第二章 栄光を掴む劇団

 今までは王城の窓から見下ろしてばかりいたので、こうして城下町の景色を間近に眺めたのは久しぶりだった。貴族たちが住むレンガの邸宅も、庶民たちが住む古びた木造の民家も、荒天により等しく大雪に見舞われている。石畳の道に至っては完全に積雪で覆われており、ブーツで深く踏み込んでもなお道が見えてこないほどだった。

 各々の足跡を雪道に残しながら、俺たちは吹雪の中、城下町を下っていく。普段ならば町の入口にも衛兵が見張っているはずなのだが、さすがにこの天候で留まる気にはならなかったようで、今日は誰もいないようだった。氷柱が生えたアーチを潜り、俺たちは城下町から雪原に出て、やがて国境を越えた。


 夜が明けて朝日が顔を出し、次第に荒れ続けていた吹雪が収まり始める。お二人が体調を崩されていないか心配になったが、俺が声をかけると、問題ないとばかりにサムズアップを返してくれた。王族や上級使用人として生きてこられた方々だからか、心も体も丈夫にできているのかもしれない。

 ブライダル王国から遠く離れ、積雪も徐々に少なくなってきた。もう大丈夫だろうと思いフードを外したところ、突然ロリアーナ嬢に頭を鷲掴みにされた。


「あなたはもう執事じゃないんだから、その似合わない髪型もさっさと崩しちゃいなさいよ」


 なんて勝手な真似を、と一瞬思ったが、これから素性を隠して生きていく以上、サイドパートのままでいるのは確かに良くないなと思い直した。整えていた黒髪が見る影もなくぼさぼさになり、俺の髪型はナチュラルショートにリニューアルされた。

 ロリアーナ嬢に「なかなかすてきじゃない」とからかわれていたところ、先に歩いていたバトラーさんが足を止めて言った。


「道が分かれているようですね。いかがなさいますか?」


 俺とロリアーナ嬢も前方に注目してみると、確かに道が二手に分かれていた。直進の道は草原へ、右折の道は深い森へと続いているようである。

 ロリアーナ嬢は顎に手を当て、しばらく黙考した末に答えた。


「森のほうへ行ってみましょ。あっちには確か集落があったはずよ。もしそこに住まわせてもらえたなら、私たちにとって身を隠すのに好都合な住処になるわ」


 地理の勉強もされていたロリアーナ嬢が言うのだから、決して当てずっぽうではないだろうと思い、俺はその案に賛成した。バトラーさんも特に反対しなかったので、俺たちは道を曲がり、森の中へと入っていった。


 寒さにやられて葉を散らした並木道を、俺たちは談話を交えながらひたすらに進んでいく。稚樹もあたりに生えており、同じく吹雪にやられたのか、たくさんの雪を被っていた。

 一方、人の気配は今のところ感じず、雪にまみれた道にも足跡が一切見当たらない。王族の勉学を適当にされていたのではないかと疑ったところ、「ちゃんと勉強していたわよ」と、ロリアーナ嬢に思い切り腕を叩かれた。


 その証言を裏付けるかのように、次第に人の気配を感じられるようになった。遠くのほうで、空に向かってもくもくと煙が上がっているのが見えたのだ。

 ほかだと、道から外れた所にたくさんの足跡があることにも気づいた。このあたりも十分に肌寒いので、焚き火で暖を取るために、普段から枝などを集めているのかもしれない。


 ロリアーナ嬢が待ちきれずに走り出したので、俺たちも駆け足でその後を追う。目当ての集落は、それからすぐに見つかった。

 ブライダル城下町の庶民が住むそれよりももっとおんぼろな木造の民家が立ち並び、外郭には木製の簡易的な柵が張り巡らされている。村の中心では、子どもたちが焚き火の周りに集まり、一緒になってぬくもっていた。先ほどの煙は、あの焚き火から上がっていたものと見て間違いなさそうだ。


「止まれ、おめえら! 一体何もんだ!」


 ロリアーナ嬢が嬉々として村に入ろうとしたときだった。突然、入口の近くで立っていた茶色い短髪の青年が、手にしていた槍を構え、なまりのある声で俺たちを制止した。

 着ている布の服は穴だらけでみすぼらしいが、図体のほうは俺より一回りも大きく、筋骨隆々としている。おそらく、普段から木こりなどをやっていて、自然と身に付いたものなのだろう。

