第43話 命の証明

 

          ◯



 美波はまだ死んでいない。


 少なくともまだ心臓は動いている。


 なのに、周りの誰もが彼女を『死んだ者』として扱っていた。



 脳の機能が完全に停止した場合、いくら延命措置を行っても患者は十日程度で死に至る。


 これがまだ『植物状態』であれば、脳の一部が動いており、意識が戻る可能性もゼロではない。


 けれど『脳死』は、脳が完全に沈黙し、体の働きを維持することができない。

 ここから回復した例は世界に一つとしてなく、その後の心停止をもってその人の死とするか、あるいは脳死判定によって死を判断するかのどちらかになる。


「おかしいよな……。心臓はまだ動いてるのに。美波はもう、ここにいないってことなのか?」


 彼女の親が病院ここに到着するまでの間、俺は彼女のそばから離れなかった。


 離れたくなかった。


 彼女の心臓はもう、十日程度しかもたない。

 それを過ぎる頃には、この体だって火葬されて、骨しか残らないのだ。


 彼女の親が到着すれば、俺の父の口からは臓器提供の意思確認がなされる。

 患者が脳死した場合、早い段階で提供の意思が確認されれば、より多くの臓器を提供することができるのだ。


 もともと自らの臓器提供を望んでいた彼女は、すでに意思表示を済ませている。

 彼女の家族がどういう判断を下すのかはわからないが、本人の意思を尊重するなら、美波は脳死判定をもって死亡と診断され、臓器を摘出されることになるだろう。


「キミはこれを望んでいたのか? だから……わざと車道へ飛び出したのか?」


 俺が尋ねても、彼女は何も答えてはくれない。


 彼女がなぜこんな雨の日に外へ出たのか。

 一体どこへ行くつもりだったのか。

 なぜ視界の悪い中、車道へ飛び出したのか。


 これは不慮の事故だったのか。

 それとも彼女が自ら望んでやったことなのか。

 もしも彼女が自殺を図ったとしたなら、俺との花火大会の約束は何だったのか。


 俺は、彼女にとっての何だったのか?


「戻ってきてくれよ、美波。頼むから……」


 彼女の魂は、思いは、今どこにあるのだろう。


 人の魂はどこに宿るのだろう。


 脳か、心臓か。はたまた体の全ての細胞か。

 それとも……。



          ◯



 その日、病院に駆けつけたのは美波の母親だけだった。

 父親は仕事で海外におり、どうやっても今日中に帰国することは適わないという。


 数年ぶりに会った母親の顔は疲弊していて、以前見た時よりも何倍にも老けて見えた。

 病院からの連絡を受けた時点で泣いていたのか、すでに目元が赤く腫れている。


 日頃から娘とぶつかることの多かったらしい彼女だが、だからといって愛情がなかったわけではないのだろう。


 むしろ、その逆。


 普段から何度も口出ししていたということは、それだけ娘のことをいつも気にかけていたということだ。


 その証拠に、彼女は美波の顔を見るなり、その場に泣き崩れた。


 普段からあれだけ人目を気にしていたという彼女が。


 俺たちの前で、病院の真ん中で、まるで子どものように声を上げて、いつまでも泣き叫んでいた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る