第34話

 それでも、いつかは解呪が必要となるだろうし、少しは情報を集めておいた方がいいのは変わりない。私の不幸を願った呪いに関しては私が説明できるが、最期の呪いに関しては情報が必要だ。

 電話よりメールの方が距離があっていいだろうと、情報を求める一通を宗市に送ったのは今朝だった。昼にはもう届いた返信に、今日も休んだのだろうかとまた、余計な心配をした。

 返信に綴られた内容によると、宗市は事実を語っていなかった部分があったらしい。瑞歩が私に謝っていたのが嘘だったのはもちろん、瑞歩が宗市の愛情を疑っていたのは事実だが、瑞歩は宗市が私を愛していると訴えてヒステリックに騒ぎ立てていた。

 『「あの女じゃなくて私を愛して」と何度も言われた。激昂して、珠希ちゃんのことを殺してやるとも言ってたから、珠希ちゃんを呪った理由はその辺だと思う。』

 伝えられた正しい瑞歩の姿は、予想以上に自分勝手すぎた。要は、瑞歩は「宗市に愛されない恨みに、宗市が愛していた私を殺そうとした」らしい。自分が呪いを掛けて無理やり気持ちを捻じ曲げておいて、よくそんなことができたものだ。今更だが、呆れて言葉が出ない。

 宗市にはひとまず礼と、何かあれば連絡してほしいことを伝えて返した。有慈には夕飯の時に伝えたが、すんなり受け入れられて終わった。これで解呪に話が進むかと思ったが、特に話題には出なかった。やはり気が進まないのだろうか。でも、妻としては延々と力を使わせるのは望まない。早めに解呪して楽になってほしいが、余計な気遣いだろうか。

「……あれ、ない」

 洗濯機の前で探ったパーカーのポケットを、もう一度探ってみる。確かに入れていたはずの、あの木像がなくなっていた。

 昨日は帰ってあと座椅子に掛けてそれきりで、今日は一日そのままだった。もしかしたら、宗市の部屋で落としてしまったのかもしれない。宗市に連絡してみなければ。それ以外のところで落としていたら、どうしたらいいのだろう。

 とりあえずパーカーを洗濯機に突っ込んで、部屋に戻る。座卓の脇に置いていたバッグをひっくり返して、中身を全部出した。記憶違いで入れていたかもしれないと思ったが、見当たらない。やっぱり、どこかで落としたのだ。

 ――持っていなさい。身を食う毒くらいは防いでやれるだろう。

 これがなくなったところですぐに何か起きるわけではないだろうが、もっと厳重にして持ち歩けば良かった。溜め息をついて、散らばったものを再びバッグに戻していく。

 片付け終えたあと、宗市に捜索を願うメールを送った。


 珠、希……げ、よ……。

 頭の中にあの光の声が聞こえた気がして、目を覚ます。見上げた天井は常夜灯の色に染まり、空気は冷えていた。不意に何かを唱えるような声がして隣へ視線を向けるが、暗がりの中にその姿はない。どこへ、と思った時、下腹部に妙な感触が走った。

 驚いて少しせり上がると、ああ、と下の方から声がした。

「すまない、目覚めさせてしまったか」

「何を、していたんですか」

 だらしなく開いていた膝に気づいて、慌てて閉じる。さっきの感覚はもう消えていたが、この状況には明らかな違和感があった。

「少し収まらぬものがあったから、抱こうとしていただけだ」

 暗がりの中で答えた有慈は、閉じたばかりの私の膝を割って体を寄せる。捩ろうとした腰を掴んで沈めると、覆い被さって荒い息を吐いた。

 ただ抱こうとしていただけなら、なぜ何かを唱えていたのか。

 尋ねようと開いた口を塞ぐように有慈は唇を重ね、いつもより粗く動く。胸を突き放そうとした手は掴まれて、組み敷かれた。逃げようと力を込めると、それ以上の力で押しつけられる。

「私を、どうするつもりなんですか」

「どうもせぬ。いつものように、ただ愛でているだけだろう」

 確かに、いつもどおりではある。有慈は私の拒否を滅多に受け入れないのだから。不意に思い出されたこれまでの痛みが、胸を突いた。嫌悪感に逃れようと体を捩ると、有慈は押さえ込んでいた手を離して、私の顔を掴む。

「忘れるな、珠希。お前は私のものだ。あの日、私の手を掴んだのだからな」

 有慈の荒い言葉が、まるで呪いのように聞こえた。

 ――お前は、あの時の子供だな。どうだろう、私の妻にならないか。

 あの日、か。あの日、私は確かに救われた。二度目の神は、今度は完全に私の闇を光で打ち払ってくれた。その対価が、私自身だったのだろうか。

「お前は、私のものだ」

 有慈は苦しげな声で繰り返し、唇を重ねる。下腹部から滲むように拡がっていく鈍い痛みを逃せず、小さく呻いて布団を握り締めた。


 翌日、朝一で脇に差し込んだ体温計は三十九度を示していた。有慈は私の額に触れて熱を吸ったあと、今日はゆっくり休むように告げて仕事へ向かった。

 朝食に運ばれた玉子雑炊を啜り、熱っぽい息を吐く。汗ばむ肌に、寝巻きの合わせを少し開いた。

 有慈が昨夜何をしたのか、私には知る由もない。でも、有慈が私に何かを隠しているのは分かる。今朝の熱も多分、それのせいだろう。陰で、私を傷つけるような何かを企んでいるのかもしれない。それなら、ここから逃げ出すべきか。でも。

 ――実は、これまでお前が背負ってきた呪いも、解呪したわけではない。

 有慈から離れたら、またあの地獄が始まってしまうのだろう。これ以上瑞歩の呪いに苦しめられたくはないし、耐えられなくなって命を断つのも屈辱だ。そんな思いをするくらいなら、ここにいて有慈に傷つけられる方がいい。救われなければ、どうせ死んでいた命だ。

 ――ああ、これは苦しいだろう。

 あの時差した鮮烈な光は、今も覚えている。与えられた救いを、忘れられるわけがない。瑞歩のせいで死ぬのは論外だが、有慈のためなら、それもいいような気がする。男として愛し始めたのはここ数年でも、神としてならずっと愛していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る