 どう説得しようか悩んでいたところ、ロリアーナ嬢が躍り出て、凛とした態度で青年に言った。


「急に押しかけてしまいごめんあそばせ。私たち、流浪の旅をしておりましたところ、こちらの集落をお見かけしましたの。できればここに滞在させてもらいたいのですけれど、村長さまはどちらにおられますの?」


 淑女らしい言葉遣いも、この集落の者には全く通用しないようで、青年は訝しげにロリアーナ嬢を睨みながら言った。


「そんなふんぞり返った態度で言われても、うさんくささしかねえぞ。おいらたちを騙して泥棒しようとしてんじゃねえのか?」

「かっちーん」


 ロリアーナ嬢が笑みをそのままに青筋を立て始めたので、俺はすぐにロリアーナ嬢を引っ込め、代わりに頭を下げて願い出た。


「我々が流浪の最中にあるのは本当です。今や行く当てがなく、藁にも縋る思いで各地をさまよっているのです。どうか、村長さんにお話だけでもさせていただけないでしょうか? お願いします」


 どうにか俺の誠意を受け取ってもらえたらしい。青年は感心したようにうなずきながら、俺に言った。


「こっちの兄ちゃんは、何だか信用できるな。よし、この兄ちゃんに免じて、おいらの父ちゃんに会わせてやるよ。おいらについてきな」


 偶然にも、この青年は村長さんの息子らしい。青年が先導して歩き出し、俺たちはその後をついて行った。ロリアーナ嬢は明らかに機嫌を損ねていたが、「村に入れてもらえたんだから」と、努めて自分に言い聞かせていた。


「おめえら、家族なんだろうが、できの悪い妹がいて大変そうだなあ」

「ぶっちーん」


 青年の余計な一言により、俺は激昂したロリアーナ嬢をなだめる羽目になった。できればバトラーさんにも手伝ってもらいたかったが、バトラーさんはほっほっと笑いながら傍観するばかりだった。


 村長さんのもとへ向かう途中、青年がパグだと先に名乗ってくれた。俺とバトラーさんは自分の名前をそのまま伝えたが、ロリアーナ嬢だけはローラという偽名で答えた。

 ロリアーナの名をそのまま伝えれば、彼女が王室の者であるとばれかねないから、無理もない。後から「あなたも今後はローラって呼びなさいよね。あと敬語も禁止」と耳打ちされ、俺はパグに気づかれないよう無言のままうなずいた。


 村長さんの家に辿り着き、靴を脱いで中にお邪魔する。中には大部屋一つしかなかった。床は粘土が敷き詰められ、壁や天井は質素な板張りと、王城のそれとは比べものにならないほどに脆弱そうだ。それでも、板の隙間に粘土や苔を詰めて塞いだりと、貧しいながらも工夫を凝らして生活しているようである。

 村長さんは、奥さんと二人でわらの円座に腰かけ、衣服に空いた穴を縫い直している最中だった。二人とも、息子のパグに引けを取らないほどに屈強だ。白い無精ひげが目立つ村長さんのほうは、布の服から筋肉のラインが浮き出ている。奥さんのほうも、俺に劣らないほどに腕ががっちりとしていた。


「ああん? パグ、誰だその連中は?」


 こちらの存在に気づき、村長さんは遠くまで響きそうな野太い声を上げる。パグは村長さんに歩み寄りながら、「行く当てがないやつらなんだとよ」と説明した。次に、俺たちのほうを振り向いて家族の紹介を始める。


「おいらの父ちゃんで、このジニア村の村長を務めているマスコロだ。で、こっちが母ちゃんのモグリ―」

「初めまして、マスコロさん、モグリーさん」


 俺たちは挨拶とともに会釈した。マスコロさんが体ごと向け、じろじろと俺たちを見つめながら言う。


「行く当てがないんだってな。そんで、この村に流れ着いたわけか。あいにく、俺たちは貧困の中を生き抜くのに必死で、人を歓迎するほどの余裕がないんだよ」

「そうですか……」


 無理もないか、と大人しく引き下がろうとしたところ、ローレリア嬢――いや、ローラが急に躍り出て、マスコロさんへの説得を始めた。


「不躾な真似をしてごめんあそばせ。それでも私たち、居住できる場所がどうしても必要ですの。村の仕事は当然手伝いますし、必要でしたら金の工面だって可能な限りやりますわ。あなたがたの負担にはなりませんことよ」


