15
ぼくはそれから数日のあいだも、心がぐらんぐらんにゆれていた。
お姉ちゃんはやれっていう。トミはやるなっていう。ムジヒコはしつこくさそってくる。クヘはずっとこっちをにらんでる。ホメガはなにかんがえてるかわからん。
まあ、ためすくらいはええかな、ってほうにかたむきつつはあるような。ぼく、地球では勉強でもスポーツでも、人よりうまくできたことってなんもなかったんや。でもこっちでは、少なくともはしるのはクラスで一番。ラガタ星ならもしかしたら、野球とかいう謎の競技で、なにかしらのもんが得られるかもしらん。
ぼくは生れてはじめて、心の中でぼんやりと、夢っちゅうもんをえがいてみたんや。
そして土曜日がやってきた。
「ハーマーオくーん」
昼すぎ、家の外でだれかがよんでる。窓からのぞいてみると、うわっ、ムジヒコやんけ。ぼく、やるともやらんともこたえてへん。ただあいまいにうなずいただけやったんや。それを真に受けよったんか。
あっ、玄関からエル姉ちゃんがでてきた。ムジヒコとなんかしゃべってる。
「ハマオー。お友だちよー」階段の下からよんできた。
まあ、いちおう、くるかもしれんと思って着がえてたんよな。なんかうごきやすいかっこうせえ、といわれてたから、学校のジャージに。
「ねえ、あんたの友だち、ハンサムな子ね」姉ちゃんが耳もとでささやいた。
あーん?でもあいつスケコマシやで?
そういえば補習のとき、中学生の女の子とつきあってる、とかほざいてたっけ。やばいな、エル姉ちゃんにはちかづけんように気ぃつけんと。ぼくはまた、べつにまだ友だちやない、と念をおしておいた。
「よう、いこうぜ」
ぼくは小さくうなずいた。学校のグラウンドで、野球の練習とやらがおこなわれるらしい。ムジヒコの家はこのへんやないはずやのに、わざわざむかえにきてくれたわけやから、しゃーない、その好意にはむくいてやらんと。
「きみのお姉さんって、かわいい人なんだな」ぼそっとそんなことをもらしやがる。あっ、やっぱりそう思う?
こいつ、ふだん学校ではおしゃれなかっこうしてるのに、今日の服装はなんやそれ。白い半そでの上着、その下に着てる紺のシャツ、白いズボンに紺のソックス、そして白の帽子に、紺のでっかいかばんをかついでる。宗教でもやってるのか?
しかも上着の胸もとには黒のペンで、「ムジヒコ」って書いてある。へんな名前。
「ほら、かしてあげるよ。アニキが小学生のときつかってたやつ」と、ゆうて奇妙な物体をわたしてきた。
んー?なんやこれ。どう説明したらええのかようわからん。なんかの動物の革やろか。鼻をちかづけてみたところ、うげっ、気分わるなるにおい。
「なんだよ、グローブも知らないのか?手に装着するんだよ。きみ、右利きでよかったんだっけ」
ぼくはうなずいて、あながあいてるところに右手をつっこんでみる。ぜんぜんはまらんやん。
「ちがうちがう、左手にはめるんだよ」
右利きやのに?なんで?
