第31話

 今日のメインは、煮込みハンバーグだった。つけあわせは、シーフードマリネと人参のグラッセらしい。器選びのセンスもいいし、盛り付けも美しい。目でも楽しめるメニューだった。

「会計士辞めてカフェやればいいのに。料理もうまいしセンスもいいから、繁盛しそう」

「ありがとう。職にあぶれたら考えようかな。さあ、どうぞ」

 配膳を終えて向かいに腰を下ろした宗市は、嬉しそうに笑って勧める。斜向かいに腰を下ろした有慈を窺うと、鋭い視線でじっと料理を見つめていた。私はともかく、有慈は肉を食べるのは久し振りなはずだ。もしかしたら抵抗があるのかもしれない。

 有慈は私の視線に気づくと姿勢を正し、いただきます、と頭を下げて箸を手に取った。安堵して私も頭を下げ、食事に向かう。シーフードマリネを少しと人参のグラッセを一つ味わってから、煮込みハンバーグへと箸を入れた。

「食うな、珠希」

 一切れを口に運ぼうとした時、有慈の鋭い声が止めた。驚いて箸を下ろすと、有慈は私の煮込みハンバーグの皿を引っ掴んで自分の手元に寄せる。箸でハンバーグを大きく割ったあと、宗市を睨んだ。

「珠希に二つ目の呪いを掛けたのは、お前だな」

 予想外の指摘に驚いて宗市を見ると、いつもの笑みも消えた、能面のような顔をしていた。本当に、そうなのか。

「でも」

「料理に混ぜて食わせた呪物がお前の血肉に入り込んだせいで、内から呪いが生まれるようになっていたのだ。おそらくは、遺骨だろう」

 遺骨。

 瑞歩の、と考えるまでもなく押し寄せた吐き気にキッチンへ向かう。でも、シンクで吐き出したものには、入っていないのだろう。パスタとそば。あの中に、練り込んでいたのか。許せない。どうして、こんな。

「ふざけないでよ、なんでこんなことすんの!」

 怒鳴りつけた私にも、宗市は無表情でどこか一点を見つめたままだった。収まらない怒りに宗市の元へ向かい、思い切り平手打ちを食らわせる。宗市は無抵抗で受け入れたあと、視線を落とした。このまま意地でも黙秘を続ける気なのか。収まるわけのない苛立ちに荒い息を吐き、怒りで震える手をまた振り上げる。

「瑞歩を、蘇らせたかったんだ」

 小さく聞こえた言葉に、手が止まった。……蘇らせる?

「そのためには、四十九日で瑞歩の魂がこの世にある内に、珠希ちゃんに遺骨を数回に分けて食べさせる必要があったから」

 宗市は赤くなった頬をさすることもなく、俯いたまま訥々と続ける。何をどう考えればいいのか分からず、どんな感想が適しているのかも思い浮かばない。よく知ってたね、とでも言えばいいのか。

「術も結べぬお前の知識ではないだろう。誰の入れ知恵だ」

 聞こえた有慈の冷静な声に、少しだけ胸が落ち着く。今になって痛みを感じ始めた手をさすりながら、椅子を引き出して腰を下ろした。

「クローゼットにあった祭壇の像が、話し掛けてきたんだ。『妻を蘇らせたくはないか』って。その時は驚いて逃げて、クローゼットにも近寄らなかったけど……やっぱり、気になって」