 パグが奥さんと一緒に、うさんくさそうな顔をして言う。


「そのお偉いさんみてえな物言いがうさんくせえんだって。適当にほらを吹いているだけなんじゃねえのか?」


 ローラは胸に手を当て、なおも毅然とした態度で続けた。


「嘘なんかではありませんわ。私たちは本当に、新たな寝床がほしいだけ。たとえ寝床がなくとも、私たちは村の一員として、あなたがたの生活を支えるために尽くすことを誓いますわ。どうか信じていただけないかしら?」


 パグたちが首を傾げる一方で、マスコロさんはローラの説得を少しでも信じる気になってくれたようだ。無精ひげを親指でさすりながら、マスコロさんは一つ提案する。


「じゃあ、こうするか。今、畑の収穫が足りなくて、大人たちが飢えを我慢しながら暮らしているところなんだ。もしお前さんが助けてくれたなら、ちょうど空いている家に住まわせてやるよ」

「感謝しますわ、マスコロさん」


 スカートを持ち上げ、ローラは上品に会釈した。そして、俺のほうを振り向き、逃亡の際に持ち出していた巾着袋を取り出して言う。


「今から城下町の質屋に装飾品を売りに行くわよ、アスーム。本当は演劇をするときの資金に充てるつもりだったけど、四の五の言ってられないわ」

「装飾品をですか?」


 思わず仰天したところ、ローラに「敬語はやめなさいって言ったでしょ」と怒られてしまった。

 巾着袋から宝石箱を取り出し、断りを入れて蓋を開けてみると、指輪やネックレス、イヤリングやなどといった、豪華な装飾品の数々が姿を見せた。ランプよりも眩い光沢を放っているのではないかと錯覚してしまうほどだ。ローラが前まで着けていた、宝石だらけのティアラまで入っている。パグたちが騒然としていることに気づいたところで、俺たちは慌ててそれらを袋の中に戻した。


「となるとローラさん、私めは村の外でお待ちしていたほうがよろしいでしょうか」


 バトラーさんの問いに対し、ローラは「お願い」とうなずいて答えた。

 パグの家を後にし、一旦村の外に出る。城下町へ向かう前に、俺たちは金目の物以外を巾着袋から取り出し、バトラーさんに預けた。中身がだいぶん空いたところで、俺たちはバトラーさんを残し、フードを被って出発した。


 逃亡していたときのことを振り返ると、ブライダル城下町から質屋まで、往復でおよそ四時間といったところだ。朝に出発したので、昼食までには間に合わせようと思い、俺たちは早足で道なりに進んでいった。

 吹雪が収まっていたからか、それとも歩きなれたのか、思いのほか早く城下町に辿り着く。日中は多くの貴族や商人たちが入口のゲートを出入りしており、衛兵たちも引き留めるようなことはしていないようだった。念のため、通りかかった馬車に隠れながら、俺たちはゲートを通過した。


 城下町は主に、庶民が暮らす下層と、貴族が暮らす上層の二つに分かれる。そして、目的の質屋は上層のほうに建てられている。俺たちはフードを深く被り直し、除雪作業に明け暮れる庶民たちを尻目に上層へと向かっていった。

 上層に着き、装飾品が展示された店を見つけ、早速中に入る。店員も貴族の客たちも、貧しい格好で来た俺たちを目にするなり、後ろ指を差して不快そうにひそひそ話を始めた。しかし、俺たちが貴族ですら持っていないような高級品の数々を取り出したときには、みんなしてばかみたいに大口を開けながら立ち尽くしていた。


 大方予想はついていたが、庶民が高級品を持ち出してきたものだから、泥棒なのではないかと思われたらしい。売却をしているときは咎められなかったが、金で膨れ上がった巾着袋を担いで店を出た後、俺たちは何者かによる尾行を受ける。

 仮に衛兵でない貴族だったとしても、何かといちゃもんをつけられて金を横取りされるだけだろう。どうせろくな目に遭わないのは目に見えていた。


 すぐさま路地裏に逃げ込み、複雑に入り組んだ細道を全速力で駆け抜ける。慌てふためく追っ手の声が次第に遠のいたところで、俺たちは安堵しながら路地裏を抜け出した。

 すると、知らぬ間に城下町をずいぶんと下っていたようで、俺たちは庶民が住む下層の一角に出た。長居はできないと思い、すぐに用事を済ませようとしたところ、あるものが目に映り、俺たちは足を止める。


