24

 夏休みののこりが、あと五日ほどというころ。

 トミのマンションのちかくにある公園によびだしたところ、すぐにきてくれた。

「あんたからの電話って、はじめてよね」

 そうかもしれん。

 こんな季節やから、できるだけすずしくなってから、という気持ちやってんけど、日がかたむいたくらいでは、やっぱりどうしようもなく暑い。ぼくはすでに汗でびっしょりやった。

 ぼくはベンチに腰かけ、トミはそのとなりに。むこうのブランコのほうで小さい子らがあそんでいる。

「それじゃ、さっそくだけど」

 とかいいながら、トミはかばんからクリアファイルを取り出した。かわいいアザラシの写真の。アシカかトドかオットセイの可能性もある。

 中身は例のSF小説、タイトル『レディ・トミのひみつの友だち』という原稿用紙の束やった。なかなか分厚い。すでに書きあがっていたことは知っていた。すごく読みたかったし、もしかしたらもう交換するチャンスってないかもしれん、とおそれていたんや。

「こんなの、うちにきてくれたらよかったのに」

 ごめんな、今日だけはちょっとむりな気がしたもんやから。

「で、あんたのは?」

 ぼくもかばんからごそごそと取り出す。エル姉ちゃんに見られた、あのノートを。

「ふーん、がんばったのね」

 たしかに、生まれてはじめて努力というものをしたかも。ただ、トミのにくらべたらぜんぜん大したことないよ。

「あのさあ、こういうのって一応、コピーしといたほうがいいんじゃない?べつに、あんたがなくすかもしれない、とか心配してるわけじゃないのよ。でもなにがあるかわからないからさ」

 ああ、そうか。その発想はなかったわ。ぼくのはともかく、トミのはすっごく大事な原稿やし。うちにプリンターってあったやろか。それかコンビニエンス・ストアにいくとか?えんぴつで書いたやつって、きれいにコピーできるかなあ。

「うーん、まあ、それは今度でいいか。もうちょっと書き直したいところもあるかもだし」

 ぼくもそれでゆうたら、かなり書き直したいよ。とくに結末はあれでよかったんか、ぜんぜん自信ないねん。もしかしたら、ごっそり変更したほうがええかも。そこのとこ、トミの意見もぜひ聞いてみたかってん。

「いいよ、二人で意見交換しよう。あんたも、気に入らないところがあったら、どんどん指摘してちょうだい」

 いや、ぼくなんかトミの書いたもんに文句なんてあるわけないよ。

 ぼくはクリアファイルから原稿を出し、あらためてながめる。すっげえ、字もきれいやん。描いてたはずの挿し絵って、どのへんにあんねやろう。そう思ってぱらぱらめくろうとしたところ。

「あのさ、ここで読むつもり?風とかふいたらとびそうなんだけど」

 あっ、そうか。

「それに、なんていうかさ、目の前で読まれるのって、ちょっとプレッシャー、なんだよね」

 それはそうや。しもた、ぼくやってそんなん、ここで読まれたら悲鳴あげたなるわ。ごめん、無神経やった。

「じゃあ、おたがい、うちに帰ってからってことで」

 うん、了解。

「用事、おしまい?わたしこのあと、もうなんにもすることないんだけど」

 心がくるしくなってきた。今日もこれから、トミのマンションに移動して、涼しい部屋でなんかしてあそべたら、どんなに幸せやったやろう。

 世界がくずれてしまうかもしれん。このことを口に出すのがとてもつらかった。

 おどおど、もじもじしているだけで数分がすぎていった。

 そのあいだにか、あそんでいた小さい子らはもう見えなくなっている。

「早くいいなさいよ」とトミがうながす。

ずっとこうしているわけにはいかんかった。どこからはなしたらええんやろう。

「うちには、エル姉ちゃん、という人がいて……」

 家族のこと、とくに居候している親戚のうちのことは、ほとんどしゃべってへん。今までなぜか、たずねられたこともあんまりなかったな。

「中学生くらいの女の人で、けっこう仲よくしてもらってて」

「きれいな人?」

 どうかな。そんな目で見たことはなかった……いや、まあ正直いって美人ではあるよ。

「じゃあ、好きなんだ」

 ちょっと、そういうはなしやないから。

ぼくは、きみのほうがきれいだよ、という言葉をすぐにのみこんだ。

 ともかく、なんとか説明をつづけていく。

 こっちにきて学校に通い出したころ、そのエル姉ちゃんにいわれてたんや。ラガタ語の会話の勉強にええからって、友だちをつくるように、と。

「ああ、そういうこと。だからいきなり、わたしを追いかけるようになったのね。あのときのあんた、すっごく気持ちわるかったわよ。一度、女子トイレにまでついてこようとしてなかったっけ」

