼しちゃう、私は生臭くなんかないわ。

口答えしたいところではあるけど、こんな状態ではどんな意地悪をされるか分かった物じゃない。

ここはグッと堪えてとにかく水を確保するのよ。


「よく堂々とここにいられるわよね?」


「そうよ、あの魚のせいで公爵様のご結婚が遠ざかっているって言うのに。」


「出て行く気がないならさっさと死んでくれた方が公爵様のためよ。」


うるさい、うるさい、うるさい!!

聞きたくないことばかりが聞こえてしまう。

私だって、ナイトの邪魔になるくらいなら出て行きたいよ。


今私が一番惨めで恥知らずで邪魔な存在なのはよく分かってる。


それは、本当によく分かってるよ…

だけど……だけど……


「ひくっ…ひっ…ぅっ…」


生きることくらい許してよ。

ここにいるのはつらいけど死にたいわけじゃない。

ナイトにこの事を言いつけたらどうなるだろうか。

あのメイド達に何か罰を与えてくれる?

私は最低な女だ。

図星をつかれたと言う理由で彼女達を苦しめたいと思ってしまう。


傷つけられたからと言って誰かを傷つけていいわけじゃないのに。


泣いていると彼女達が近付いて来た。


「可哀想〜、泣いちゃった〜。」


「あはは!見てよ!本当に惨め!」


「いつもあるナイト様の魔力が微塵もないわね。足の魔法を取り上げられたってことは追い出されるのも時間の問題なんじゃない?」


つらい、言い返したい。

それなのに涙ばかりが溢れた。


「ビービー泣いてないで何か言いなさいよ!」


ドカッ!!

「うっ!!」


脇腹を蹴られるとは思っていなかった私は完全に無防備な状態だったから、痛みがもろに襲ってくる。


「あはは!やめなよ!死んじゃうってー!」


「こんな事で死ぬわけないじゃない、コイツは一応魔物なんだから。あ、そうだ、いいこと考えた!あんた達、こいつの両脇持って。」


何かきっと最悪なことをされる。

誰がこの立場でもそう感じるはずだ。


「や…やだ!やめて、触らないで!」


私はとにかく暴れた。

その拍子に1人のメイドの顔を引っ掻いてしまう。


「いっ…たぁ…!

よくもやったわね!!!」


もちろん、怒らせてしまった。

それに、彼女の顔が私のせいでみみず腫れになっている。


「ご…ごめんなさい、でも、あなた達が」


「調子に乗らないでよ!!汚い魚の分際で!!

あんたなんかさっさと死ねばいいのに!!!」


怒りを向けられるのは怖い。

私が怯んだ隙を彼女達は見逃さなかった。


抵抗も虚しく私は2人のメイドに両脇を抱えられて引き摺られて行く。

その先にあるのは長い階段だ。

もう、何をされるかは分かっていた。


メイド2人は私の左右の腕を掴んで膝立ちのような姿勢にさせる。

私は恐怖で震えていた。


「やだ、やめて…お願い…お願いします…。」


情けない程涙が溢れて許しを何度も乞うけど、彼女たちの意思は変わらない。


「ほら、さっさと地獄に落ちなさいよ!!」


左右の腕を持っていたメイドが私の腕を離した瞬間、私の後ろにいたメイドに思い切り背中を蹴られた。


体は重力に負けて、吸い込まれるように階段を転がって行く。


「ゔっ!!あ゛っ!!!ぎゃっ!!!」


体中にアザができたのが分かった。


「「「あははははっ!!!」」」


下の階に転がり落ちた私は彼女たちの甲高い笑い声を聞きながらそっと意識を手放した。


ガタン………ガタガタ…

あれ?何の音だろう。

それより体が痛い。

早く起き上がらないとまたあのメイド達に何かされる。


とにかく目を開けて。

私はあんなメイド達に殺されてあげる程親切な女じゃないでしょう?


自分に言い聞かせるようにして重い瞼をゆっくり開けた。


………………ん????????


視覚からたくさんの疑問が浮かび上がってくる。

え??何で??何?何??

何で私、馬車に乗ってるの?

嘘嘘嘘、つい数秒前まで階段の前にいたよね?


メイド達に意地悪されて落とされて、ちょっと目を瞑ってしまっただけだよね?

馬車に付いている窓から外の様子を見た。

驚くことに、外は真っ暗。


絶対におかしい。

だって、さっきまで朝だったんだよ??


嘘でしょ?ちょっと待ってよ。

とりあえず落ち着こう。

おそらく私はあのまま長い間気を失っていたのよね、それはわかる。

ただ、どうして馬車に乗せられているの?


ジャラ……。


「え?」


何この手錠…。

誰が私にこんなことをしたの?


