第10話
「――さて」
司祭の発した言葉を耳にしながら、貴方は思考を深めていく。
現在の状況は人々にとって、貴方においても、理想に近しいものと言える。
人間が異形の怪物となり、そして同胞たる人々を襲うという悪夢のような状況下に置かれてこそいる。が、その一方で黒曜の神を信仰している者たちは秩序のある生活を保てているためだ。
人々が皆、連綿と伝わる確執と我意を忘却したのなら。
黒曜の神を信仰して、浄化を受け入れられるのなら。
異形と化する最悪の状況は根絶されるに違いない。
無論、幼子の考えるような理想の夢物語ではある。
だが、少なくとも可能性はある筈だ、と貴方は密かに願っている。
願う中、司祭は聖書を開き、聖句を宙に刻んでいく。
「――黒曜の神は慈悲深きことこの上なく、太古の蛇神による白き罪業に苛まれる人の子を、決して見捨てることはありませんでした。黒曜の神は我ら哀れなる人の子のために、黒き涙を流され、人の子が生まれながらに背負わされた白き罪業を、確かに浄化して下さっているのです。人の子を見捨てぬ黒曜の神は我らの寝静まる夜にこそ注意を払い、我らが罪業の深淵に溺れ落ちぬよう、常に見守って下さっています……」
朗々とだが厳かに吟じる司祭の声音は老いた者が出せるとは思えぬ程の雄々しさを感じさせ、同時に静謐でさえあり、それでいて瑞々しい自信に溢れている。
信仰者の中には黒曜の神だけではなく、聖句を詠う司祭をも、信仰の対象として祈っている者もあると言われる。
信仰の在り様は、本当に人それぞれだ。
貴方としては人々が幸福に過ごせるのならそれで良いと思っているし、その信条に踏み込むような真似もしない。
黒曜の神もまた貴方と同様の考えであるのだろう。
自身を信仰してさえいるなら良いと言い伝え、信仰対象が他にあったとしても、その加護を与えないということはなかった。
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