 それはめんぼくない。こっちのルールとかぜんぜんわかってなかったもんやから。

「そういう問題かな。でも経緯がわかると、ちょっとがっかりね。なーんだ、わたしがかわいかったから、理性をうしなってたってわけじゃないんだ」

 うん、ちがう。あのときはとにかく必死やってん。

「友だちか。わたしも、あんたしかいない」

 やっぱりそうなんか。昔はきみ、明るくて友だちもたくさんいた、って聞いた気がしたんやけどな。

「なにそれ。いやなこというわね」

 トミは目をほそめ、舌を突き出した。

 ごめん、べつにいやみをいうつもりやなかってん。ただ、ぼくときみで、にたようなところがあんのがちょっとうれしくて。

「それでいったら、あいつがいるじゃない。あのムジヒコっての」

 あんなんべつに、友だちでもなんでもないよ。夏休みに入ってから、思い出しもせんかったわ。

 トミはしばらくかんがえる。

「こういうことじゃないの?その、エル姉ちゃんって人があんたに、今度友だちをつれてこいって。自分が見てあげるからって、そういったんでしょう」

 ぼくはそんなふうにはなすトミの顔を見つめた。

 きみはいつもそうやな。ぼくが心の中で思っていること、全部わかってるみたい。きみにはかくしごとなんかなんにもできひんのとちゃうやろか。

「どうしても家に友だちをつれていかなきゃならないんだったら、ムジヒコにでもたのめばいいわ。野球チームに入ってあげるって交換条件を出せば、あいつはそれくらいなんのためらいもなくひきうけてくれるはずよ」

 そうかもしれん。でもぼくはあいつにたのみごとなんかしたないし、エル姉ちゃんに会わせたいとはぜんぜん思わへんねん。

「なんで。あいつがお姉さんに色目でもつかうの、心配してるわけ?」

 どうかな。まあでも、あいつ、きみのことやってくどいてたやん。

「男の子ってバカだよね」

 いや、こんなことをはなしたかったんではなかった。ぼくはため息をつく。

「ねえ、あんたさっきからすごく汗かいてる」

 おでこにさわってみたら、たしかにびしょびしょやった。

「こんな暑いところにずっといたら、たおれちゃうわよ。いつだったか、学校で野球してたときみたいに」

 トミはポケットからハンカチをとりだし、ぼくの正面にまわって、顔をふいてくれた。

「うちで冷たいお茶でものもうよ。ほら、立って」

 ぼくは立たんかった。トミは円盤を回転させ、公園の出口へむかおうとした。

 まって、今日はぼく、いけへんねん。

 ふりかえったトミは、けわしい顔をしていた。

「どうしてもいうつもり?」

 ぼくはつばをのみこんだ。

「ほんとうは、エル姉ちゃんのところにきみをつれていけたら、どんなによかったやろうって、心から思ってるねん」

「できるわけないじゃない。わたしは実在しないんだから」

 頭の中と外で、蝉がずっとうるさく鳴きつづけている。

『これがそんなに大事?』

 トミはさっきぼくがわたしたノートをかばんから取り出し、振ってみせた。

 もちろん。はじめて書いた小説やから。きみやってこの原稿が大切やろう?

 ぼくもわたされたクリアファイルを持ちあげた。

『どうかな。わたしはそれくらいの小説、いつでもいくらでも書けそうな気がする』

 きみは自信家だもんね。

『それでいったら、あんただって、今からでも好きに書き直したらいいじゃない。例えばわたしのこと、じつはあるけるって設定にしちゃえば』

 そうゆうてトミは円盤で両手をささえ、力を入れようとした。

 ごめん、本当にごめん。どうかそれはやめてほしい。そんなことをしたら、トミがトミでなくなってしまう。

 そのとき、手にしていたクリアファイルが少し熱くなってきたのを感じた。

 あわててひらき、原稿用紙を点検してみたところ、文字が一つのこらず消えてしまってるやないか。

『でも、物語はあんたの頭の中にちゃんとあるでしょう?文字にしたかったら、すぐにでも簡単にできるじゃない』

 そんなことないよ。再現しようと思ったら、膨大な手間と時間が必要で、それに、きみが書いたみたいに上手にやれるとは、とうていかんがえられへんわ。

 ぼくは立ちあがって、頭の中のトミにむかってはなしかけた。

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