第6話 始まり
私はそのままリアを自室へと招き入れると、早速話を進めた。
「んーと……私に手を出す者を排除って言ってたけど、それってどのくらいいるの?全く身に覚えがないんだけど」
切り口としてその質問を選ぶと、いきなり予想とは大きく異なる返答が返ってきた。
「そうですね。毎日……とまでは言いませんが、そのくらいは」
「いやいや、私ってずっとこの家にいるよね?社交の場にも出てないし」
「堂々とそんなことを言うのは貴族としてはどうかと思いますが、今はいいでしょう。おっしゃる通り、この家で、ですよ」
信じられない。
今や魔族領と隣接する地域となったヘヴラウ領では、皮肉な事にも以前よりも団結が強まっている。
その中枢ともいえるこの家で、子女である私に手を出そうとする者など、そうはいないはずだ。
そんな反論をしてみたが、リアはあっさりと首を振った。
「わかっていましたが、オリーシャ様は純粋すぎますね。弱者というのは、強い力の前には従うしかないものなのです」
「弱者って、ここの使用人たちのこと?」
「はい。彼らに金でも握らせたのか、弱みでも握っているのか、脅しまがいのことでもしているのか……その方法まではわかりませんが、圧力をかけて操ることなど造作もありませんから」
「いやー、なんか、忠誠心とかそういうのはないわけ……?」
「あったとして誰しも自分の身が一番大切なものです」
貴族と従者たちの美しい信頼関係のようなものが否定された気がしてどこか少し残念だが、それは間違いなく事実だろう。
実際、私はその思想で凝り固まっている。そんな私が他人に忠誠心が足りないとか文句を言うのは筋が違う。
それよりも、家の中が安全ではないというならば、それに伴って湧いてくる疑問があった。
「普段結構一人で自由にさせてもらってるけど、あれは平気なの?」
「当然、配慮はしていますよ。あからさまな監視などはオリーシャ様が嫌うので避けていますが、居場所は常に把握し近づく人間がいないか確認しています」
「へー……あれ、でもさっき「リアが私のことを探してる」ってアレクが私の元に来たけど」
「私が行くと機嫌を損ねてしまうではないですか」
それもそうだが。
つまり、リアは私を呼ぶためにアレクを使ったということだ。
父に対する態度からも感じていたが、どうやらリアにはヘヴラウ家に対する敬意など微塵もないらしい。
「じゃあ、そもそも私を狙うって何のためなの?誰がどういう目的で?」
「大抵は中央貴族たちの権力争いの延長線ですね。ヘヴラウ伯爵家は元よりその影響力が強かったですが、今は実質的にニレッダ男爵や元ニレッダ辺境伯の勢力もその一部と認識されており、貴族の中では最有力と考えられています。そして、現状ヘヴラウ家の次期家督はアレクディート様だと認識されていますが、オリーシャ様の噂を受け、オリーシャ様を取り込み唆して跡継ぎ争いに発展させ、オリーシャ様が跡継ぎに選ばれればヘヴラウ家の力を手中に収められるのではと考えている輩がいるそうです」
「……なにそれ」
家督なんて例え頼まれたって辞退するに決まっているでしょ、と私は呆れたようにそう言ったが、リアは静かに首を振った。
「当然、オリーシャ様のことを知っている者ならそう思うでしょう。ですが、オリーシャ様は社交の場はおろか、家の中でもろくに人と関わろうとしないではないですか。ヘヴラウ家の使用人たちですらオリーシャ様のことはよく知らないという者が多いのですから、外の人間がそんなことを知る由はありませんよ」
ぐうの音も出ない程正論だ。
しかし、それよりも気になることがある。というか、こちらが本題だ。
「私が王立学園に行ったら、どうなると思う?」
「そうですね……中央貴族たちが今かと待ち構えているのでは?」
リアが間接的に答えを示す。
そんな答えにため息を吐いた私に対して、リアが微笑んだ。
「ですが、安心してください。学園でも変わらず見張りは続けるので」
「え、王立学園って生徒とそこで働く人以外は入っちゃいけないんじゃないの?」
「その件に関する手配は既に済んでいます」
「手配……?」
まさか、リアが学園で働くということだろうか?
