17

 あのスポーツ・ドリンクの件があってから、ぼくとトミは急速に仲よくなって、まるで恋人のように……なんてことにはもちろんなってへん。こちらは正直、あの子がめっちゃかわいい気がしてきてんけど、まあ、小学四年生やし。いいよったり、くどいたり、なんてできるわけないよな。

 とはいえ、前とおんなじようにときどき、トミのマンションでいっしょに勉強はしてるねん。

 そらいきなりぼくの成績があがったりはしてへんよ。こころもち、ちょっとだけよくなったような感じはする、くらいやな。テストの点数をつたえると、トミはなんでやねん、みたいな目つきで不満をいうこともあった。このわたしがおしえてあげてるのに、なんて感じで。ほんまに、倍くらい差をつけられることが多い。

 へどもどしながら、つぎはがんばります、と約束し、それを口実として部屋にあがりこみ、二人っきりでむかいあうチャンスを得ているわけや。

 ほんで明日は国語のテスト。算数とかとちがって、ちょっと自信あるねん。ただ、どないして勉強すりゃええんか。こたえをおしえてもらうってのもちがうし。

 いっしょにかんがえた結果、テスト範囲を二人で朗読しあおう、ってことになった。

 課題になってるのは新見南吉の『ごんぎつね』で、けっこう好きなはなしやねん。というか、はじめて読んだときは感動して泣いてしもた。ごんがかわいそうで。

 作者は愛知ってところの人なんやって。そこが地球なんかラガタ星なんかは知らん。あとでしらべとこう。

 じゃんけんで勝ったぼくは、なんとなくあとのほうをえらんだ。さきに読むトミの声、かわいいなと思いながら、教科書の文章を目でなぞったり、ちらちらその顔とかくちびるをながめていた。

 クライマックスにさしかかろうというところで、なんだかようすが変わった。そこから兵十がどえらいことをやらかす、一番おもろいとこやのに。

「あー、ちょっとまって」うんざりしたようにトミは、たんすの引き出しをあけ、しばらくごそごそしていた。そして舌打ち。

「あのさ、ちょっとわるいんだけど、買い物にいってくる。すぐもどるから」

 はあ?わけわからん。「それなら、ぼくもいきます」

 するとまた舌打ち。「いいの、ここにいて。そんなにかからないから」

 そういってトミは、いらつきながら財布を持って出ていった。円盤をウインウイン鳴らして。

 一人でのこされたぼくは、とまどいながら部屋を見まわした。

急にひまになったからといって、たんすをあけたりしたらえらいおこられるやろうな。ばれへんという可能性と、あかんかった場合のトミの軽蔑の目つきを想像。

 しゃあない、本でも読もう。

 トミの本棚はなかなか充実していて、ときどきかりることもあってん。ええっと、どれにしよう。しばらくえらんでいるうちに、下の段の端っこに『SF小説の書き方』というのを見つけた。作者は永田公風、とある。知らん。

 そうか、SFって、自分で書くこともできるんか。トミは作家になりたいんかな。

ページをぱらぱらめくっていると、足音が聞こえた。やばっ、きっとトミパパや。家におったんか、今日はあいさつもなんもしてへん。

 友だちの家に、その友だちがいない状態で、親に見つかる。どうかんがえても気まずすぎる。

 ノックが聞こえた。「トミ、いるのか?」

 どないしよう。かくれるとしたら、ベッドでふとんをかぶるとか?ばればれやな。あっ、あかん、電灯がついてる。ドアのすきまから明かりがもれてるのを見たら、入ってきて消そうとするんやないか。あの人、いかにもケチそうな顔してるし。

 無言が一番よくない、そう気がつくひまもなく、ドアがひらかれた。

一瞬、おたがいがびくっとなった。

「ハマオくん、だったっけ。ひさしぶりだね」

 ちがうんです、不法侵入ではありません、二人で勉強してただけ、トミはどっかいきました、といいわけしたかったけど言葉が出えへん。

「おっ、その本、ここにあったのか」トミパパはぼくが手にしている『SF小説の書き方』をゆびさした。「それ、おれの本なんだよ。ないと思ったら、トミが持っていってたのか」

