第23話

 一週間ぶりの遺品整理は、バッグやアクセサリーなどの服飾品と雑貨だった。アクセサリーも体三つ分くらいあるが、メイク用品に至っては専用のチェストがあるレベルだった。

 引き出しを開けると現れる、ぎっちり詰まっていたファンデーションだのアイシャドウだのに、うんざりする。この土地に住んでいる限り、我々はこれを一つ一つほじくって中を可燃物に捨て、容器をプラごみか複合素材として処分しなければならないのだ。

「こんなに持ってるって、知ってた?」

「いや、知らなかったよ。でもメイクが趣味みたいなところがあったからね」

 二人揃ってマスクにサングラス、ゴム手袋の出で立ちでゴミ袋を抱え、ヘラや爪楊枝でひたすらパウダーを掻き出す。

「珠希ちゃんは、あんまりしてないよね」

「うん、最低限にちょっと毛が生えたくらいだね。作り込むのは面倒くさいし、『きれいな私』が求められてるわけじゃないから」

 でも瑞歩だって、職場が小学校なら濃いメイクはご法度だろう。休日に塗りたくっていたのだろうか。

「でも、きれいにしたら旦那さんは喜ぶんじゃない?」

 宗市の意見に苦笑して、似たような色のグラデーションを削り取る。私はなぜ、昔捨てられた男とこんな話をしているのだろう。女子更衣室辺りでしていそうな会話だ。

「どうかな。そういうの、興味がなさそう。健康ならそれで良しって感じ」

「そうなんだ。すごく端整な人だから、他人の見た目が気にならないのかもね。コンプレックスがなくて。でも、それなら『かわいい』とか『きれい』とか、言われたことないの?」

 宗市は、クッションファンデのスポンジをピンセットでむしり取りながら尋ねる。

「ないね。でも、こんなもんなんじゃないかな。うちは元々、愛情で結ばれた夫婦じゃないから」

「えっ、そうだったんだ」

 驚いてこちらを向いた拍子に、大きめのサングラスがずれて目が覗く。久しく見たことのなかった宗市の間抜けな姿に、思わず笑った。

「私は体調不良から逃れたかったし、夫は多分、自分と同じように神光教に人生を壊された相手を求めてた。抱えたものを理解しあえる相手というか、言葉は悪いけど、傷を舐め合える相手が必要だったんじゃないかな」

「でも、十年近く一緒に過ごせば変わらない?」

 予想外の鋭い指摘に、宗市を見る。無駄に濃い色のサングラスのせいで、目の表情は分からなかった。

「変わったから、私は子供を欲しくなったんだと思う。でも夫は、どうなんだろう。どの時点で欲しがってても『欲しいのなら産めばいい』って言ってたと思うし」

 一息ついて空になった容器を複合素材のゴミ袋に投げ入れ、次を手に取る。中のアイシャドウは、ほぼ未使用だった。一つ一つはそれほど高くなくても、これだけ集めるには相当の金を注ぎ込んだはずだ。ここまでして、瑞歩は何者になりたかったのか。母親になれない代償を、探していただろうか。

 マスクの内で溜め息をつき、新たな色を削り取っていく。とにかく手を動かさねば、分別しなければならないものはまだ山のようにある。今日中に終わらない気しかしない。

「やっぱり、夫婦はいろいろあるもんだね。僕はずっと、珠希ちゃんはめちゃくちゃ格好いい旦那さんと幸せに暮らしてるんだと思ってたよ」

 少し落ちた宗市の声に、その鷹揚さを確かめて苦笑する。新興宗教への偏見なくそう言える人間が、どれくらいいるのか。

「あなたは、いい夫だったでしょ」

「そんなことないよ。もっとうまくやってたらって、ずっと後悔してる。瑞歩に愛情を信じてもらえなくなった時、『こんなに愛してるのに』ってすごくショックでね。分かってほしくて、必死になっちゃったんだ。それが結果的に、瑞歩を追い込むことになったんじゃないかと思ってる」

