ネタ、ネタ、ネタ

てると

ネタ、ネタ、ネタ

 ある夜、友達と通話でこんな話をした。


「なあ、信仰と批判という問題系があるけど、あれはどういうことだろうね?」

「めんどくさい話だなあ。俺はカント哲学やってるけど、カントは信仰と矛盾しないように批判を組み立てたけど、俺はたんに楽しいからやってるんであって、別に問題意識なんてないよ。楽しいから哲学続けてるだけでね」

「そうか、そういうもんか。楽しさ、か」

「そう、ああ、ああ、シェリングもショーペンハウアーも絶対カント読んでた時面白い面白いて言って読んでたはずじゃん?」

「そうすると、どうなんだろうね?批判がそういうもんだとすれば、そして、批判によって全てが冗談みたいな生になる時代が来たとすれば、考えてみると、信仰も壮大なネタなんじゃなかったか?はじまりに惰眠ありき。さあ、この世界の煩いに目を瞑ろう、スヤスヤしよう、寝た寝た、って言って始まって、そうしているうちに壮大な体系が出来上がっていってしまったんじゃないだろうか」

「そんなもんでしょ。信仰って、死んで生きるって言うらしいけど、あれは死んだように生きてるってことだろうからね。死ねば死ぬんだよ」

「そうすると、どうだろう。しかし、批判がなければその壮大なマジになってしまったネタをネタの地位に落とすこともできなかったわけじゃないか?そうすると、批判の重大な意義もある」

「そんなもんねえよ。一つのネタから別のネタの消費に変わっただけで」

「じゃあ、それらへのより高等な言及はネタなのか?もうわからなくなってきた。ああ、もう全部ネタ、ネタ、ネタ。寝る。今日はもう寝る、じゃあね」


 俺は、そうして通話を切り、SNSを見た。タイムラインには、本気なのかそういうネタなのか判然としないような言葉たちが踊っていた。だんだんわからなくなってきた。俺は、寝る前にSNSで、「明後日、奥多摩で山菜採りをやります。参加したい方は、スマホを自宅に置いて、軍手と袋と電車賃だけを持って来てください」と告知した。

 二日後の朝、駅に七名ほどの参加者が集まった。想像を超えた集まりだったので驚いた。道中の電車内で、することもないので、俺たちはくだらない話を延々と繰り返した。しかも、その話の内容はやっぱり、昨日全員のタイムラインに流れて来た話題の繰り返しだった。しかも、話は白熱し、脱線し、しまいには、この集まりが反知性主義のホモソーシャルではないか、などという意見で論戦になる始末。

 乗り継ぎ乗り換えやっと奥多摩に着いた頃にはもう全員くたびれていた。


 ところで、俺は山菜のことなど毛頭知らなかったので、駅に着いてから近くの商店に入り、どこで山菜が採れるのかを聞いた。

「すみません、山菜を採りに行くのですが、いい場所を知りませんか?」

 すると、答えがあった。

「はい?この時期に採れる山菜なんかほとんどないよ、何言ってんの」


……帰りの車内、俺は散々「インパール作戦」などと言われ、解散し、帰って、うどんを三玉食べて、今日のことがネタなら良かったのにと思い、寝た。

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ネタ、ネタ、ネタ てると @aichi_the_east

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