ふりかえったら、まだお姉ちゃんが家の前でにやにやしながら、ぼくらのことを見てる。
「い、いきましょう」ぼくはうながした。
そういや、こいつと二人になるのってはじめてやな。あるきながら、野球ってなんなのかたずねてみたところ、あいまいなことしかゆうてくれんかった。
「それはもう、たのしいスポーツさ。うって、まもって、はしって。先輩もいい人たちばっかりだし、きっと君も好きになるさ」
いや、そういうことやなくて。
会話はたいしてはずまんまま、学校に到着した。
クヘもホメガもすでにきている。あと上級生と、ぼくもあわせて……十四人?野球は九人でやるもんやと聞いててんけど。
それからこわそうな大人が一人。サングラスにひげのおっさん。あと竹刀もってたら完成しそうやな。いや、なにがってことはない。
ぼくはムジヒコにひっぱられて、そのおっさんと、もう一人、キャプテンとかよばれてる上級生にあいさつさせられた。よろしくおねがいしまーす。
べつに歓迎されてる、みたいな空気も感じられへん。むしろ気のせいやろか、監督、とかいうおっさんも、キャプテンも、こんなチビになにができるねん、みたいなうたがわしい目つきをむけてきよるような。わるいかよ、こっちは地球生まれで顔、うすオレンジやねん、みたいな態度でにらみかえしたり、はするわけない。こんな場違いなとこきてしもて、ごめんなさいごめんなさい、みたいな感じで下むいてたわ。
一応、ムジヒコだけは、こんなんでも足だけは速くて、なんて説明してくれてたわ。ひきあいに出されたクヘがむかついてた。
それから時間がきたらしく、全員あつめられて輪になって、監督の練習前の訓示っていうの?心がまえみたいな、えらそうなあいさつ、をおとなしく聞いて、べつにぼくの紹介、みたいなんはなくてほっとしてから、いよいよ練習開始。
縦に二列でならばされ、ランニング、ほどほどの速さでグラウンドをぐるぐるはしらされ。そのあいだずっと、わけのわからん、なんていうてんのか聞きとれへんかけ声をいわされる。となりではしるクヘに、「みんな、なんていってますか」とこっそりたずねてみても、「うるせー、まねしてりゃいーんだよ」としか。
あかん、もう、さっそくつかれたわ。えらいとこきてしもた。
やっとおわって、大きく輪になり、へんな体操とストレッチをやらされたあと、今度はダッシュ、とかいうことで、短い距離を全力疾走。二人ずつ、一番下っ端のクヘとぼくが最後で、もうええっちゅうくらい何べんも。
おかしい、ぼくはクヘより速いはずやのに、ここにきたら全然勝てへんのはなんでや。クヘの敵愾心みたいなんが走力に転化されてんのか。その証拠に、競り負けるたびにこいつ、どや、みたいな顔でこっちをにらんできよる。
もしかしたら、ぼく以外みんながはいてる、スパイクとかいういぼいぼのついた靴のせいちゃうか。
ああ、なんやねん、もう、しんどすぎ。今日はこれで練習おわりでええんちゃう?
時計見たら、うそや、まだ三十分しかすぎてへん。ぼくだけやなく、チーム全員汗だらだらやん。
つぎはキャッチボール、やって。あー、あのグローブとかいう、ムジヒコにかりた、へんなにおいの革の手袋みたいなんが必要らしい。ほんでみんな二人一組になって。やばっ、ぼくがいつもあまらされるやつちゃう、と一瞬思ってんけど、よかった、このチームはたまたま偶数やった。でも、まあどうせ、と思ったとおり、クヘと組まされる。
こいつ、わざとなんか、ムジヒコとホメガと三人でやろうとしたところ、やってやれよ、とうながされたんや。
しかしむずかしいな。このかたいボールをグローブでキャッチして、投げかえすっていうのは。となりを見たら、ムジヒコもホメガも、ものすごい速いの投げてるやん。それにくらべたら、クヘのへろへろだまなんか、まだとりやすいほうなんやろうけど、グローブのつかいかたもようわからんし、なかなかうまいことキャッチできひん。
あたりまえかもしらんけど、ぼく、チームのなかで一番へたくそやな。はずかしい、失敗するたびに、クヘが文句ゆってくる。むかつく。でもわざと暴投して、はしらせてるわけやないで。
それにしても暑い。ラガタ星の気候なんかはじめてなんやから、わからんのあたりまえやけど、これは夏、ということでまちがいないやろうと思う。やっぱり地球の夏とは全然ちゃうやん。どうちがうかって、説明むずかしいな。ちょっと前まで雨ばっかりふってたせいやろか、やたらじめじめして、気持ちがわるい。単純に気温もずっとたかいような気がする。
