第29話 真実を知る記憶
最後の確認、とばかりに彼が聞く。
この嫌な予感は、もしかすると当たっているのかもしれない。
けれど、たとえそうだとしても。
「うん。知りたい。
凪はこちらの返答を聞くなり、ふう、と息を吐く。
それから車を道の端に寄せてエンジンを切った。
ドアを開けて外に出た彼に続いて、
途端、照りつける太陽の光と、全方位から響くアブラゼミの声に包まれた。
「キミが『愛崎』という苗字だったことは間違いない。そして同時に、キミは『みなみ』でもある。この意味がわかるか?」
凪はこちらと目を合わせず、かつて家があった空き地の方を見つめながら言う。
『愛崎』と、『みなみ』。
どちらも
つまり
「愛崎みなみ……」
愛崎みなみ。
それが、生前の
「ん? どゆこと? 『みなみ』って……それ、女の子の名前じゃない?」
沙耶が不可解そうに言った。
彼女の言う通り、『みなみ』という名前は一般的には女性に多く付けられるものだ。
男性に付けられることもゼロではないだろうが、おそらくは少数派だろう。
「……まさか」
あることに思い当たり、
嫌な予感というのは、やはり当たっていたのかもしれない。
そう信じて疑わなかったし、そうであってほしいと思っていた。
けれど、違ったのかもしれない。
「キミの下の名前は、みなみ。美しい波と書いて
凪からそう聞かされた瞬間、あれだけうるさかったセミの声が、一斉に止んだ。
音が、聞こえない。
肌を撫でる風の感触も、頭上から照りつける太陽の熱さも、何も感じない。
「……今、すずの中にいるのは女ってことか?」
それまで黙っていた桃ちゃんが、久方ぶりに口を開いた。
愛崎美波は女。
その事実を突きつけられた瞬間、激しい拒否感が胸に溢れた。
「……ちがう。僕は女なんかじゃない!」
ほとんど無意識のうちに、そう叫んでいた。
桃ちゃんは驚いた顔でこちらを見て、そして、憐れみのような目を向けてくる。
彼から向けられたその視線に、僕の胸中はさらに掻き乱された。
体は女なのに、心は男。
そのちぐはぐな感覚は、当事者以外の人間と共有することは叶わない。
誰も僕の気持ちなんてわかってくれない。
わかるはずがないのだ。
——キミは全てを思い出したら後悔するかもしれない。それでも真実を知りたいのか?
思い出したら後悔する。
凪が言っていたのは、そういうことだったのか。
「ねえ、井澤さん」
と、今度は沙耶が彼の名を呼んだ。
彼女にしては珍しく、感情が伴っていないような冷たい声だった。
「あなたはこんなことを伝えるために、すずに会いにきたの? 十年前に死んだ自分が、心と体とで性別が違ったって。そんな残酷な過去の事実を、わざわざ掘り返しにきたの?」
「いや。俺が美波と話したかったのはそんなことじゃない。俺はただ……確かめたいことがあったんだ。美波と会って、本人の口から真実を聞きたかった」
「真実?」
彼はゆっくりと足を踏み出して、空き地へと近づいていく。
そうして目の前までやって来ると、そこで膝を折ってしゃがみ込み、生え放題になっている雑草に手を伸ばす。
「愛崎美波は十年前、中学三年生の時に死んだ。……事故死だった。自殺でも他殺でもない、不幸な事故だったと言われている。けれど、俺にはどうしてもそうだとは思えない」
雑草の中から、小さなヒメジョオンの花を摘む。
花びらの一つ一つは白くて細く、真ん中の丸い部分は黄色い。
「あれはただの事故じゃない。自殺か、他殺か……そのどちらかだとしか思えない」
親指と人差し指で花を挟み、ぐっと力を入れて潰すと、黄色い部分はまるで『あっかんべー』をするように手前に飛び出てくる。
「自殺か、他殺……? なんか、物騒な話になってきたね?」
沙耶は笑いかけようとしたが、うまくいかなかったらしい。引き攣った笑みが不自然に顔に張り付いている。
凪は再びその場に立ち上がると、こちらを振り返った。
「俺は十年前の真実が知りたい。そのためには、キミの記憶が必要なんだ。美波」
左目に泣きボクロを添えた妖艶な双眸が、まっすぐに僕を射抜いていた。
空はいつのまにか、ほんのりと夕暮れの色を滲ませている。
肌を撫でる風は、昼間のそれよりわずかに温度が下がっている。
町の上空を、カラスの群れが横切っていく。
その鳴き声にまぎれて、辺りにはどこからか、ヒグラシの声が響き始めていた。
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