どうにかこれを外したい。

何度も枷から手首を抜こうとするけど無駄な足掻きだ。

擦れた手首が痛いだけで手錠はまるで緩まない。

そもそも痛いのは手首だけじゃない。

全身が痛くてつらい。


正直、ゆっくり横になっていたい気分だ。

陽が落ちるまで眠っていたと言うのに。

私が手錠外しに奮闘していると、突然馬車が止まり体が椅子から投げ出された。


ドスッ!!!

「ゔっ…!!」


今日はとことん床と仲良くなる日らしい。

痛みを堪えて体を起こすと突然馬車のドアが勢いよく開かれた。


そこに立っていたのは見たことのない男だった。

男にしては背が低く、痩せ細っている。

目付きも悪いし出来ることならこの男の人とは関わりたくない。


「あ…あの……私」

「来い。」


問答無用らしい。

男は私の手錠の鎖を掴んで馬車から引き摺り出した。


もちろん、馬車から降ろされた時にまた地面とご挨拶をすることになる。


ドスッ!!!

「うっ!」


ただ違ったのは、床よりも痛くなかったということ。

それに冷たい潮風が気持ちいい。

懐かしい香りで胸がいっぱいになった。

ここは、私が帰ろうとしていた場所。


海だ。


男は容赦なく私を引きずって行く。


「チッ!!さっさと歩けよ!!!」


そんなに怒られても仕方がない。


「歩けないんです…!!」


ズルズルと引き摺られていくから砂浜に私が通った跡が残った。


「クソ!面倒事押し付けやがって!!!

公爵だか何だか知らないが謝礼金はたんまりもらってやるからな!!」


男の発言に私は耳を疑った。


公爵とはもちろんナイト様のこと。

そして、この男はおそらく誰かに命令されて私をここまで捨てに来たんだ。

きっと、あのメイド達よ。

ナイト様が私を疎ましく思っているとしてもさすがにこんな酷い真似はしない…と思う。


「誰に…命令されましたか?」


違うよ、きっと違う。


「公爵だよ!公爵!!

ナイト・レイジリアン公爵、お前の主人だった男だ。可哀想になぁ?用がなくなればポイだ。

どうせ他に女ができたんだろ、金持ちは次から次へと女を変える。そう落ち込むなよ、どんなに惨めでも俺は笑わない。」


ニヤニヤしながら男が言う。

この男は自分の事は棚に上げて私を惨めだと思っているらしい。


惨めなのはお互い様だ。

私は私で別れの挨拶すらできずゴミのように捨てられて、このいろいろと貧しそうな男は10以上も年下の男に金で雇われ言いなりになっている。世の中、こんなもんなのよね。


でもよかった、殺されていないんだから。

私の命はあのお城の人間達にとっては軽いもの。

今こうして海をこの目で見ているのは奇跡に等しいかもしれない。


でも…ナイト様、本当に酷いな。

一体、いつ帰ってきたんだろう。

今回の仕事は長引くと言っていたから数日は帰ってこないと思っていたのに。


階段から蹴落とされて気を失った私を見つけて、こんな男に私を捨てに行かせるなんて。

惨めにも生かされたんだ。

私、これからずっと一人ぼっちだけどちゃんと生きていけるかな?


「ほら、これ以上は服が濡れるから這っていけ。絶対にあの公爵の城に戻るんじゃねぇぞ。

戻ったら俺が金をもらい損ねるからな!

ほら、さっさと行け!」


手錠をつけたまま海に入れって言うの?

別に泳ぎに支障はないけど邪魔な事この上ない。

けど、こんな男に手錠の鍵なんて渡していないだろうしなぁ。

あ、そうだ。手錠は鉄でできている。


と言う事は海水にずっと触れていれば錆びて壊れるはずよ。


大丈夫、手錠が錆びて壊れる頃には私はナイト様をきっぱり忘れているはずだから。


もうこれ以上、つらい思いはしたくない。

どんなにナイト様に真意を確かめたくてもお城への帰り道すら分からない。


忘れなさい、手離しなさいって神様が言っているのよ。私には高貴すぎる人だったから。

それに、酷い人じゃない。

最後の最後にこんな事する男なんだよ?

