第29話

 ――本部に就職したい者に試練を課す案は、実行すれば良い。全職員に試練を課すのも構わぬが、審査は教務部が手分けして行うことになるのだろう。職員の質でばらつきが生じてはならぬから、その前段として私が教務部の職員を全員審査しよう。適さぬ者は、ほかの職員の対処に準じて山を下ろす。

 有慈の出した答えは、教務部長寄りのものだった。まあ、仕方ないことだろう。そもそも、教義が社会生活での和合の実践を最良としているのだ。山から下ろせる者は、社会生活が苦手だろうとなんだろうと、下ろした方が良い。

 これで全職員受験体制が発足してしまうと思ったが、予想に反して見送られることになった。噂では教務部長以外の教務部職員が、有慈の審査に尻込みしてしまったらしい。おそらくほかの職員に対するものよりも厳しくなる、と踏んだのだろう。

 今朝の儀式で会った教務部長は、儀式の最中に関わらず私を睨みつけていった。あの感じは、私が有慈に入れ知恵をしたと思っているのかもしれない。「本部に入ろうとやってきた女性信徒が奥様を悪魔だと見抜いたがために殺された」噂が流れ始めたのも、ここ数日のことだ。私憎さに教務部長である自分が教義からかけ離れた態度を取っていることについてはどうなのか、それすら私のせいにされそうではある。

 とはいえ、噂はこのままでは山を下りてしまう。どんな話でも、人の口を伝わる内に尾ひれがつくのは分かっている。このまま放置しておくわけにはいかないだろう。

 呼び出しに応じた教務部長は、前回のようにソファへ腰を下ろす。私もその向かいに腰を下ろし、持っていたレコーダーをテーブルに置いた。

「話し合いで一番避けたいのは、言った言わないになることです。お互いの証拠となるように録音をしたいのですが、構いませんか」

「構いません。私もその方が助かりますので。終わったら、ぜひコピーしたものをいただきたい」

 教務部長は冷ややかな視線をくれつつ、装束の袖を払う。前回と違い、今回ははっきりとした嫌悪感が見えていた。ここまできたらもう仲直りは無理だろう。でも大人である以上、必要なけじめはある。

「全職員に試練を課す提案が通らなかったのは、教務部が受け入れなかったためと聞いています。実際のところはどうなのですか」

「反対した職員がいくらかおりましたので、意見が統一できないならと見送ることにしました」

「反対した職員は、何人中の何人ですか」

 さらりと流しそうになったところを追求すると、教務部長は眉を顰めて不快さを露わにした。

「六人中の、五人です」

 装束の前を整えつつ、溜め息交じりに答える。やはり、教務部長以外だった。

「あの時、私は言ったはずです。『近年は信仰のなんたるか、教義のなんたるかを忘れた者が増えている』と。あなたが齎した堕落のせいで、教務部の職員まで信仰に胸を張れぬ者達の集まりになってしまった。この体たらくは、全てあなたのせいだ」

 教務部長は憎々しげに言い訳を連ねたあと、私のせいにした。

「だから私を排除するために、私が悪魔で彼女を殺したと、根も葉もない噂を流したんですか?」

「悪魔だと言われたのは事実だろう」

「でも、それを聞いたのはあなただけです。それでどうして事実だと?」

「私が嘘をついたと言うのか!」

 眉を顰めた私に、教務部長は顔を赤くして語気を強める。おそらくは事実なのだろうが、教務部長は私を陥れたいがために自らその信憑性を落とした。

「信じられません。現に、警察が証明している彼女の事故死を、私のせいにしてるんですから」

 冷静に指摘すると、身を乗り出して私を睨みつけていた教務部長は、ばつが悪そうに身を引く。相手を呑んでしまうほどの自信がなければ、下手な攻撃は仕掛けない方がいい。私だって得意ではないが、今回は向こうがあまりに子供じみていた。信仰にひたむきなのは認めるものの、それで道を踏み外すのは見過ごせない。

「以前から、あなたが私を厭わしく思っていたのは知っています。今回の件で一層恨みを募らせてこのようなことをしたのでしょうが、あなたの行為は教団の運営を危うくするものです。同時に、私の尊厳をひどく傷つけました」

 どうせ、あの噂が下で広がればどうなるかなんて想像していないだろう。一番傷つくのは確かに私だが、責任を問われるのは有慈だ。このまま見過ごすわけにはいかない。

「あなたは本来は志の高い方のはずですから、二度とこのような行為をしないと誓うのであれば、訂正を以って今回は不問に付します。納得できないのであれば、教主様に相談の上で処分を下します」

 重要なのは処罰ではなく、ここで食い止めることだ。これ以上食い下がるのであれば、私の手には負えなくなる。

 教務部長はしばらく不快そうに私を睨んだあと、気持ちを整えるように肩で息をした。

「教主様は、結婚してからお変わりになった。昔はもっと厳格に、神として教主としてのお役目をこなされる方だった。信徒とも一定の距離を置かれ、神としての高い威厳を保っていらっしゃった。この地も、おいそれと足を運べるような場所ではなかった」

 教務部長が語り始めた過去の有慈は、確かにそのとおりだったのだろう。私を集会に誘った友達も、会場に着いた途端に神妙な表情になり、神を畏れる一信徒と化していた。その神のおわす本部が、以前は週末に気軽に行くような場所でなかったのは私も知っている。

