第11話 再会

 

 井澤先生、かもしれない。


 遠くてはっきりとは確認できないけれど、確かな予感が胸に芽生える。


 彼はしばらくこちらと目を合わせていたが、やがてふいと顔を背けたかと思うと、そのままどこかへと歩き去っていく。


「まっ……待って!」


 ぼくは慌てて病室を飛び出し、彼の後を追った。


 これが最後のチャンスかもしれない。


 彼は一体何者なのか。


 なぜぼくのことを知っていて、ぼくも彼のことだけは見覚えがあったのか。

 それを確かめたい。


「廊下は走らないでね!」


 どこからか看護師の注意する声が聞こえたが、従う余裕はなかった。

 入院生活で鈍った足を必死で動かし、息を切らしながら、室内用のスリッパのまま外へ出る。


 そうしてやっと先ほど彼の立っていた場所まで辿り着いたものの、すでにそこには誰もいなかった。


 病院の裏手。コンクリートで囲まれた殺風景な狭い空間。

 こんな場所を人が通ることなんて滅多にないだろう。


(もしかして、見間違いだったのか?)


 乱れた自分の息遣いと、街の喧騒が遠くに聞こえる。

 誰もいない。

 まるで自分だけが世界から取り残されたような気がして、急に心細くなった。


 と、不意に肩のあたりに何かが触れて、ぼくは飛び上がった。


「わっ!?」


「あ、ごめん。驚かせちゃったな」


 聞き覚えのある声。


 振り返って見ると、そこにはいつのまにか、待ち望んだ彼の姿があった。


「井澤……先生?」


 清潔感のある黒髪に、まつ毛の長い妖艶な瞳。

 その左目の下には泣きボクロがある。


 彼は先日と似たラフな格好で、ぎこちない微笑を浮かべていた。

 何か言いたげな様子にも見えたが、こちらが話し出すのを無言で待っている。


「あ、あなたは一体誰なんですか? 学校の教師だっていうのは嘘ですよね」


「そうだな。あのときは、咄嗟に嘘を吐いて悪かったよ」


 どうやら隠す気もないらしい。

 しかし自分が何者であるのかは語ろうとしない。


「あなたは、ぼくとどういう関係なんですか? ぼくが記憶を失う以前にも会ったことがあるんですよね?」


「うーん……。会ったことがあると言えばあるし、ないとも言える、かな」


「は?」


 曖昧あいまいなことを口走る彼に、ぼくはつい怪訝な声を漏らす。


「どういう意味ですか、それ。会ったことがあるかどうか、答えは明確なはずでしょう」


「キミが『比良坂すず』であるなら、会ったことはないよ。でも、今のキミはだろう?」


 含みのある言い方に、思わず身構える。


 今のぼくは、『比良坂すず』ではない。


 その発言からすると、彼はおそらく『ぼく』の正体を知っている。


「あなたは何か知っているんですか? ぼくのことを。どうして性別に違和感があるのかも、全部」

 

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