第三章 強敵との対峙
宴を終えた後、俺たちは約束通りに空き家を一軒譲ってもらう。こちらの家も大部屋一つしかなく、板張りの壁も穴が空いたままだった。
先に交代で家に入り、モグリーさんからもらった布の服に着替える。そして、埃被った床の上に藁布団を敷き、俺たちは横並びになって眠りについた。
翌朝、どこからともなく聞こえてくる鶏の鳴き声と、壁の穴から漏れる日差しで、俺たちは目を覚ます。ローリエ劇団を結成し、早速演劇の企画から始めたいところだったが、そういうわけにもいかない。俺たちには村の一員として、村の仕事を行う義務がある。
「正直、まともに仕事ができる状態じゃないんだけどね」
「同感だ」
二日酔いにやられる俺とローラを見て、バトラーさんは何ともなさそうにほっほっと笑った。
外に出ると、すでに村のみんなが集合していた。みんなも飲みすぎて気怠そうにしており、酒の臭いが辺りに充満している。
頭痛が収まらないまま、俺たちはマスコロさんの指揮のもと、仕事を開始した。俺たち男性組は力仕事を、ローラたち女性組は畑仕事を分担して行った。
俺は村の新入りとして、水汲みや木こりなどといった仕事を一心不乱にこなしていく。バトラーさんはご高齢なので、体に負担をかけないよう、子供たちと一緒に木の実拾いをした。
日が昇って昼を迎えたところで、俺たちは一日の仕事を終える。俺は執事の経験が活きたのか、マスコロさんに「ずいぶんと仕事が楽になった」と褒めてもらえた。
しかし、畑から戻ってきたローラのほうは、そうでもないようだ。ローラは肉体労働をほとんどやったことがないからか、疲労困憊になってモグリーさんに運んでもらっていた。
急いで俺がモグリーさんと代わり、大丈夫かと声をかけるも、ローラはヒューヒューと息を荒らげ、返事する余力すら残っていない。みんなもローラを心配してくれたが、唯一パグだけがおかしさのあまりげらげらと笑っていた。
家に戻り、俺が埃だらけの床を掃いている間、ローラが地面に大の字に倒れながら息を整える。そして、不機嫌そうに呟いた。
「悔しいー。これじゃあただの足手まといじゃない、私」
すると、近くからまた笑い声が聞こえてきたので、俺たちはそちらに注目する。どうやら、パグが俺たちの様子を見に来たようだ。
「お嬢ちゃん、やっぱりその口調が素だよなあ。昨日のお偉いさんみてえな口調、どうも似合わなくて気に食わなかったんだよな」
パグの言葉に俺も思わず失笑し、それを見たローラは赤面してしまう。今にも殴りかかってきそうだったので、俺はどうどうと落ち着かせながら説得した。
「パグはよそよそしいって言いたいんだよ。俺たちは今や村の一員なんだから、もう社交辞令をする必要なんてないだろ?」
その通りだと言わんばかりに、パグもうんうんとうなずく。
「まあ確かに、もう礼儀作法は気にしなくていいかもね」
ローラは殴りかかるのを止め、俺の説得にしぶしぶ納得してくれた。
パグと別れて家に入ると、程なくしてバトラーさんが、両手にいくつかのパプリカを持って戻ってくる。曰く、この村では畑の野菜や家畜を、みんなで分け合っているのだそうだ。俺たちは藁の円座に腰かけて、パプリカを残っているパンと一緒に食べた。
「食事が終わりましたら、早速演劇の企画を始めるのですかな?」
先に食べ終えたバトラーさんが、パプリカの種を小皿に入れながらローラに尋ねる。ローラはこくりとうなずいて答えた。
「ええ。私とアスームの二人でやるから、おじいは遠慮せず休んでいてちょうだい」
かしこまりましたと返事し、バトラーさんはぴんと人差し指を立てて言う。
「でしたら、マスコロさんたちに知識共有でもしてみますかな。上手くいけば、食材をもっと幅広くこしらえられるようになるかもしれません」
俺たちに会釈すると、バトラーさんはゆったりとした足取りで家を出ていった。遅れて俺たちも食事を終え、城で作った台本の数々を巾着袋から引っ張り出し、早速選出を始める。
