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 そろそろ夏休みもおわるし、いろいろ学校の準備をしとく必要があるねんけど、今夜はどうしてもつきあわなあかん用事がある。八時に、ってゆわれてるのに、もう八時四十二分や。

 ひらきっぱなしにしてたパーソナルコンピューターから、やっとおかしな音楽がなると、ぼくはあわててイヤホンを耳につけ、赤いボタンをおした。スライプってゆうテレビ電話や。

「もしもし、おう、ハマオか。こっちの顔、見えるか」

「見えません、お父さん」

 舌打ちが聞こえた。

「おまえ、さっき赤いボタン、おさんかったか」

「はい、おしました」

「なにしとんじゃ、ボケ。そっちは音声だけや。おすのは青いボタン。前にもゆうたやろが」

「ごめんなさい、お父さん」

「やりなおしや。一回きって、もう一回ならすから、今度はちゃんと青おせよ」

「はい、お父さん」

 ぶちっ、と音がして、しばらくしてからまたさっきの音楽が。まちがわんように、慎重に青のボタンを。

「おう、今度は見えるか」

「はい、お父さん」

 パーソナルコンピューターの画面に、ハゲでひげづらのおっさんがあらわれた。おじさんの兄にあたる人。何歳くらいちがうんやっけ。おじさんはまだ髪の毛あるし、十ははなれてるんとちゃうかな。

 ぼくも大人になったらこんな顔になるんかと思うと、ほんまがっかりやわ。

「どうや。フキオはようしてくれてんのか」

 だれそれ。ああ、おじさんのことか。ええ、べつにおじさんはようもわるうもしてくれてへんよ。いや、いちおう『ラガタ語』ははじめのうち、おしえてくれはったし、たまにしか家におらんけど、そこまでひどいあつかいはうけてへん。あんたよりはええ人なんちゃう?

「はい、とてもよくしてくださってます」

 ぼくはこの人の前では、ウソをつくしかない。

 おじさんのことはともかく、ミルさんやエル姉ちゃんはすっごくやさしくて、ほんまの家族みたいに仲ようしてくれはる、というようなことを、この人にはなすかはなさんか、どないしようと少しかんがえた。

 まあ、興味ないやろ。

「あれ、見せろや」

 えっ、なに?

「あれや。通信簿。さっさと持ってこい」

 通知表のことか。こっちではそうゆうねん。ぼくは学校用のかばんをごそごそして、それを取り出した。そういや、この家の人にもわたしてなかったわ。

「見えますか」

 ぼくはパーソナルコンピューターの画面の上のほうにある、レンズみたいなんの前で通知表をひらいた。

「見えへんぞ。ちょっとはなしてみい」

 少しとおざけてみる。

「なにしとんじゃ、ボケ。ぜんぜん見えへんわい。もうええ。おまえが読め」

「あ、はい。えっと、国語が2で、算数が2で、理科2、社会2……」

 イヤホンからため息が聞こえた。

「2ばっかりやないか、マヌケ」

 でも体育は4です、短距離走のタイムが評価されたんやと思います、といおうとしたところ。

「ちゃんと勉強せえ、っていつもゆうてるやろ。そんなんでろくな大学入れへんぞ。おれみたいな立派な大人になりたい、って思わんのか、アホが」

 そうゆわはりますけど、お父さんはぼくに勉強をおしえようなんて、思ったこともないでしょう。こっちにはそうしてくれる大人やっておるんですよ。なんてことは、もちろん口には出せへん。

 だいたい、立派な大人ってなんやねん。あんたみたいに、ええ年してブラック企業の係長がせいぜいの人になりゃあええんかい。そういや、あんた、係長は社長のつぎにえらいんや、とかゆうてたな。あれウソやろ。こっちで小説読むようになってな、ちょっとは知恵がついたんじゃい。

「ごめんなさい、お父さん」

「ちっ。ごめん以外ゆえんのか。ほんで、通信欄みたいなんがあるやろ。先生の寸評みたいなん」

 なにそれ。ああ、青鬼先生の字でなんか書いてあるな。

「えっと。『ハマオ君は勉強の時間、先生の話をちっとも聞いてくれません。ずっと授業に関係のない本ばかり読んでいます。どうか叱ってやってください。友だちが一人もいないことも気になります。ハマオ君が学校で声を出しているところを、一回も見たことがありません。おうちでもそうなのですか。それから、作文は関西弁ではなく、標準語で書くよう指導してあげてください……』」

「なんじゃそら!おまえ、こら、どうゆうつもりじゃ!」

 いきなりどなり出したので耳がキーン、となった。ほとんど聞き取れへん。

「ごめんなさい、ちょっとトイレへいきます」

 ぼくはイヤホンをはずして、立ちあがった。

 用をたしてから、階段をのぼっているあいだに声が聞こえてきて、足を止めた。

『ねえ、ハルオ、わたしびっくりしちゃった』

 心の中でトミがはなしかけてくる。

『あれがあんたのパパなの。うちのとぜんぜんちがうのね』

 まあ、そうかもしらん。今思うと、トミパパは親としてかなりええほうやってんな。

『ええほう、どころじゃないわよ。うちのはあんなふうに大きい声出さないし、それにハゲてないわ』

 でもぼくやって大人になったら、きっとハゲるよ。

『いやねえ。そうだ、海藻をたべるといいって、本に書いてあった気がする』

 あのう、おくれるとまたおこられるから。

 ぼくはまたいそいで階段をのぼり、部屋のドアをあけた。

「なに途中でいなくなってんねん!まだはなしおわってへんぞ!」

 ほら、やっぱり。

「だいたい、おまえ、さっきからそのしゃべり方なんやねん!ちゃんと京都弁でしゃべらんかい!」

 ああ、『地球語』で敬語をはなすのはひさしぶりやから、前はどうやってたかわすれかかってるわ。そんなんゆわれたら、もうなにゆうたらええんかすら、わからんようになるで。

 ただ口ごたえなんかしたら、またボコボコにされるし、ここはてきとうに、はいはいゆうとくしかないわ。もう好きにどなっとけばええねん。

 反省したみたいな顔でぼくがうなずいているうちに、お父さんはつかれたみたい。

「ちっ。ドアホが。それからなあ。もうすぐあいつがそっちいきよるわ」

「だれですか」

「お母さんや」

 そしてたっぷり、あの人のわる口を聞かされた。

 離婚の原因はあいつが不倫したからやのに、なんで親権まであっちに持ってかれなあかんのじゃい、とかなんとか。

 どうせ、あんたはぼくの親権なんかほしくなかったんとちゃうか。こっちもおことわりや。あんたと二人で住んでてもろくなことにならんし、止める人がおらんかったら、そのうち殴り殺されるかもしらん。

 あーあ。ぼく、お母さんとくらすことになるんか。

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