 ぼくはあわてて本をトミパパにわたそうとする。

「いや、いいんだ。おれはもう何度も読んだから。あれっ、もしかしてきみもSF作家になりたいとか?」

 えー、そんなめっそうもない、といいたいところやけど……

 たしかにぼくはトミと出会ってから、SF小説にずっぽりはまりこんでしまっていた。それと同時にがっかりしてたんや。本とくらべたところの、現実生活というもののつまらなさに。しょうもないこんな世界で生きるよりも、本の中に入り込んで冒険のスリルをあじわってみたい、などと空想することもないではなかった。

 もしかして自分でSF小説を書ければ、それがかなうんやろか。

「そうか、よしよし、だったらおれが書き方をおしえてあげてもいいんだぜ」

 いや、ええです。どうせ無理やし。それにあんた、まだデビューしたてのひよこみたいな作家でしょう。

 ただこの『SF小説の書き方』はちょっと読んでみたいかも。

「いいよ、かしてあげよう。ところでトミはいないのかい?」

 ぼくはやっとおちついて、トミがどんなふうに出ていったかを説明した。そうはゆうてもなにをどこへ買いにいったのかまるで見当がつかへん。このおじさんには通じてるんか?

「じゃあ、そのうち帰ってくるだろう。また勉強を見てあげてもいいんだが、それよりおれの部屋でコーヒーでものまないか」

 えー、あんなにがいもん、あんまし興味ないかな。

「じゃあ、ココアは」

 まあ、そういうことなら。あるいはここにいつづけたら、たんすをあける、みたいなわるさでもするかもしらん、と思われたんかな。

でも娘の友だちの相手なんかして、よっぽどヒマなんやろか。仕事は?

 トミパパの部屋、書斎っていうのかな、広さはトミの部屋と大してかわらん、それでいて本棚と本でうまったような、圧迫感のある空間やった。ぼくはココアと、おりたたみの椅子をうけとる。

「ところで、あれは読んでくれたのかい」

 ん?なんやっけ。

「だからー、ほら、きみにあげただろ、あの例の、おれが書いたさー」

 ぼくはしばらくかんがえこんでから、やっと思いだした。『宇宙少女トミ』のことかいな。感想聞きたいって、本気でゆうててんな。だからこんなとこまでひっぱりこんできたんやろか。

 んー、たしかに読んだ、そこまで長い本でもなかったし。いやー、おもしろかったよ?児童文学新人賞、やっけ。そういうのとるだけのことはあるな、とは思った記憶はある。でもそんなん聞いてもしゃあないんちゃう?

「いや、子どもむけに書いたんだからさ、子どもにうけなきゃやっていけないわけ。で、どこがおもしろかったんだい?」

 どこがって、そら……ぼくはこの必死そうな大人にむかって、ちょっとくらい役に立ちそうなことをゆうてやろうかと、記憶をたどってみたんやけど。

「どのシーンが好き?」

 うーん。

「キャラクターで気に入ったのとか、あるかな」

 まあ、あの、なんやろ。主人公のトミはかわいくて魅力的で……あっ、モデルやといわれているこの人の娘をほめたみたいになったら、ねらってると見なされて、今後いろいろ具合のわるいことになるやろか、と思えてきて、ぼくはちょっと口をつぐんだ。そういうはなししてるんちゃうから、べつに気ぃまわさんでええやろか。

「あの、ダン、っていう宇宙海賊なんかはどうだろう」

 ああ、あいつか。あのやたら口が達者でキザなイケメンキャラ。そういえば、あんなやつをトミが好きになるのはちょっと納得いかへん気がしたなぁ。歳の差もありそうやし、なんぼ危機をすくわれたからといって。

