第35話 ベルと、鈴音
ちょっと甘いけど、この甘さが心地よかった。
「おいしいです」
「ありがとうございます。市販のものですが、結構おいしいんですよ」
さっき雨で濡れた身体が、温まる。
「お酒のほうがよかったかしら? 飲まないから、置いてないんだけど」
高齢のナインくんは、よく体調を崩すらしい。
そのため、自動車が不可欠なんだとか。
このマンションに、地下駐車場に自家用車を駐めているという。
「大丈夫です。おいしい」
「ケントさんって、ゲームと同じような優しい人でよかった」
「ボクがですか?」
「……あたし、リアルとゲームと性格が違うから、驚いていませんか?」
「まあ、そうですね。ボクは、そういうものかなって捉えていますけど。でも、どちらも素敵な方だと思っています」
「ありがとう。あたしって、ゲームやっていると、その世界にどっぷりハマっちゃうんですよね。キャラになりきるというか」
ああ、そういうタイプっているね。
「特定の主人公がいるなら、数日そのキャラが抜けなくなるときがあります。キャラメイクのときは、自分の理想とするキャラにしようと試行錯誤しますね」
自分自身を主人公にするんじゃなくて、なりたい自分になると。
鈴音さんにとっては、その手段がゲームなんだろう。
「ベルは、なりたい自分にもっとも近いと思う。素直で、強くて、頼りになるって感じの」
「鈴音さんも、頼りがいがあると思いますけど?」
ボクはフォローするが、鈴音さんは首を振った。
「あたしは、あと一歩のところで押しが弱くて。この間も、クライアントの強引さに押し切られちゃった。もう少し粘っておけば、ちゃんとしたシナリオが作れたのに」
実際にゲーム自体はなんの落ち度もなく、クライアントは満足げだったらしい。
が、鈴音さんは「時間さえあれば、さらにいい表現ができたかもしれない」と、今でも思い出すという。
「ボクにはゲーム制作現場って、よくわかりません。ですが、割り切りは大事かなって思います」
「そうね。納得できなかった部分は次回作で改善って、今は切り替えてる」
「鈴音さんが作るなら、どんなゲームも素敵だと思いますよ」
「乙女ゲーでも?」
「ああ、それはちょっと、プレイしたことはないですねえ」
ボクは、額に手を当てた。
異様に手が熱いのは、ホットココアを持っていたからだけじゃないだろう。
「ムリしてプレイしなくて、いいですよ」
クスクスと、鈴音さんが笑う。
「そろそろ、帰りますね」
ボクは、立ち上がった。長居しては、ご迷惑になる。
「ありがとう、ケントさん。グチっちゃって、ごめんなさい。今日は話せてよかったです」
「はい。あと、ボクのことはゲームと同じように、呼び捨てで構いませんよ」
「いいの?」
「大丈夫ですよ。ケントで」
「じゃあ、ケン、ト」
ボッと、鈴音さんが目をそらした。顔に火がついたように、瞳をうるませている。
ボクも、恥ずかしくなってきた。
「で、では、ごちそうさまでした」
「はい。またいらしてね、ケント」
ペコリと頭を下げて、ボクはいそいそと鈴音さんの家を出る。
「ビビ、もうちょっとだけガマンしてね」
あまりに、暗くなってしまった。濡れてしまったし、駅に戻ってタクシーを呼ぶ。これ以上、ビビのケージを揺らしたくないし。
家に戻って、さっそくオフロを沸かす。
その間に食事を済ませて、ゲームにログインをした。
「ビビ、おまたせ」
『これで、しゃべれるニャー』
久しぶりに、ビビの声を聞いた気がする。
『オフ会のときは、しゃべれなかったからニャー』
「ステータスの確認するから、お話しよう」
『はいニャーン』
装備品のチェックは、さっき済ませた。あとはステータスとスキルに、ポイントを割り振りするだけ。
「ビビは、魔力と素早さだけでいい?」
『いいニャー。ニャアは動き回るから、素早さを優先してほしいニャー』
要望通り、敏捷性にほぼ特化したビルドに。防御は、アイテムで補うスタイルだ。
「装備の更新で、リクエストはある?」
今変えようとすると、全身装備かな。
『暑いのも寒いのもダメニャー』
「わかった。耐性のつく装備で固めようね」
ビビの全身装備を、【耐熱セット】という、『ブレス耐性』つきのものに変えた。
「ボクは防御を上げるね」
せっかくいい武器も手に入ったし、攻撃にも割り振っておこう。あとは置いていかれないように、素早さにちょっとだけ。
「オフ会、楽しかったね」
『みんな楽しそうにプレイしていて、こっちも楽しかったニャー。ペットのみんなも、きっと喜んでるニャ』
特にすしおくんが、案外ウキウキでプレイしていたという。
『アイツは出不精ニャンだけど、ゲーム自体はおもしろがっているニャー』
「そうなんだ」
表情に出ないから、わかんなかったな。
『ケントご主人は、ベルの中の人といい感じだったニャー』
「そうかなぁ? 迷惑じゃなかったらいいけど」
『迷惑だなんて思っていたら、おうちになんて呼んでくれないニャー。怪しまれて、そそくさと帰っちゃうニャー』
ネコとはいえ、鈴音さんとビビは同性だ。
やっぱり、ビビは女性の気持ちがわかるのかな。
『中の人の連絡先も交換できて、一歩前進ニャー』
「前進、なのかなぁ」
だが、その連絡先が、ボクの命を救うことになるなんて。
(第四章 おしまい)
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