 宗市は私ではなく瑞歩を選んで、瑞歩が死ぬまで深く愛し続けた。センスなんかよりもよほど大切で得難いものが、瑞歩にはあったのだろう。瑞穂は、私にないそれを誇れば良かったはずだ。なぜ私を、二度も呪う必要があったのか。

「少し話が変わるけど、あの像を使って、多分お姉ちゃんが私を二回呪ってるみたいなの。私は全く心当たりがないんだけど、どう?」

「うーん、僕もないなあ。そもそも珠希ちゃんの話をしたのは、僕が旦那さんの写真を見せた時だけだし」

 宗市は答えながら、手早くクッションファンデを解体していく。一方の私は、完全に手が止まってしまった。いやな予感が、背に張りついて離れない。

「本当に、その一回だけ?」

「うん。やっぱり、ずっと罪悪感はあったからね。僕にも瑞歩にも」

 いや瑞歩にはないだろうと思ったが、ひとまず指摘はしないでおく。

 子供の頃から、瑞歩は私の選んだものを、私のセンスを盗んで生きてきた。宗市を奪ったのも、おそらくは本当に好きになったからではなく、私が選んだ男なら間違いないと思ったからだろう。そして実際に、私が選んだ男と幸せに暮らしていた。

 でもある日、宗市が灯火教のパンフレットを見せたことで、新たに私が選んだ男を知る。口では蔑みながらも内心では「その男と結婚していたら、今よりもっと幸せになれていたはずだ」「珠希が私より幸せに暮らしているなんて許せない」と嫉妬に駆られ始める。その結果、宗市の愛情を拒絶して鬱になり、命を懸けて私を呪って死んだ。

 普通の人間ならありえないが、瑞歩ならありえる。瑞歩は、私の知る女の中で一番貪欲だった。

 一度目の呪いは、多分パンフレットを見たあとだろう。でも私は有慈の結界に守られて、待てど暮らせど念願の訃報は聞けなかった。そうこうしているうちに鬱になって追い詰められた結果、自分の命を代償にして強力な呪いを掛けた。それが、二度目の呪い。

 今の段階では私の勝手な推測だが、ほかの可能性が思い浮かばない。

「幸せなようでいて、心の中はずっと地獄だったのかもね。自分が選んだものじゃなく、私が選んだもので得た幸せだったわけだから」

 中身を削り取ったアイシャドウの容器をゴミ袋に投げ込んで、また新たな物を手に取る。どうも、さっきと同じシリーズを全色買いしたらしい。

「昔からずっと、私が奪ったもので人気や評価を得続けてた。私がいなくなってからは、誰かのセンスを盗んで似たようなことをしてたんじゃないかな。でもそれって、自分に『自分の選んだものはダメだ』『自分の選んだものでは幸せになれない』って呪いを掛け続けるのと同じことだから」

 全く使った形跡のない色をほじくりながら、瑞歩の選んだ人生に少しだけ同情する。

 ――じゃあ私、これにする。おそろいなんていやだから、あんたちがうの選んでよ。

 初めて私のものを奪ったあの頃には、まさかこんなことになるとは思っていなかったはずだ。あの時、意地でも自分の「好き」を貫く道を選んでいたら、或いは私になぜそれを選んだのかと聞く道を選んでいたら、こうはなっていなかっただろう。

「だから、こんな買い方しないと間違えそうで怖かったのかもね」

「……僕は、瑞歩が何を選んでも、変わらず好きでいたと思うんだけどな。でもそれじゃ、ダメだったんだよね。じゃあ、どうすれば良かったのかなあ」

 宗市は苦しげな声で、もうどうにもならない答えを求める。小さく、洟を啜る音がした。

 これだけ愛されていて、これ以上、何が欲しかったのか。私は、と浮かんだものを飲み込んで、隅に残ったパウダーを削った。

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