16

 時間の感覚がもうあらへん。みんなの練習風景を見てる余裕すらほとんどなかってん。

 こういうのを無の境地、とはべつにいわんねやろうなあ。なんにもかんがえられへんだけ。あるいは気絶してたんか。

 なんか、ほっぺたがひやっとした。あれっ、ぼく、死んだんか?天使みたいなかわいい女の子の顔が見える。

 でも天使は、メガネをかけてへんはずや。へんな円盤にのってるし。

「ほら、これのんで、しっかりしなさいよ」

 一瞬、透明の棒みたいなもんでぶんなぐられんのかと錯覚したけど、その冷たいのはペットボトルっていう、のみものの入った容器やった。地球にはないやつ。

 受け取って、ふたをあけようと苦戦するも、どうしても力が入らんかったところ、トミがあけてくれた。

「しっかりしなさいよ。だから野球なんて、やめとけっていったんじゃない」

 どうやらトミは、学校のむかいのコンビニエンス・ストアとかいう便利店で、買ってきてくれたらしい。こんなうまいスポーツ・ドリンクは、生まれてはじめてのんだわ。

 あかん、泣きそう。

「わざわざ、ぼくのために、きてくれたんですか」

「はあ?そんなわけないじゃない!かんちがいしないでよね!ただちょっと、学校に用があっただけなんだから!」

 おこった顔もかわいい。トミはたくさん言葉をかさねて、どんな用事があったのか、説明してくれる。月曜日までに出さなあかん、宿題のプリントを教室にわすれた、とかなんとか。そんなありもせんことを。ぼくのため、というのがばれたくないんやろう。

 ぼくはスポーツ・ドリンクをのみほした。

「きっと、熱中症ってやつよ。ほんと狂ってるわ。こんなに暑いのに、水ものませないなんて」

 しばらく休んでから、ぼくはなんとか立てるようになった。チームはやっと練習がおわったんか、道具をかたづけ出した。

「じゃあ、帰ろうか」

 なんもいわんで、勝手にいなくなったら心配されるかな、と少し思わんでもなかったけど、だれも全然、こっちをむきもせえへんし、べつにええか。声かけるんも、めんどくさいわ。

 ただべつに、野球というもん自体がきらいになったわけやないねん。その日、どろだらけになって帰宅したところ、びっくりしたミルさんやおじさんに、正直なことを説明したら、妙に感心されてしもた。いまどき、野球みたいなしんどいもんをがんばってる若者がまだ存在することに。

 どうやらミルさんやおじさんが若かったころには、野球というのはラガタ星でずいぶんはやってたそうなんやて。

 その日にも、テレビジョンのだれも見てへんような裏のチャンネルで、野球の試合が放送されてたんや。ほんまびっくりしたわ。

 近所に本拠地がある、巨人族とかいう野球チームのことを、大人二人は以前、さかんに応援していたらしい。テレビジョンでは、さっきの小学生たちが着ていたのよりもはるかに派手なユニホームの大男たちが、グローブや鉄の棒をふりまわして、大暴れしていた。

 だれも知らんスポーツのはずやのに、グラウンドにはずいぶんたくさんの応援団がかけつけて、うたをうたいながら必死に応援しているやん。

 あのバッティングとかいうちょっとおもろいプレイが成功して、点が入るたびに大喜びではしゃぎまわり、なんか気づいたらぼくも、テレビジョンの前で夢中になってたわ。

 ただし、ミルさんやおじさんといっしょに、巨人族とかいう大男たちを応援する気にはちょっとならへんかった。ずるいから。対戦相手の、広島カープっていう赤いチームのほうが、けなげやし、がんばってほしかった。

 それからちょっとしらべてみてん。なんと、広島カープってのは、ぼくが住んでた地域のとはちゃうんやけど、地球からやってきたチームらしい。わざわざ宇宙船にのってラガタ星まで遠征にきてたんやとか。

 まあ巨人族みたいに名門ってわけでもなく、そんなに強くないらしいんやけど、ときどきジャイアント・キリング、巨人殺しを達成することもある、弱いというほどでもない球団なんやとか。

 その事実を知ってからというもの、ぼくはすっかり広島ファンになって、野球のルールとかもちょっとずつおぼえ、こっそり試合結果をチェックするようになった。

 ただ、まあ、あれや。実際にプレイするくるしさをわすれたわけではないからな。

 あのあと学校でムジヒコにあったら、急にいなくなって心配した、とかなんとかいいわけしてたし、またこりずに練習にさそわれもしたんやけど。

 まあ、まようところではある。野球やってたら、ムジヒコたちの仲間にも入れてもらえそうやし。でもなあ。

「あの、水、のめないのは、ぼく、ちょっとしんどいです」

 そういうと、ムジヒコは頭をかかえていた。

「うーん、わかるよ。おれだって、そこはおかしいと思ってるし。ただなあ、チームの伝統だからさぁ」

「水、のめないと、死んじゃいます」

「いちおう、監督やキャプテンにはなしてみるよ。のんでいいことになったら、またきてくれるかい?」

「はい、いいですよ」

 それからなかなか、水がのめるようにはならへんらしい。チーム内で激論がかわされてる、みたいなはなしをクヘからちょっと聞かされもしたんやけど。

 結果が出るまで、もうちょっと待ったほうがええらしい。

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