11
つぎの日の放課後、ぼくはトミに目で合図され、ついてこいって意味やととらえてそのままついていった。
「トミのうち、とおいですか」
「すぐわかるわ」
そら、トミは円盤にのってるからなんぼとおくても問題ないやろう、みたいなことは口がさけてもゆうたらあかん。
まあでも、通学かばんって、めちゃくちゃ重いよな。こんなんラガタ星の文明の力でなんとかできるはずやのに。これ、いったんうちにもどっておいてこんでええんやろうか。たしか地球の学校では、かばん持ったままやと寄り道、とみなされて、えらいおこられることになるねんけど。こっちではそんなんゆわれへんねやったら、べつにええか。
ぼくはななめ前の、頭の後ろでむすんだトミのかわいい髪の毛と、町のようすをながめながらだまってあるいた。
ところどころ地面からはえてる高ーいビルディングには、毎回おどろかされる。地球やったらこんなん、条例違反やで。景観をそこなうとかゆうて、あっちでは高さ制限がされてるんや。あとなんか、けばけばしい看板は禁止やった。そんなんやから、ラガタ星との経済格差がひらくばっかりなんや、とお父さんがぼやいてたんが思い出される。
今となってはぼくとしても、地球の景色のほうがずっと好きやけどな。こっちはお金もうけばっかりさかんで、町の品格なんかだれもかんがえへんから。
と、ゆうようなことをトミにはなしてみたかってんけど、ラガタ語でなんてゆえばええかわからんので、あきらめた。
「こっちよ」
二十分ほどあるいてから、うながされてせまい路地をすすんでいったところ、見あげたらひっくりかえりそうな高層マンションが。
「ここの八階」
とゆうと真ん中らへんかな。ぼくらは自動ドアをくぐって、エレベーターにのりこんだ。緊張してきた。友だちの家になんか地球でもまねかれたことないもん。
廊下をわたってドアの前へ。うきあがったトミがインターフォンをおす。
ガチャッ。知らんおじさんがでてきた。
トミの後ろにいるぼくへ、まっすぐ視線がそそがれる。ええと、こんにちは、ってこっちではなんてゆうんやっけ。
「と、と、友だちって男の子だったのか」むこうもえらいおどろいたみたい。
そうなんですよ。しかも顔がうすオレンジの地球人でっせ。なんかすんまへん。
トミにそっくりな目と鼻と口の青い顔にメガネ。どうやらこの人がうわさのパパか。
「じゃあ、入って」とトミ。そうゆわれても一歩もうごけんぼくとパパをとおりすぎてゆく。
おや、玄関にもう一台の円盤が。トミはそっちのすわる部分に手をかけて、力を入れ、すばやく移動した。
「おおー」ぼくはその見事なうごきに思わず拍手。体操選手みたい。
「いいから。くつぬいであがんなさいよ。じゃあね、パパ」
金縛りからとかれたぼくは、ひょいっと頭だけさげて、くつをぬぎ、トミについていく。トミパパはなんかいいたそうに、口をぱくぱくさせている。
うわー、壁紙がピンク、女の子の部屋ってやっぱこうなんや。犬と猫とパンダとシャチとなんかようわからんもんのぬいぐるみが並んでいて、アイドルっぽい男の歌手みたいなんのポスターが貼られてある。あとはベッドと机。うわー、トミのにおいが充満してるやん。
ぼくはこっそりそのにおいをすいこんだ。いや、ばれたかもしらん。なんやこいつ、みたいな目でトミがこっちを見つめている。
「そこのたたんであるテーブル、出してちょうだい」
指示にしたがうと、トミは円盤からおりた。ほそくてかわいらしい足。
「たしか算数よね、あなたが補習をうけてたのって」
せやで。ええ、もう勉強すんの?
トミは机の引き出しに手をのばし、紙を取り出した。このあいだのテストやった。ぼくは右上にしるされた数字に目をうたがう。百点。そんなん実在すんねや。
「あなたは持ってる?」
うぐぐ。残念ながら持っている。昨日と、明日の補習でつかうから。かばんから取り出すと、トミはおおげさに絶句した。三十六点のテストが実在することにおどろいたらしい。
「だ、だいじょうぶ。わたしがおしえてあげるから……」
そんな動揺せんといて。みじめになってしまうやん。
「ええー、最初の計算問題からまちがってるのね。これはこうやってこうやってこうするのよ。じゃあ、こっちのおんなじような問題をといてみて」
トミは教科書をひらいてゆびさした。
ぼくもノートをひらいて、えんぴつをとりだす。ええと、こうやってこうやってこう?
