第4話:新たな道を求めて
夜の冷たい空気を吸い込みながら、私は自分の心に問いかけ続けた。「これから、どうすればいいのか?」答えはまだ見えないままだった。
それでも、一つだけ分かっていることがある。私はもう、誰かの期待や成功のためだけに生きることはできない。私が本当に望んでいたものが何かを、今こそはっきりさせるべき時だ。作家としての成功は確かに手に入れた。しかし、それは心の満足感とはまったく別のものだった。
翌朝、私は早めに会社へ向かった。いつもなら、仕事に追われている自分を苦しめるだけだったデスクが、今日は妙に静かに感じられた。周りはまだ誰もいない。この静けさの中で、私は一人考え続けた。
作家としてのデビュー作は成功し、次の作品についても出版社から期待されている。しかし、その期待が私をますます追い詰めているのも事実だった。私が本当に書きたいものは何なのか――その答えを見つけるために、もう一度自分自身と向き合わなければならない。
「麻衣さん、おはようございます!」
ふいに明るい声が私の耳に入った。同僚の由美だ。彼女は私の作品を読むたびに「素晴らしい」と言ってくれる一人だが、その言葉が今の私には何の意味もないように感じられる。
「おはよう、由美」
私の声はどこか疲れた響きを持っていた。由美は私の顔を見て、心配そうに首を傾げる。
「なんだか元気ないですね。大丈夫ですか?」
「うん…ちょっと、考えることがあってね」
「そうですか。何か悩みがあるなら、聞きますよ!デビュー作も成功して、すごく順調に見えるけど…何かあったんですか?」
彼女の問いかけに、私は一瞬迷ったが、次の言葉が自然に出てきた。
「うん、なんだか…夢を叶えたはずなのに、心が空っぽでね」
自分でも驚くほど正直な言葉だった。普段はこうした感情を他人に話すことはほとんどなかったが、由美の優しさに触れて、少しだけ心が開かれたのかもしれない。
「空っぽ、ですか…」
由美は驚いた様子を見せたが、すぐに考え込むような表情を見せた。そして、しばらくの沈黙の後、ぽつりと言った。
「麻衣さんにとって、本当に大切なものって、何なんでしょうね?」
その言葉は、まるで私の心の奥に刺さるように響いた。大切なもの――今の私には、それが何なのか分からなくなっている。直樹との思い出を失ったことで、私は自分の人生から何かを失ってしまったのだろうか?それとも、夢を叶えたことで、見失ったものがあるのだろうか?
「それを見つけなきゃいけないのかもしれないね」
私はため息をつきながらそう言った。由美は優しく微笑んだ。
「そうですね。でも、きっと見つけられますよ、麻衣さんなら」
彼女の言葉に少しだけ救われた気がした。もしかしたら、本当に私が求めているものを見つけられるのかもしれない。
その日の仕事が終わり、帰り道に私はふと思い立って、自分の本が並んでいる書店に立ち寄った。書店の棚には、私のデビュー作がずらりと並んでいる。それを見つめながら、私は複雑な気持ちに包まれた。
「これが私の夢の結果なんだ…」
成功したはずのこの本が、今の私にはただの記号にしか見えない。そこにあるのは、自分が本当に伝えたかったものではないからだ。私は、もっと自分自身の言葉で語るべきだったのかもしれない。
その時、不意に背後から声が聞こえた。
「麻衣?」
振り向くと、そこには沙織が立っていた。彼女の目は驚きと、少しの心配が混ざった表情をしていた。
「沙織…どうしてここに?」
「仕事帰りにふらっと寄っただけだよ。だけど、まさかここで麻衣に会うとは思わなかった」
彼女はそう言って微笑んだが、すぐに真剣な表情になった。
「ねえ、麻衣…大丈夫?なんか、最近元気ないように見えるけど」
彼女は私の変化にすぐに気づいていた。沙織の前では隠し通せない。私は溜め込んでいた思いを少しだけ吐き出すことにした。
「夢を叶えたはずなのに、何かが違うんだ。作家として成功することが、こんなに苦しいとは思わなかった」
沙織はしばらく黙っていたが、やがて私の肩に手を置いて静かに言った。
「麻衣が夢を叶えたことを、私はすごいと思ってる。でも…もしその夢が麻衣を苦しめているなら、無理にその道を進む必要はないんじゃない?」
「でも…私は夢を叶えたんだよ。それを捨てるなんてできない」
「捨てるんじゃないよ。麻衣が本当にやりたいことを見つけるために、立ち止まるのも一つの選択だと思う」
彼女の言葉に、私はハッとした。立ち止まる――そんなことは、これまで考えたこともなかった。常に前進し続けなければならないと信じていた。でも、もしかしたら一度立ち止まって、自分の心と向き合うことが必要なのかもしれない。
「ありがとう、沙織…」
私は感謝の気持ちを込めて彼女に微笑んだ。彼女は私の背中を軽く叩き、明るく言った。
「よし!じゃあ今度、気分転換にどこか旅行でも行こうよ!新しいインスピレーションを得られるかもしれないよ」
「うん、それもいいかもね」
そう答えながら、私は心の中で一つの決意を固めた。これから、私はもう一度、自分が本当に何を望んでいるのかを見つけ出すために、立ち止まり、考える時間を持つべきだ。
そして、そのために一歩踏み出す準備を整える。
その夜、私は家に帰り、机に向かった。ノートを広げ、ペンを手に取ると、久しぶりに自分のためだけに物語を書き始めた。誰かの期待に応えるためではなく、成功を追い求めるためでもない。ただ、自分が本当に書きたい物語を。
その物語の中で、私は再び自分の夢と向き合い始めた。
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