どれが良いかとローラに尋ねてみたところ、すでに心に決めている台本があるようだった。
「最初の公演は『敗走』にしたいわ。それ以外考えてない」
昨夜みんなに演技を見せたときの受けが良かったからだろうか。ローラの相当な入れ込みように、下手すると自己陶酔に浸っているのではないかと、俺は思わず不安になる。
だが、ローラが述べた理由を聞き、その提案が深く練られたものであると知った。
「劇場の常連客からすれば、私たちなんて、ぽっと出の自惚れた凡人の集いくらいにしか見ていないわ。だからこそ、ただの凡人ではないって思い知らせるほどの強烈なインパクトを与える必要があるの」
「だから、陰鬱な『敗走』をあえて選ぶのか」
「そうよ。主演は言うまでもなく私とあなた。私たちの演技で、どれだけ観客を魅入らせられるかにかかっているわ。あと、物語の世界観に浸らせるための演出作りも大事」
俺は感心するとともに、ローラを軽んずるような想像をしてしまったことを悔いた。
「いきなりしょげちゃって、どうしたのよ?」
「いや、すまん。お前がここまでいろいろと考えていたとは思わなくて」
「……それってもしかして、深く考えてないって思ってたってこと?」
図星を突かれて思わず目が泳いでしまい、俺はローラに思いきりすねを蹴られた。
台本の次に、人員を各キャストにどれだけ配分するか、予算はどのくらい見積もるかなどを、俺たちは綿密に話し合う。おおよその企画が固まったころには、外は夕暮れを迎えて紅色の光を落としていた。
あとは城下町に向かい、劇場の予約と材料の調達をするのみとなる。演劇を行ううえで、舞台の下見をする必要もあるだろう。今日はひとまず作業を中断し、その後は水浴びと夕食を済ませ、体を休めることに注力した。
翌朝、朝食を終えて外に出ると、モグリーさんたちがかまどのある小屋に集まっているのを見かける。「早速試してみてくれていますね」と、バトラーさんが上機嫌に呟いた。
曰く、山羊を飼育しているならと、チーズの作りかたを昨日モグリーさんたちに教えたらしい。山羊の胃袋にミルクを入れておくと、凝結してチーズになる。これで少しでも食事の質が向上してくれるのなら、ありがたい限りだ。
みんなと合流すると、俺たちはマスコロさんに、演劇の件で昼に城下町へ向かうと伝えた。マスコロさんから了承を得られたところで、俺たちは安心して仕事に没頭した。
やがて昼を迎え、俺たちは仕事を切り上げて家に引き返す。昼食を終え、近くの川で汗を流すと、俺とローラは早速劇場へ向かう支度を始めた。寒さに備えて毛皮のコートやブーツを身に着け、みんなに一声かけてブライダル城下町へ出発する。
俺たちが向かおうとしている劇場は、名をジオカーレ劇場という。ブライダル城下町の上層に建てられており、よく貴族たちが芸術家たちの公演を鑑賞しに訪れる。
そして、フローラ大陸における芸術を重んじる考えは、ジオカーレ劇場にも色濃く根付いている。つまり、芸術家としての実力さえ認められれば、庶民であろうと劇場の立ち入りが許されるのだ。
いずれ俺たちもそうなると自らを奮い立たせながら、数時間ほどの徒歩を経てジオカーレ劇場に到着する。ブライダル城下町唯一の劇場なだけあって、劇場の周りは大勢の観客たちで賑わっていた。公演が控えているのか、観客だけでなく芸術家たちが出入りしている様子も窺えた。
入口の前にある掲示板には、公演スケジュールのほかに、ここを訪れる芸術家たちの宣伝ポスターも貼られている。その中でも特に際立っていたのが、バレエグループ・ダンザのポスターだった。
バレエグループ・ダンザは、このジオカーレ劇場において、ナンバーワンの地位を確立している団体だ。ブライダル王国代表として何度もアテナに出場しており、「舞踏といえばダンザ」と言わしめるほど、世界各国でも高く評価されている。ジオカーレ劇場の舞台に立つということは、これらの強敵と競争していかなければならないということなのだ。
「見てちょうだい、ドブネズミが紛れ込んでいるわ」