 みたいな感想を、ぼくはぼそぼそしゃべるようになっていた。前から気になってた、ワープ航法についてとか質問もして。

 この人とはまだ数回しか会ってへんのに、なんだか妙にうちとけてしまったような気がする。大人とこんな、単語以上の言葉で会話したことなんて、今までほとんどなかった。両親とさえ、気持ちが通じあうことはほとんどなかったし、こっちから積極的にしゃべろうと思ったことないのに。

 おもろいおじさんではあるけれど、それ以上にぼくと波長があう、なんてことがあるんかもしらん。

「どうもありがとう。たいへん参考になったよ。よかったら、また次の本も進呈するから、感想をおしえてくれよ」

 えー、まあ、かまへんけど、それっていつ出るの?

「それはまだだれにもわからない。十年先かもしれないよ」

 トミが聞いたら不安におちいりそうやな……

 っていうか、ぜんぜん帰ってこうへんやん。女の子の行動ってときどき謎やな。

 トミパパもちょっとそわそわし出した。もう一回、出ていくときのトミのようすについて、説明をもとめられる。

「うーん、あれかもしれないな」とトミパパ。

 なになに、いったいどこへいったん?とたずねたかってんけど、深刻そうな顔でなかなかこたえてくれへん。

「まさか、あいつのところへいったのか……」

 ん?なんか、ぼそっとつぶやいたんが聞こえたような。

「近所の薬局へいっただけなら、こんなにかかるはずないんだけれど」

 薬局って、なんか薬でも買いにいったんかな。

「きみに、おれからはなすのはちがうかもしれない。いまどきは学校で習うはずなんだけどな、それかご両親にでも聞いてみたら」

 なんやそれ、わけわからん。というかぼくんとこは両親とは住んでへんねん、みたいなことを説明するのはちょっとめんどうや。

 ところでさっきからこの人、見た目では冷静そうやけど、なんか心の中で心配とあせりがどんどんつよくなっていくみたい。ぼくはなんでそれがわかるんかな。よその子の前で、あろうことかタバコを取り出し、火をつけようとして、いや、あかんあかん、と気がついて箱にもどしたからかな。

 それだけではなくて、ぼくにはこの人のかんがえが脳に直接、つたわってくるような気がしてならん。会話やって、口数の少ないぼくとこんなにもはずむんはおかしない?

 じつはトミともそうやねん。こっちが口に出してなんかゆう前から、ぼくの気持ちを受け取ってくれてるような、ふしぎな感覚が。

 おおげさにいえば、超能力……テレパシー?このあいだ読んだ筒井康隆って人のSF小説『家族八景』にそんなんが出てくる。あれとちょっにている……こともないか。

 でもなんかぼくにとって、トミもトミパパも特別な人のような気がする。

「ぼく、トミをさがしてきましょうか」

「いや、いいんだよ。心配することはない、すぐ帰ってくるさ」

 他人の子やからって遠慮せんでええのに。

「そんなに、トミのことが気になるのかい」

 そら、まあ、友だちやし……とこたえるひまもなく、いきなりぼくの目をのぞきこんできた。

「なにか聞きたいことが?」

「トミは、なぜ、あるくことができないのですか」

 催眠術にでもかけられたみたいに、ぼくはつい思っていたことを口に出してしまった。その瞬間、あわてて口をおさえるも、なんの意味もない。

 たしかに、ずっと気にはなっててん。クラスであの子のことがうわさになっていると(そういうことはよくあった)、そっと耳をすませたもんや。それによると、彼女はもともとふつうにあるいていたんが、去年くらいにしばらく学校を休み、急にあの円盤にのってあらわれたんやとか。

 それで、ふつうに明るい女の子やったんが、ほとんどクラスのだれとも口をきかんようになり、性格もきつくなったんやって。

 本人に聞けばええところを、なんか聞きにくくて。聞くな、みたいなオーラを出してはおらんはずやけど、どっちかというとぼく自身が、そういうのをたずねられへん性格、なんかもしらん。