 異様な光景だった。道の真ん中で、数百人はくだらないほどの人だかりができている。そのどれもが庶民で、みんなして驚嘆の声を上げていた。

 俺は気にせず村へ戻ろうと提案する。しかし、ローラに覗くだけしたいとごねられたので、俺は逆らえずに従った。

 巾着袋を懐に隠し、はぐれないようにローラの手を引っ張りながら、人混みを掻き分けて中へと進んでいく。少しばかり、生ごみのような腐臭がつんと鼻についた。

 どうやら、この人だかりは輪をなしているようだ。やっとの思いで最前列に辿り着くと、同時に聞き覚えのある声が耳に入った。声の主に注目し、その正体に俺たちは思わず唖然とする。


 輪の中心で声を上げていたのはほかでもない、このブライダル王国を統べるリシャール王だった。あごに白いひげを蓄え、鷹の紋章が描かれたマントを羽織り、眩いほどに宝石が輝く王冠を被った、いつものお姿である。指一本触れさせないよう、五人ほどの近衛兵を従えておられた。

 普段王城におられるかたが、城下町の下層に降り立ち、庶民たちの前で話をなされることは、普通ならばありえない。なぜこのようなことをなさっているのか疑問に思っていたところ、リシャール王が深刻な顔を浮かべながら口を開いた。


「安易に混乱を招くべきではないと思い、最初は事実を話すのを躊躇した。だがもう、四の五の言っている場合ではない。わが長女のロリアーナが、昨夜から姿をくらましているのだ」


 リシャール王から告げられた事実を聞き、庶民たちは息を呑み、どよめいた。リシャール王の言葉は口伝てに広がり、通り過ぎようとしていた者たちの耳にも届いた。最終的に、その場にいる者全員が、足を止めてリシャール国王の言葉に傾聴し始める。

 熱気で蒸し暑くなるほどに人だかりが膨れ上がっていく中、リシャール王は言葉を続けた。


「王城のどこを捜索しても見つからなかった。そして、娘のほかに二名の執事も行方不明となっていることを確認した。娘には私も手を焼かされていたから、おそらくはその二名を従えて雲隠れしたものと見ている。二名の親族が住む家へ確認に向かったが、やはり姿を見せてはいないようだった」


 愛娘が自分のもとから突然いなくなり、相当にお辛い思いをなされたのだろう。庶民たちの前であるにもかかわらず、リシャール王は耐えきれずに大粒の涙を流し始めた。近衛兵の一人に体を支えてもらいながら、リシャール王は懇願するかのように続ける。


「誰でもいい。我が娘ロリアーナを目撃した者は、このリシャールにぜひとも伝えてほしい。どんなに些細な情報でも構わない。そして、もしロリアーナの耳にこの言葉が届いたならば、どうか考え直しておくれ。不満があったならば謝る。望みがあるならば聞き入れよう。お願いだから戻って来ておくれ……」


 リシャール王は言葉が詰まり、膝を突いて涙だらけの顔を地面にうずめ、悲痛の限りに号泣する。聴衆が唖然とする中、俺がローラにちらと目を向けると、父を悲しませた罪悪感のあまり顔を真っ青にしていた。


「アスーム、私、お父さまに謝らないといけない……」


 ローラがぽろぽろと涙をこぼし、うろたえながら声を震わせて言う。良心の呵責に苛まれながらも、俺は厳格に言葉を返した。


「行くな、ローラ。俺たちは後に引けない選択をしたんだ。演劇でアテナの舞台に立つって誓ったんだろ。お前の決心はその程度のものだったのか?」


 ローラはむせび泣きながらも、しばらくの葛藤の末、リシャール王のもとへ向かうのを堪えた。決別するかのようにリシャール王に背を向け、ローラは群衆の輪を抜け出していく。俺もすぐにその後を追った。

 駆け足で群衆から遠く離れ、また路地裏に逃げ込んだところで、ローラは足を止めてうつむく。俺が「ご無礼をお許しください」と詫びると、ローラはぶんぶんと首を振り、言った。