「それが、結婚されてからは信徒を近くに呼ばれ、力を際限なくお使いになっている。神としての威厳よりも馴れ合いを好まれるようになったのは、ほかでもないあなたの罪だ。そのせいで、教主様は信徒に『霊能力者』扱いをされることもある」

 社会通念的には「霊能力者」で間違いないはずだが、教務部長の表情を見る限り「神」以外の表現は許しがたいことらしい……と私が思ったのが伝わったのか、教務部長の表情が一段と険しくなる。

「妻であるお前が教主様を神として敬わないことが、全ての始まりだ。神であった教主様を、色香で籠絡し堕落させた。私の言葉がお耳に届かなくなったのも、お前が侍り始めてからだ」

 父親はともかく、有慈に呼ばれる「お前」は許せるが、ほかの男だと腹立たしさしかない。結婚以来恨みを溜め続けて、よほど腹に据えかねていたのだろう。さすがに、これ以上は私も冷静に付き合えそうにない。

「いい加減にしてください」

「それはこちらの台詞だ。妻の座に驕っているのだろうが、哀れなものだ。お前など所詮は教主様の……」

 顔を歪めながら早口で言い返していた教務部長の声が、ふと途切れる。私を見てかっと目を見開いたかと思うと、テーブルに倒れ込んで鈍い音を立てた。

 明らかな異常事態に慌てて腰を上げ、教務部長に駆け寄る。

「大丈夫ですか、聞こえますか。聞こえてますか!」

 肩を揺すりながら声を掛けるが、まるで反応はない。慌ててデスクに戻り、救護室へ内線をかける。少しも動かない背を眺めながら、震え始めた手で受話器を握り直した。


 制服警官に少し遅れてやって来た刑事は、前田と初めて見る五十代くらいの男性だった。予想どおり細野の後釜の警部補で、大隅おおすみと名乗った。

 制服警官に聞かせた話を繰り返したあと、証明としてレコーダーを再生して聞かせた。まさかこんなに早く使うことになるとは思わなかったが、おかげで事件で揉めずには済むようだ。要求に応えて、レコーダーは証拠として前田に渡した。

「おつかれさん。災難続きだな」

「ほんとに。事件じゃないだけマシだけど、人の死になんて慣れたくないよ」

 労う前田に、溜め息をついて返す。諍いの最中に相手が死ぬなんて、気持ちのいいものではない。息絶えた時の表情も、結局あの目を見開いたままの苦しげな形相だった。

 はっきりとした死因は引き取られての検死が済んでからだが、脳卒中のうそっちゅう心筋梗塞しんきんこうそく辺りの突然死だろうと前田は言った。

「宗教も、中はいろいろ大変なんだな」

「個人個人が信仰してる分には大丈夫なんだろうけど、団体ができてしまうとね。お恥ずかしい話だけど」

 肩で息をして、倒れた教務部長の回りで動き回っている警察官達を眺める。病死であっても、病院以外であれば一定の捜査が入るのは、致し方ないことではある。

「旦那さんは、今回の件についてはなんて言ってる?」

「『残念だ』って、ぼそっと。設立当初から支えてくれてた人だったから、ショックを受けてる。方針が合わなくなっても、傍に置いてたしね」

 少し離れたところで大隅と話をしている有慈に視線をやる。細野と話していた時よりは穏やかだが、やはり好きではないのだろう。でも、そうなるのも当然だ。

「亡くなる前、最後に何を言おうとしてたと思う?」

 前田はレコーダーを取り出し、教務部長の最後の台詞を再生する。「お前など所詮は教主様の」のあとに続く何か。でも、それほど想像に難くないだろう。

「正確には分からないけど、『色香で籠絡した』って言うくらいだから、そういう系統じゃないの?」

 教務部長は独身で、女嫌いの部類に見えた。有慈が私に「穢された」くらいには、思っていそうだ。でも前田は、難しい表情で耳元で何度か繰り返して聞く。

「何か言ってそうに聞こえるんだよな。ひとまず、預かるよ」

「うん。でも揉めた時の切り札にしたいから、コピーが欲しいな」

「分かった。作って送るよ」

「ありがとう、助かる」

 前田の了承に礼を言って、有慈の方を見ると視線が合う。険しい表情に苦笑すると、すぐに顔を逸らした。まあ前回といい今回といい、有慈にとっては気持ちの良いものではないだろう。

「一応聞いとくけど、最近旦那さんに変わったことはなかった?」

「ないよ、いつもどおり」

「教務部長と方針の違いで揉めてたとかは? 設立当初からいたなら、いろいろと深いところも共有してそうだけど」

 前田は有慈を横目に窺いながら、尋ねる。確かに、だからこそ私を恨んだのだろうが、有慈本人からは何も聞いてない。

「どうかな。私は聞いてないから、その辺は本人と教務部に聞いた方がいいと思う。まあ本人には警部補さんが聞いてそうだし、前田くんは教務部に行ってみたら?」

 前田は頷いたあと、有慈を一瞥してまた私を見る。何か物言いたげに見えたが、やがて諦めたように息を吐いた。

「そうする、ありがとう」

 礼を言って執務室を出て行く背を見送り、始まった遺体の移送を眺める。

 相容れないところはあったが、死んで良かったとは思わない。煙たいくらい教義にまっすぐな人も、うちには必要だったはずだ。これでまた、教団も変わっていくだろう。

 衝撃と不安で揺れる胸に、スーツのポケットへ手を突っ込む。あの木像を握り締めて、深呼吸を繰り返した。


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