しかし、王立学園では特定の人物に対しての優遇はタブーとされており、そのルールは王族ですら適応される。形式上だけだとしても、ヘヴラウ家の手の者であるリアを学園が採用するとは思えない。
だとすると、私を狙う方法と同じように、既に学園の人間として動いている人間を買収したということだろうか。
「ええ。詳細はお話しできませんが……いえ、あまり隠し事ばかりではオリーシャ様の信頼も得られませんか」
リアは独り言のようにそう呟き、勝手に納得したように頷いた。
「これは誰にも……カザレ様にも伝えていないことなのですが───」
「あー、ちょっと待って」
何やら重要な話をし始めようとしたリアにストップをかける。
「ごめん、ただ思いもしなかった言葉が出たから呟き返しただけ。聞きたかったわけじゃないから」
「……そうですか」
リアは口ではそう言いつつも、納得のできないような顔をした。
納得できないというのは、私に拒絶されたこと自体ではなく、「聞きたかったわけじゃない」という言い訳の方だろう。
私だって、こういう言い方をすれば私とリアの間に壁を感じさせるだろうというのはわかっていた。だが、それでも、私はその話を聞きたくなかったのだ。
そして、その理由を詳しく説明する気もなかった。面倒だから。
少し空気が重くなったついでに、話も切り上げにかかる。
「とりあえず、全然わからないことだらけだけど、この辺で十分かな」
「……よろしいのですか?」
「うん」
正直、好奇心でいえばもっと知りたいことはある。
だが、私が知るべきことはここまでな気がするのだ。
人間、知ったところでどうしようもないことを知っても余計な心労を増やすだけだ。
そして、あまり行動を起こす気がない私なら、最低限自分の周りのことを把握しておけばそれで十分である。
それすら必要ないとすら思うこともあるが、流石に自分の身が狙われていると知ったらその相手と背景くらいは知っておきたかった。
それだけだったので、今回はここまでで十分だ。
「リアには苦労かけてるっぽいけど……まあ、自分で買って出たことなんでしょ?」
「それは……そうですが。オリーシャ様も結構言う人ですね」
「それ、誉めてる?」
「いいえ、全く」
そう言いながらも、微笑むリア。
先程の一件からリアの態度が変わっているのは、気のせいではないだろう。
彼女の中で、ただ父に雇われて働いているだけの侍女ではないと私にカミングアウトしたことが、何か意識に変化をもたらしたのかもしれない。
正直私としては、以前の堅苦しいリアよりは今の少しばかり素が垣間見えるリアの方がやりやすい。そんな私の本音が透けてか、リアもこの態度を崩す気はなさそうだ。
しかし───
「……そっか」
「どうかしたのですか?」
突然納得したような声を出した私に、リアが首を傾げる。
この世界に来てから、私は極力人との接触を避けていた。
理由はもちろん、自分が『オリーシャ・フォン・ヘヴラウ』であるということを完全に受け入れることができないでいたからだ。
「……アイデンティティの確立って言うのかな、こういうのを」
「アイデ……何の話でしょうか?」
誤魔化すように、あえてリアには理解できないような返答をする。
だが、その言葉は紛れもなく今感じていることそのものだ。
今まで気持ち悪いと思っていた『オリーシャ・フォン・ヘヴラウ』に向けられる感情を自然と受け止められているということに、現在進行形で進んでいるリアとの対話の中で気が付いたのだ。
オリーシャ・フォン・ヘヴラウとして過ごすうちに、いつの間にか二つの自己認識が混ざり合ったのか、日本で暮らしていた頃の自分が薄れてきたのか。それとも、オリーシャ・フォン・ヘヴラウとして自分が挙げた功績が、自分がオリーシャ・フォン・ヘヴラウであるという認識を強めたのか。
その理由までは分からないが、私は自分がオリーシャ・フォン・ヘヴラウであるということを既に受け入れることができていたらしい。
私の私としての人生が始まったのは、この時からだと後の私は語るだろう。
そんな確信を抱くと共に、やはり自分の本質が変わることはなく、今後『オリーシャ・フォン・ヘヴラウ』として私が浴び続ける評価が、『オリーシャ・フォン・ヘヴラウであることを受け入れられないために現実逃避紛いにやっていた魔法遺伝子に関する研究』のことだというのは、何とも皮肉な話だと思うのだった。
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