「叱ってくれてありがとね、アスーム。おかげで夢を諦めずに済んだわ」


 ローラは腕でごしごしと涙を拭き、両手でパンパンと強く頬を叩いた。そして、活気の戻った声で俺に呼びかける。


「さあ、パンをたくさん買って帰るわよ。みんなを長く待たせるわけにはいかないわ」

「あまりご無理をなされては――」


 先に歩き出したローラに心配の声をかけたが、ローラに「敬語禁止!」と怒られてしまった。どうやら、先ほどの荒っぽい口調がむしろちょうどいいらしい。


 その後、下層にいる商人から山ほどのパンを買い、俺たちは今度こそ城下町を後にした。すでに昼を回っていたので、道草を食わずに村へとまっすぐ帰っていった。

 荷物を抱えて待ってくれていたバトラーさんと合流し、俺たちは再び村長たちのもとへ赴く。紙袋に溢れんばかりに詰まったパンが目に留まったのか、いつの間にか子供たちがよだれを垂らしながら後をついて来ていた。


「まさか本当に持って来ちまうとはなあ」


 子供たちだけでなく、家で待っていたパグたちも、驚愕のあまり口をあんぐりと開けていた。すぐにでもみんなにパンを配ろうとマスコロさんが提案し、俺たちも快諾して手伝った。

 村人一人ひとりに手渡すと、子供たちはたいそう喜んでパンにかじりつき、大人たちも両手を組んで崇めるかのように感謝した。そしてみんな、俺たちのことを村の一員として受け入れてくれるようになった。俺たちもまた、笑顔を向けてくれるようになったみんなに頭を下げ、感謝の意を示した。




 食欲を抑えきれないパグの提案により、その日の夜に急遽キャンプファイヤーをすることとなる。俺たちは村の中心にある焚き火に集まり、食べかけのパンを携えて宴を始めた。

 生の野菜や鹿肉が盛られた陶器の大皿が、俺たちのもとへ運ばれる。マスコロさんやモグリーさんの二人がそれらを串に刺し、俺たちやほかの村人たちに手渡してくれた。

 受け取った串を焚き火で炙り、村人たちをまねて豪快にかじりつく。王城で暮らしていたころと比べて貧相な食事ではあったが、みんなの歓迎してくれる気持ちが何よりもうれしかった。


 三人で地べたに座って食事を楽しんでいたところ、パグが俺たちに陶器のカップを持ってきてくれる。中にはビールが入っていた。寒さに見舞われる北方ではぶどうを栽培できないため、庶民はワインの代わりにビールをよくたしなむ。

 ビールに鼻を近づけて嗅ぐと、酒とは程遠いほどに甘くスパイシーな香りがした。すぐにそれがシナモンによるものだと理解した。ビールやワインはそのままだと酸っぱくて飲めたものではないため、庶民は香辛料や生姜などを入れて飲みやすくするのだ。

 舌で味わってみると、ビールともシナモンとも言えない味がした。王城では良質な酒を飲んでいたので、庶民生まれの俺にとっては懐かしさを覚えるものだった。バトラーさんも含味を楽しんでいるようだったが、一方のローラは初めての味に全く慣れず、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべていた。