「ちがう!ここはこう!」
トミは赤えんぴつでただす。
ああ、ちかくで見るとトミの髪の毛ってきれいやな。ちょっとさわってみたいような。
「ねえ、わかってるの?」
わかってまへん。ぼくはなんにもわかってまへん。
ガチャッ。ドアがひらいた。あまりのおどろきにぼくはひっくりかえる。
「もうちょっとやさしくおしえてあげなさい。いつもパパがしているように」
そんなことをいいながら知らんおじさんが登場した。手にジュースとおかしをのせたおぼんを持っている。それを机にのせて、テーブルのそばにすわりこんだ。なんで。
「おおー、三十六点。なるほどな」
ねえ、こういうのって個人情報であって、だれでも好きに見ていいもんとちゃうんやない?
「パパ、なにしにきたの」
ほんとそう。
「てつだいが必要かと思ったんだ。トミは人におしえるのははじめてだろう?おしえかたにもコツってものがあるんだ。さあ、よく見ていなさい。ここはこうしてこうしてこう。わかるかい?」
「いらない。出てって」
トミパパは絶対に出ていかないぞ、と決意をかためているようだった。ぼくも知らんおじさんではなくて、トミにおしえてもらいたい。
トミはあきらめて、パパがすることをだまって見守るようになった。いや、そのほうが楽かもしらんけど、そこはもっとがんばらな。
それから何十分も、苦痛の時間がつづいた。
「そういえば、パパ、お仕事はいいの?」
思い出したようにトミがいう。
「きみが男の子をつれて部屋にこもっているあいだに、小説なんか書けると思うかい。……そういえば、名前をまだ聞いていなかったね」
ぼくはだまって問題をといていた。そうか。ここはこうしてこうしてこうか。
「ハマオよ。この子、わたし以外とはしゃべらないの。かわってるでしょ」
生れてはじめて算数の世界にぼくがどっぷりはまっていたころ、親子のあいだでこんなやりとりがされていたこと、ぜんぜん気づかんかったんや。
「パパ、わたし、たいくつなんだけど」
「ではリビングでテレビでも見てればいいじゃないか」
「いやよ、こんな時間、なんにもおもしろいのやってないもの」
「だったら本でも読んでたら」
「パパ、その子いちおう、わたしの友だちだからつれてきたのよ。ほっといたらわるいじゃない」
「たしかにそうだな。うーん、あっ。きみは三日前、クッキーをつくっただろう。なかなかおいしかった。この子にもごちそうしてあげたら」
「えっ、でも、パパがさっき、のこったのをもってきてくれたんじゃない。ほら(机の上のおぼんの、星形の一個をつまみあげる)」
「いや、しかしクッキーはなんといっても焼き立てが一番さ」
「まあ、それはそうかもね。けど時間かかるわよ」
「だいじょうぶ、できるまでおれが相手をしておいてやろう」
「ふーん、それじゃあパパ、ハマオをよろしくね」
どうや!この問題の証明は、これで終了ちゃうんか!ぼくはノートの上にえんぴつをたたきつけた。するとトミが部屋を出ていった。どういうこと。
おや、というふうにトミパパはノートを点検した。
「おしいなあ。最初の計算をまちがってるから、結論もぜんぜんずれちゃってる。ここのところからやりなおしてみたまえ」
トミ、どこいったん。
「さあ、集中してとりくもうじゃないか」
うながされて、ぼくは混乱した頭をかかえながら、えんぴつを手に、問題とノートを見つめようとした。でもわからんから、トミパパのほうをむく。パパはどういうつもりなんか、にやにやしている。
それから知らんおじさんと二人きりで数十分、地獄のような時間をすごすことに。と、思ったんやけど。
だんだんおちついてきた。トミはごちそうをこしらえにいった、らしい。
もしかしたらこの人、ほんまに算数をおしえるのがうまいんかもしらん。ぼくは何度もまちがえながら、どんどんこたえをみちびき出していく。この調子やとあるいは、明日の補習でおんなじテストをうけて、六十八点くらいはとれるんとちゃうか。
お父さんとかその弟とか、青鬼先生みたいにどならんのがええわ。高圧的やない大人の男の人って、そういや、はじめて見たかも。
しばらくぼくは、トミパパと算数の世界を旅していたんや。
いや、でも、もうええ。つかれた。とりあえず、明日の補習のぶんくらいは間にあうはず。だから、やめよ?