「また思い上がってのこのことやって来たんでしょうね。一流たちの公演の時間を奪われて、いい迷惑よ」
ダンザのポスターを遠くから眺めていたところ、周囲の者たちに失笑されてしまう。俺たちはそれらを無視し、看板の案内を頼りに、エントランスを横切って裏口のほうへと向かった。
裏口の道は劇場スタッフや芸術家たちしか立ち寄らないからか、騒然としていたエントランスと違い、しんと静まり返っていた。壁掛け燭台のみが灯る中、絨毯の敷かれた廊下を渡り、公演者用の窓口へと向かう。
窓口カウンターの前には、二人組が先に並んでいるようだった。ちょうどスタッフとの話が終わったらしく、その二人組がくるりと振り返り、思いがけず目が合う。
一人は、派手やかなプールポワンを着た小太りの男だった。人を見下しているかのような目つきからも、性根の悪そうな人柄が窺える。
そしてもう一人は、縮れた赤い長髪が印象的な女性だった。隣の男と違い、こちらは控えめなデザインのドレスを着ていて、どことなくお淑やかな印象を受けた。
「またドブネズミが現れたか!」
俺たちが通り過ぎようとした途端、男は俺たちを指差し、声高らかに嘲笑し始めた。振り向いて睨むローラに構わず、男は罵倒を続ける。
「いやはや、こいつは傑作だ。君たちはどのようなおままごとをなさるのですかな? 君たちのような身のほど知らずが大金をはたいて公演を開き、無様に恥を晒して消えていく様を、私はこれまで何度も目にしてきた。そのような滑稽な姿を、今回も期待してもいいのですかな?」
不愉快極まりなかったが、男は確かに敗北者たちを多く見てきたのだろう。一流の芸術があれば庶民でも認められるとはいえ、その道は決して楽なものではない。生半可な芸を披露しようものなら、最期まで生き恥を晒していくことになる。そうして、侮蔑に耐えられず自害した者たちがいると、俺もローラから教えてもらったことがある。
一つため息を吐き、俺は赤毛の女性に視線を移す。意外なことに、女性のほうは俺たちを嘲笑う気がないようだった。申し訳なさそうにうつむく女性をよそに、男は下品な笑いを止めることなく言う。
「おお、さすがはチーノ。我らがダンザのエース。このようなクズどもにまで謙虚でいられるとは、器も大したものだな。だが、ドブネズミに頭を下げる必要などないであろう? おぬしは堂々としておればいいのだよ」
俺とローラは息を呑み、互いに目を合わせた。この二人が、かの有名なバレエグループの重鎮たちなのだと理解した。
そして、どうやらローラの闘争心に火がついたらしい。再び男に目を向け、ローラは次に含み笑いを浮かべ始める。
「何も言い返せんのか、このクズどもは? 舞台に立つ前からこの体たらくでは、まるで我々の相手にはならんなあ?」
煽り続けてくる男に対し、ローラは笑みをそのままに口を開いた。
「正直、安心したわ。ジオカーレ劇場のナンバーワンがこのような小物なら、ここでのし上がるのもさぞかし容易なんでしょうね」
「……何だと?」
青筋を立てる男に指を突きつけ、ローラは堂々と言葉を続ける。
「見ていなさい。近いうちに、あなたがたが独占するジオカーレ劇場での地位と人気を、私たちローリエ劇団が根こそぎ奪ってみせるわ。いずれナンバーワンになる劇団の名を覚えて帰ることね」
ローラと男は、無言のまましばらく睨み合っていた。先に痺れを切らした男が、露骨にぺっと唾を吐き、俺たちを横目に睨みながら立ち去る。赤毛の女性は俺たちに一礼し、急いで男の後を追っていった。
バトラーさんがいつものようにほっほっと笑いながら、ローラに言う。
「もう後には退けなくなりましたな。ナンバーワンの者たちを相手に、ここまで大口を叩かれたのですから」
ローラは舌をちろっと出して、いたずらっぽく笑った。つくづくおてんばな姫君だと、俺は鼻でため息をつきながら苦笑いした。
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