「わりいな、お嬢ちゃま。おめえにビールはまだ早かったみてえだ。がきんちょたちと同じミルクにしとくか?」

「結構ですー!」


 ここぞとばかりにうきうきで煽るパグに対し、ローラはしかめっ面をそのままに怒鳴った。俺もバトラーさんも思わず吹き出してしまった。


 串焼きもビールも十分に満喫し、俺たちは焚き火の周りで踊る村人たちを眺める。すると、マスコロさんとパグが俺たちの前で腰を下ろし、尋ねてきた。


「お前さんたちは、この何もねえ村で何をするつもりなんだ? 本当にただ寝床がほしいだけなのか?」

「それは……」


 演劇をしたいという目的を正直に打ち明けていいものなのか、俺は返答に窮した。


「別に答えづれえなら、無理して答えなくていいんだ。ただ気になっただけだからよ」


 俺の困り顔を見てか、パグが遠慮してくれる。ちらとローラのほうを見ると、ローラもあごに手を当て、話すか否かを悩んでいるようだった。

 バトラーさんも沈黙に徹しており、判断をローラに委ねるつもりらしい。しばらく長考した末、ローラは決心したようにうなずき、立ち上がって答えた。


「わかりましたわ、正直に話しましてよ。私たち、演劇でアテナの舞台に立つのを夢見ておりますの。そのために、身分を捨てて故郷を離れ、ここに流れ着いたのですわ」

「演劇だあ?」


 パグがあまりにも大きい驚嘆の声を上げたものだから、踊りを楽しんでいた村人たち全員がこちらに注目した。こほんと咳払いし、ローラは話を続ける。


「ええ、演劇ですわ。そのために、私はこれまでずっと演技の練習を続けてきましたの。アスームも脚本家として、おじいは音響としての確かな素質を持っていますわ。ほかに信頼できる仲間を集めて、ブライダル城下町の劇場で公演を開くことが、当面の目標でしてよ」


 全く期待しておらず、パグはやれやれと言わんばかりに両手を上げた。


「アテナって、世界的な芸術の祭りか何かだろ? それに出ようなんざ自惚れがすぎるぜ、ローラお嬢ちゃんよ」


 パグの意見は至極真っ当なものだ。それでもプライドが許せなかったようで、ローラはむっとなって言い返す。


「なら、本気の演技を今からお見せしますわ。自惚れかどうかはそれを見てから判断なさいな」


 ローラが焚き火の前に躍り出て、村人たちを注目させた。そして次に、俺を手招きして呼び、耳打ちで命令する。


「『青空』の台本、覚えてるわね? あなたは自害した友人の役をやりなさい。座ってるだけでいいから」

「正気か?」


 俺は思わず耳を疑った。『青空』は敗戦した兵士の逃亡を描いた陰惨な物語で、万人受けするような内容ではない。子供たちもいるのに本気でそれにするつもりなのかと疑問に思ったが、ローラの闘志に溢れた目を見るに、意地でもパグたちをわからせたいようだ。

 仕方なしに、俺は言われるがままにその場で座り、首を垂れたまま静止する。子供の一人が「何してるのー?」と尋ねてきたので、俺が「死んだ友人役だ」と答えると、村人たちは滑稽なあまりどっと爆笑した。


「お待たせ、ウィリアム! 大収穫だったわ!」


 隣にいたローラが早速演技を始めたので、俺は死体役の演技を再開した。笑いがまだ収まらないながらも、村人たちは口を閉じてローラの演技に注目する。

 ローラの両手には、村人たちが食べ終えた後の串が抱えられていた。台本では木の実を抱えており、それを飢えた友人に食べさせようとする。しかし、友人が主人公に迷惑をかけまいと、先に命を絶ってしまうというシーンだ。


「そんな、ウィリアム、どうして」


 ローラが木の実に見立てた串を取り落とし、絶句しながら俺のもとに駆け寄る。まだ演技としては序盤だったが、この時点で村人たちは笑うのを止め、しんと静まり返った。

 ローラはまだ、台詞らしい台詞を口にしていない。それでもなお、息遣い、表情、足の運びかたなど、演技に使えるものを余すことなく使いこなすことで、村人たちを瞬時に黙らせ、虜にした。

 俺が何度も経験した、登場人物が本当に目の前にいるかのような錯覚を、パグたちも同様に味わっていることだろう。まさに、ローラにしかできない演劇のマジックだ。


「ようやくあなたと仲良くなれたのに。あなたのこと、もっと知れるところだったのに」


 亡骸となった友人役の俺を抱え、ローラは声を震わせて悲嘆する。大粒の涙だって、感情移入を徹底するローラにとってはお手のものだ。俺の頬に涙の粒をこぼしながら泣き崩れ、ここでローラは演技を止めた。


 ローラが立ち上がって涙を拭い、村人たちのほうを向いて反応を窺う。子供たちは予想通り、シリアスなシーンを目の当たりにし、恐怖で親に泣きついていた。一方の大人たちはというと、呆然として黙り込んだまま微動だにしない。

 期待に沿えなかったかと、俺が立ち上がって詫びようとしたときだった。マスコロさんがパチパチと、沈黙を打ち破るように拍手してくれたのだ。


「すごいな。正直、ここまでとは思わなかった。本気で演劇に取り組んでいるんだな、お前さんたち」


 ずっと動かなかったほかの村人たちも、マスコロさんの拍手を皮切りに、一斉に拍手喝采を送ってくれた。どうやら呆れていたのではなく、感動のあまり言葉を失っていただけらしい。子供たちをあやしていた親たちも、俺たちを責めることなく称賛してくれていた。