あきらかにぼくの手がうごかんようになったのを見て、少しは察してくれたのかもしれん。トミパパはいれっぱなしにしてあった、ぬるいジュースをわたしてくれた。
「ところで、ハマオくんはやっぱり地球人なのかな」
わかるやろ、顔がオレンジなんやから。と心の中でつぶやいても、あかんわ。トミパパはトミやないから、心の声は聞こえへん。
ぼくは冷や汗をぬぐった。
「いいんだよ、ゆっくりはなしてくれたら。おれも人見知りがはげしくてね、初対面の相手の前では、いつもだまりこんでしまう」
どこがやねん。子どもやからってなめんな。とはいえ大人というのは子どもをなめてかかるものやから、べつにふつうの態度なんやろう。わるい人やないのは、なんとなくわかった。
「転校生なんだって?」
ぼくは口をぱくぱくさせた。
「トミはいい子だろう?」
「……はい」
トミパパはふーっと息をはいた。
「やっと声が聞けたね。やっぱりしゃべれるんだ」
それからぼくらは、ぽつりぽつりと雑談をかわした。クラスでのトミのようすとか、あと本のこととか。
「……SF、トミに、おしえてもらいました」
そう聞くとトミパパは、目を見ひらいて、なんだかそわそわし出した。へんな人や。
今度は彼がだまり出した。というか、なんかいいたそうやのに、なんていっていいかわからんで、かんがえこんでるみたいな。
「焼けたよー」そこで、聞いたことないような明るい声のトミが、甘いかおりのする皿をひざにのせてもどってきた。もう、やっとかいな。けっこうしんどかったで。ふつうやったら気絶してたかも。
「たべてね、ハマオ」
えらいうれしそうに。手作りクッキーか。でもぼくのためにこんなんしてもろたんははじめてやし、それだけでも感激やわ。
ハート型のやつを一つつまんで口に。あっつい。うん、ちゃんとクッキーやん。
つーっ、とひとすじ、感動のなみだをながしてもええところやってんけど、手で確認したところ、べつに目はぬれてへんかった。
「どう?」
「おいしいです」
いや、味の評論とかはできひんよ?グルメレポーターやないんやから。
トミはべつに、もっとくわしくいえ、みたいなようすも見せず、きげんよく自分でも一枚、なんかようわからん形のを口に入れた。
ぼくは感想がへたなんがもうしわけなくて、つぎつぎとむさぼり食う。するとはっきりよろこんでくれてるのがつたわってきた。
「なあ、トミ」
あっ、パパはもうあっちいってええで。というのが二人の共通の思いやった。
「ハマオくんはSF小説が好きだそうじゃないか」
「まあね、わたしがおすすめしてあげたの。小松左京とか」
「だからさ、ほら、あれをわたしてあげたら……」
うん?なにがいいたいんやろう。さっきからこの人、急にもじもじし出して、大人のそんな態度はちょっと見てられへんわ。
目で合図、が娘につうじひんかったらしく、今度は遠慮しながら本棚をゆびさした。
ぼくもそちらに目をやると、さすが読書家の蔵書は大したもので、何段もいっぱい本がつまっている。どれもこれもSFなんかな。星新一や筒井康隆以外にも、ぼくの知らんカタカナの作家とかのがいっぱい入ってるやん。
パパのゆびさしてるところを見てみると、なんや奇妙やな。おんなじタイトル、おんなじ作者の本がいっぱいならんでる。
「ああ、これね。えーっと、ハマオ、それ、一冊あげるから持って帰って」
はあ?それって?この何冊もあるやつのことかいな。ぼくは立ち上がってぬきとった。
表紙ではかわいい赤毛の女の子が宇宙船の中でロボットをかかえている。『宇宙少女トミ』
「前からたのんでたんだよ。友だちにくばってくれって。ところがなかなか、だれにもわたしてくれなくてね。やっと今日で一冊目なんだ」とトミパパ。
ふーん、なんで。
「パパのデビュー作なの。講談社児童文学新人賞、とったんだって」
あっ、この人、小説家なんや。すっげえ、生で見るのはじめて。
「でもまだ一つしか書いてないのよ。それですぐ会社やめちゃってさ、だいじょうぶなのかしら」
「だって、あの村上春樹先生だって、新人賞をとったらさっさと自分のジャズ喫茶を売っちゃって、専業作家になったって聞いたからさ」
「村上先生は子ども、いなかったじゃない」
だれ、ムラカミハルキって?どんなSF書いたんやろう。
さっきまで上から目線で算数をおしえてくれてたトミパパが、今度はぼくをおがみ出した。
「たのむよ、ハマオくん、くわしく感想をもとめたりはしないからさ、せめておもしろかったかどうかだけでもおしえておくれ。おれは娘以外に子どもの知り合いがいないんだよ。児童文学なんだから、子どもの意見はどうしても聞いておきたくて」
ああ、それで。トミはぼくしか友だちおらんから。
「この子、トミですか」ぼくは表紙の女の子をゆびさした。
「いや、モデルにはつかわせてもらったんだけどね、そのものというわけでは……恋愛とかもするし……おれはシリーズものにしたいところなんだけどさ、編集者さんがつぎはほかのをってゆうから……」
なんかようわからんことをごちゃごちゃゆうてる。
そんな感じで、またきてね、ってことで今日はおいとますることに。クッキー、おみやげにさせてもろたらよかったな。ぜんぶたべてしもた。
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