あー、夏、きらいや。目がまわってきた。きっつい。さっきからずっと、信じられへんくらいのどがかわいてる。こんなにしんどいのに、水のませてください、の一言がいえへん、シャイな自分がのろわしい。
そのあともさまざまな、苦行としか思えんようなメニューがこなされていく。
バッティング、とかいうのだけはわりとおもろかった。上級生とかが鉄の棒をふりまわして、ボールをかっとばし、それをみんなでおいかけるやつ。とんできいひんあいだはすこし休憩になるし。
ぼくも最後に、ちょっとだけうたせてもろた。ぼくはどうやら右バッター、というやつらしい。ムジヒコの投げた、サービスのゆるゆるボールを、思い切りひっぱたく。ほとんど前にとばんかったけど、一回だけまぐれで当たったときは、なかなかすかっとしたわ。野球というのはもう、これだけでええんとちゃうやろか。
そう思ってたら、やっぱりつぎは地獄やった。ベース・ランニング。もう、なんやねん、ベースとかいう座布団でかこわれた四角い陣地を、何回も何回もぐるぐるはしらされて。人間ってそんなふうに、全力ではしりながら直角にまがれるもんやないねん。まったく、なんなんや、野球って欠陥スポーツやんけ。
あかん、ほんとにもう死んじゃう。練習でこんなんやったら、本番はマジで死人が出るんとちゃうか。
もうおわりやろうと思ったら、つぎは、ノック、やって。
チームみんなが九カ所のポジションにわかれていって、監督が振り回した棒でとばしたボールをおいかけるという、正気ではやってられんメニュー。
ぼくははしっこのほうの、ライト、とかいう僻地までおいやられた。いっしょにおいやられたのは、うわっ、キャプテンやんけ。余裕なくてあんまり見てへんかったけど、この人べつに中心選手っちゅうわけやないんか?下級生のムジヒコなんか、真ん中でピッチャーとかやってるし、ホメガやってそのうしろでキャッチャーやん。
あー、でもライトはライトでめちゃくちゃしんどいな。前のほうの内野、とかいう人らのカバーをせんならんとかで、一つのプレイでかなり長い距離をあっちこっちはしらされる。もうほぼ拷問みたい。
ぼくはさっきからキャプテンに、もう無理です、限界です、というサインをおくりまくっている。あわれっぽくおねがいするみたいに、目で合図を。
それやのにこの人なんも反応せえへん。それでよくキャプテンとかやってるな。もっと気ぃまわせや。
体ばっかりでかくて、坊主頭で、変なメガネかけて。おまえら宗教やってんのか?あるいは軍隊か?児童虐待か?
もうあかん。この人らは、ちゃんと言葉でいわんと、なんにもわからんらしい。ぼくはもうがまんできまへん。
「あのう、キャプテンさん?」
「ん、なんだい」
「ぼく、もうだめです」
するとやっと気づいたみたいに、彼はぼくを見やった。
「うーん、あと一時間くらいだから、もう少しがんばらないか?」
やっと勇気出したのに。なんや、こいつ。全然たすけてくれへんやん。
「あのう、せめて水だけでも、のませて、もらえませんか」
そしたらなんやこまったようすで、「水ぅ?うちは水は禁止なんだよ」
はあ?水禁止ってなんやねん。生き物が水なしでどうやって生きていけるんや。そんなん幼稚園児でもわかってることやないけ。こいつら、やっぱ頭おかしいわ!
ぼくが、信じられへん、みたいな顔であわあわしてると、キャプテンはおどろいて説明し出した。
「チームの方針なのさ。練習中に水なんかのむと、余計にばてちゃうっていわれててね。みんながまんしてるだからさ」
「おーい、ライト、いくぞ!」あっちで監督がどなってる。ほんでものすごいボールがはなたれ、キャプテンはそっちへはしっていく。
「つぎ、新入り!」
もういっちょ、アホみたいに速い打球がとんできて、ぼくもはしってとりにいく。いや、はしってるつもりなんやけど、全然スピードが出えへん。なんとかおいついて、内野に投げかえして、もう目の前がぐにゃぐにゃで、まっすぐ立ってられんくなって、ゆっくりとあるきながら、端っこの木のかげへとむかっていった。
おこられるかな、と思ったらべつになんも。「よーし、おまえはちょっと休んでろー」みたいにいわれたんが、幻聴なんかほんまに聞こえたんか、ぼくはもうなんにも判定できひん状態やった。そんでそのまま、ぶったおれたんや。はあはあいいながら。
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