ナイト様は優しいと思っていた。

それに、特別な絆があると思っていた。

全部私の思い違いだったなんて…。


「あはは…。」


私は涙を流しながら乾いた声で笑っていた。


しばらくそこで打ちひしがれていたら…


「シーラ?」


聞きなれない男の声がした。

ショックで耳がおかしくなったんだろうか。

海の方から聞こえてきた気がする。

気のせいだろうけど一応確認しておこう。

私はそっと声のした方へ振り向いた。


そこには私と同じ、銀髪で青い瞳の男がいる。

どこからどう見ても人魚だ。

それに、何だか見覚えがある。

初めて会ったように思えない。


「シーラ、俺だよ。分からない?」


確かに見覚えはある。


「見覚えはあるけど、誰かは分からない。」


正直に答えると青年は少し悲しそうに笑う。


「そうだろうね。

俺は少し変わったから。ルーン、って言えば分かってくれる?」


久しぶりに聞いた名前に鼓動が早くなった。


「え?…ルーン?本当に?あのルーンなの?」


ルーンは私とママがかなり昔いた、人魚の群れの中の一人。

群れのリーダーの息子の名前はルーン。

私はルーンと昔よく遊んでいた。


「久しぶりに会った人には絶対に言われるんだ、それ。」


それは当たり前だと思う。

だって、ルーンは病弱ですごく痩せていたイメージ。

それなのに今はガッチリしているし、尾鰭も長い。


「あの…何と言うか…その、男らしく?すごく格好良くなったと思う。」


悲しみは消え、懐かしい気持ちが広がった。


「ありがとう…。」


少し照れて目を逸らすその仕草は小さい時と変わっていない。


懐かしい思い出が一気に溢れかえってきた。

ルーンは群れのリーダーの子として生まれたけど病弱だったからあまり愛されてはいなかった。


ママは群れにいた頃から私を置いてよく人間の男に会いに行っていたから、私は同じ一人ぼっちのルーンとよく遊んでいた。


ちなみに、群れを出て行ったと言うか追い出されたのはママがルールを破って人間に会っていたからだ。


別れの日はお互い泣いていたのを覚えている。

それがこんなに強そうな青年になってこうして再会するなんて。


「こんなに早く見つけられるとは思ってなかった。ずっと探してたんだ、シーラの事。」


え?私を探してた?


「どうして?」


私とママは群れを追い出された身。

群れは追い出した人魚を探す事はタブーとされている。


「もう一度、会いたかったから。」


たった一言、それは本当に簡単で真っ直ぐな言葉だった。


「それは本当に、すごく嬉しい。

でも群れはどうしたの?

まさか私を探すって理由で追い出されたりとかした!?」


もしもそうなら大変な事だ。

私は一人の人魚の人生を狂わせたことになる。


「追い出されてないよ。

解散させたんだ、俺が。」


解散させた!?ルーンが!?


「まさかとは思うけど、ルーンは群れのリーダーになったの?」


人魚の群れは通常、リーダーを決める時残酷なやり方で決める事が多い。

リーダーを殺した者が次のリーダーになる。


自然界ではごくごく普通のルールではあるけど、私はこのやり方があまり好きじゃない。


野蛮で残酷だからだ。


「うん、なったよ。親父を殺した。

元々、愛されていなかったからそのお返しをしたまでだよ。今思えば、あんな親もっと早く殺しておくんだった。」


優しそうな青年の瞳の奥深くには憎悪が見えた。

確かにルーンは両親から愛されているとは言い難かった。

それでも実の親を殺すなんて……。


「………。」


私が何も言えないで固まっていると、ルーンが私の手をそっと取った。


「大丈夫、許嫁には乱暴な事なんてしないから。」


「許嫁…そんなの昔の話でしょ?」


あなたの両親と私のママが勝手に決めたただの口約束だ。

ママもルーンの両親も死に、群れも解散したならそれはもう事実無根の話よ。


「そうだね、確かに昔の話だ。

でも俺はそれを冗談だと思ったことは一度もないよ。」


ルーンの言葉は真っ直ぐすぎていけない。

まるで自分が求められているような気分になるからだ。

最愛の人に捨てられた今の私の心にはその言葉が恐ろしいほどよく馴染んだ。  


「まぁ、こんな重たい話はまた今度にして今は海に入ろうよ。こんな人目の付くところじゃよくない連中に見つかるかもしれない。」


よくない連中?


「誰の事?」


私はナイト様のお城と学校くらいしか行った事がないからある意味世間知らずだ。


「人狩りだよ。人狩りとは言っても容姿のいい娘や人魚や人狼、珍しいと思うものは何でも攫う。攫った後はオークションにかけたり、金持ちに売ったり、殺して体の一部を売買する輩もいる。」


ルーンのこの説明で嫌なことを思い出した。


ママの元恋人はどうやら人狩りだったらしい。

ママはあんな下劣な男に騙されて殺された。

私だってあの時ナイト様がいなければ……


ダメだ、考えないようにしよう。

もうナイト様と会う事なんてない。

私は捨てられた。

私は私の生きる場所がある。

どんなに胸の傷が痛もうとこれを抱えて生きていくしかないのよ。


勝手に雲の上の人を好きになってしまった代償だ。

そうでも思っていないとやってられない。


「ほら、行こう?シーラ。」


半ば強引に手を引かれて私は元いた場所へ戻る。


「うん。」


今度は昔の友達と一緒に。

これで一人ぼっちではない。

こんなに恵まれていて奇跡のような再会なのに心はどこか空っぽだ。


私がこの先、満たされる日は来るんだろうか…。

途方もない思いを抱えたまま、私は海の奥へと誘われた。

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