 予想以上の反応を受けて呆然とするローラに、俺は手を出してハイタッチを促す。俺の手を叩くと、ローラはようやくえへへと照れ笑いした。


 途端、パグが俺たちのもとへやって来た。ローラが訝しげな顔をして身構えていたところ、パグは急に深々と頭を下げ始めた。


「わりい、ローラお嬢ちゃん! まさかこれだけすげえ演技ができるとは思わなかった。でっけえ夢を掲げるだけのことはあるな」


 ローラの演技が認められ、俺は得意げになりながらパグに言った。


「すごいだろ、ローラの演技は。俺たちも、ただのわがままに振り回されているわけじゃない。ローラの実力を信じているからこそ、俺たちはローラについて行くって決断したんだ」


 納得したようにうなずきながら、パグは言う。


「そうだろうな。こうして今、お嬢ちゃんの演技を目の当たりにして、同じことを考えたやつも少なくねえだろうよ。おいらだってそうさ。お嬢ちゃんと違って、おいらは木こりくらいしか取り柄がねえけどな」


 予想外の宣言を聞き、俺たちは互いに目を合わせて唖然とする。パグだけでなくマスコロさんたちまで、気持ちは同じであるとばかりに、立ち上がって俺たちのもとへ集まってくれた。

 スカートを持ち上げて会釈し、ローラは口を開く。


「きちんとした演劇を開くには、働きバチのように多くの人員を必要としますわ。あなたがたが協力してくださるのなら、これほどうれしいことはありませんわ」


 バトラーさんもローラの横に立ち、一緒になって頭を下げた。俺もそれに続き、村人たちに助力を乞う。

 もう、ローラをただの自惚れ屋だとばかにする者は、誰一人としていなかった。みんな、口笛や拍手とともに、俺たちの仲間になってくれることを快諾してくれた。俺とローラは安堵し、一緒に深々と頭を下げて感謝する。


「演劇を開くってことはよ」


 賑わいが絶えない中、不意にマスコロさんが質問してきた。


「バレエ団みたいに、俺たちも劇団を作るってことだろ? どんな名前にするか決めてんのか?」


 俺は返答に窮してしまった。ローラもすぐに答えられないあたり、どうやら劇団の名前については何も考えていなかったらしい。

 何か良案がないか、俺たちが唸りながら考えに耽っていたところ、横にいたバトラーさんが挙手して提案した。


「もし名前が決まっていないのでしたら、ローリエ劇団というのはいかがでしょう? 団長になられるであろうローラさんの名前から連想しました」

「それって、香辛料とかに使われる、あの?」


 目をぱちくりさせながら訊くローラに対し、バトラーさんはこくりとうなずいて、言葉を続ける。


「ええ、そのハーブで間違いありません。別名で月桂樹とも呼ばれています。そして、ローリエには『栄光』の花言葉が含まれているのです。いつかアテナの舞台に立つ私たちにふさわしい花言葉だと思うのですが、いかがでしょう?」


 俺とローラは快く賛同し、「ローリエ劇団」の名を採用した。同時に、さすがはバトラーさんだと心の中で感心する。

 バトラーさんは、俺やローラが困っているときに陰で何度も手助けしてくれた、優秀かつ寛容なおかただ。身勝手ながら、逃亡の際にバトラーさんを連れてこれて本当に良かったと、俺は密かに胸を撫で下ろした。


 村人たちを呼んで再び注目させ、ローラは声を張る。


「みなさま! まずは私とアスームの二人で、最初の演劇を企画しますわ。次に、ブライダル城下町の劇場で公演の予約を押さえますわ。そこまで終えたら、みなさんには本格的に稽古を始めてもらいますわ。忙しくなりますわよ。ローリエ劇団の栄光のため、ともにベストを尽くしましょう!」


 ローラの掛け声を皮切りに、村人たちは頼もしいばかりの鬨の声を上げてくれた。

 村の仕事もあるだろうに、ここまで親身になって協力してくれるとは、村のみんなには感謝してもしきれない。みんなの好意に報いるためにも、必ず演劇を成功させようと、俺は胸中で強く誓った。おそらくは、隣のお嬢さまも同じことを考えてくれていることだろう。

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ローリエを捧ぐ 阿瀬ままれ @asemamire_m

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