 私は驚いたが有慈は素振りも見せず、鋭い表情でずっと宗市を窺っている。その可能性に気づいたから、今回は一緒に来たのだろう。

「それで改めて聞いたんだ。そしたら、自分に祈りを捧げて、遺骨を珠希ちゃんに食べさせれば、珠希ちゃんの中に瑞歩を蘇らせてやるって」

 神光教の神、か。確かに教祖である長吉が死んだからといって、長吉に憑いていた邪念の塊まで死んだわけではない。犠牲を求める代わりに、願いを叶える悪霊だ。

「その時は、そんなのはダメだって、するつもりはなかったんだ。でも葬式の時に瑞歩とそっくりな珠希ちゃんを見たら、どうしても耐えられなくなって」

「一度裏切っただけじゃ気が済まなくて、今度は殺すつもりだったんだ」

 一度ならず二度までも私の心を踏みにじる資格が、宗市にはあったのか。私が宗市に、何をしたというのだろう。情けなさと悔しさで、涙が浮かぶ。

「呪いだとは知らなかったし、殺しはしないって言ってた! 生きてる珠希ちゃんの中身を、瑞歩にするだけだって」

「それで、『ああ珠希ちゃんが死なないならなんの問題もないね』って思ったわけ? 私の不幸を願う時点で呪いになるってことくらい、分かってたでしょ!」

 泣きながら返した私に、宗市は黙る。

「だから、呪いが拮抗していたのだな。妻は『珠希を殺す呪い』を掛け、お前は『珠希を生かさなければ達成できない呪い』を掛けた。だがお前の呪いは、明らかになったことで半分以上解けた。もう、珠希に何をどれだけ食わせたところで妻は蘇らぬ」

 有慈は、相変わらずの冷静さで状況を紐解く。ああ、そうか。そういうことだったのか。

 瑞歩も、命を懸けた最後の呪いをまさか最愛の夫に防がれるとは思っていなかっただろう。ざまあみろ、と浮かんでしまったが、もうそれを窘める理性は働いていない。二人揃って地獄に堕ちてくれ。

「何を犠牲にして呪った。血だけではないだろう」

「『寿命を三十年寄越せ』と」

 宗市の答えを、有慈は鼻で笑った。あまり見ない姿だが、長吉の消えた今では天敵みたいなものだ。どうしても、そうなってしまうのだろう。

「このあとは、どうなるんですか」

「『人を呪わば穴二つ』というだろう。明らかになった呪いは、掛けた者に跳ね返る。珠希の体から抜けた呪いに食われて死んで終わりだ」

 尋ねた私に、有慈は躊躇いなく宗市の死を告げる。俯いていた宗市は、溜め息をついて顔を覆った。

「ごめんね、珠希ちゃん。最初から、こうすれば良かったんだ。一緒に生きようなんて思わないで、一緒に死んであげれば良かった。本当に」

「だが、お前がこのまま死ねばあれの養分になる」

 有慈は遮るように言って、腰を上げる。シャツの袖を再びまくりあげながらソファへ向かい、投げていた上着を手に取った。

「死ぬのは、呪いを完全に解いたあとにしろ」

 内ポケットから御札のようなものを何枚か取り出し、キッチンへ向かう。

「ソファに結界を張るから、珠希はそこから出てくるな」

 手を洗いながら出された指示に従い、ソファに腰を下ろす。収まらない胃の気持ち悪さに横たわりたくなるが、今はもう少し我慢だ。本当は、血を全部抜いて入れ替えたいくらい気持ち悪い。最悪だ。ほんの少しでも、私の中に瑞歩が混じるなんて。

 睨みつけた宗市はまだ俯いて、魂を抜かれたようにぼんやりとしている。私を傷つけると分かっていながら、ずっと平然とした顔で対応していた。当たり前のように話をして、当たり前のように料理を勧めて、私の賛辞を受け入れていた。よくもそんなことができたものだ。私なら、罪悪感で挙動不審になるだろう。でも、有慈を喪った時に同じように誘惑されたら……すぐに拒絶はできない気がする。有慈を喪う時には、きっと祖母を喪った時以上の痛みに襲われるのだろう。

 想像だけで痛む胸に、キッチンのあちこちを開けて勝手に物色している有慈を見る。有慈は私と同じほど、私の死を悼んでくれるだろうか。宗市のように、道を誤るほど私を求めてくれるのか。

 今更いじましく湧いた瑞歩への羨望に溜め息をつき、ソファに体を預ける。これ以上思考が泥沼に沈まないように、パーカーのポケットに手を突っ込んであの像を握った。

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