 ところが今、ぼく、どないしたんやろう。

 見ると、トミパパはうんうんうなずいている。

「あの子はね、去年、交通事故にあったんだよ……」そうゆうてくわしくおしえてくれたんや。「ココアのおかわり、いるかい?ああ、そう。

 えーっと、あれは去年の冬だったな。雨の日だよ。まだおれは会社勤めで、いつもどおり仕事してたらさ、電話がかかってきたんだ、となり町の知らない病院から。トミが事故にあって運ばれてきたから、すぐきてくれって。あんなにあわてたことって、それまで一度もなかったよ。

 病院についたら五十すぎのおじさんがとびついてきて、医者かなって思ったらちがって、そいつがひいたんだとさ。それはもう、怒りが爆発しそうだったけど、その男をなぐったってなんにもならないからな。

 そのときトミは緊急手術をおえたばかりらしくて、麻酔でねてる状態でさ、包帯ぐるぐるまきだった。

 警察の男から聞いたところでは、雨で見通しがわるかったんだろうってはなしさ。建物のかげから急にとびだしたところをぶつかったんだと。

 下半身不随、歩行障害。慰謝料はもらったが、そんなのはなんのなぐさめにもならないよ。

もちろん、一番ショックなのはトミ本人だけどな。半年のリハビリもつらかっただろうし。

どうやらあの子は、あの日、母親にあいにいこうとしていたらしいんだ。子どものきみにはなすことでもないかもしれないが。

もう何年もあってないはずだよ。離婚の原因をつくったのはむこうだからな。不倫の末に家を出ていって、あいつ、離婚届だけ郵送してきやがった。

おっと、ごめんよ、冷静にはなすからさ。

まあ、あんな女だけれど、トミにとっては母親だから。面会くらいもっとさせてやればよかったって、後悔はしたよ。

そうそう、学校はあの日、創立記念日だったんだよ。あの子もあいたいならべつに、連絡くらいこっちからしてやってもよかったんだ。ちっ、でもむずかしいか。うちではそんなはなし一切しないから。

へえ、ああ、そう。きみのうちでも両親、離婚したんだ。ふーん、それで親戚の家でくらしてるのか。ごめんね、微妙なはなしになっちゃった。

まあ、とにかく、トミはそんなことがあってから、しばらくはおれともなかなか、前みたいに無邪気に接してくれなくなって。

だいたいもとどおりにはなせるようになったのは、つい最近なんだよ。

学校ではあの子、どうだい?ああ、そう。きみしか友だち、いないのか。じゃあ、感謝しないとなあ」

そこでのどをうるおすためか、もうさめきってるはずのコーヒーを口にふくんだところ、電話が鳴り出した。机の上に手をのばすトミパパ。

「ああ、おまえか、なに?えっ、トミ、おまえのとこへいってたのか。ふーん、ああ、いいよ。ちょっとかわってくれる?……おお、心配してたんだよ。いや、かまわないけどさ。ハマオくんも……うん、うん、わかった、つたえておくから。ああ、明日の朝、むかえにいけばいいんだな?いいよ、それじゃあ、おばさんにあんまり迷惑かけないように。うん、うん、それじゃあ」

 そうゆうて受話器をおいた。そしてぼくのほうにむきなおる。

「ごめんな、トミ、今夜はおれの妹のうちでとまるんだってさ。きみにあやまってたよ。あいつ、こういうところがあるんだ。でも、きみをかろんじたわけではないと思うよ。これにこりずに、また相手してやってくれないかな。ああ、もう帰る?ほんと、わるかったな。どうかまたきてほしい。うん、いいよ、『SF小説の書き方』は持っていってくれ。ゆっくり読んでくれたらいいから」

 外に出たらもう空が真っ赤やった。ぼくはトミのことをぼんやりかんがえながらあるいていたところ、あんまりよく見てなくて、信号が赤やのに横断歩道をわたろうとしたところ、車の方で止まってくれた。やばかった。

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