第14話

 一日の仕事を終えて部屋に戻ってきた有慈は、手渡した件の段ボールを早速開く。真っ先に、像の包みを取り出した。

「蝋燭を垂らされてて分からなくなってたんですけど、どんな像なんですか」

「父が瞑想中に繋がった神もどきを模したものだ。信徒は願いの強さに合わせて一本千円から三万円までの蝋燭を買い、願いを唱えながらこの像に蝋を垂らす。毎日な。ちなみに像も、サイズや仕上げの違いで十万から百万のものまである。これは真鍮製だから、一番安い十万のものだな」

 有慈は梱包材を開き、像の底を確かめる。蝋燭といい像といい、ちょっと考えられない価格設定だ。

「なんというか……すごい、集金体制ですね」

「『金の亡者』と言えばいい。そのとおりだったからな。日常の祈りで金を使わせ、祈祷でも金をせびり、欲を捨てる名目で私財を寄付させる。とにかくあの手この手で金を搾り取る教団だった。まあその分、願いもそこそこ叶えてやっていたわけだが」

 そうなのか。てっきり、起きた事象とご利益を無理やり結びつけてありがたがらせるタイプの宗教かと思っていた。有慈は私を一瞥して、一旦傍らに像を置く。再び段ボールの中へと手を伸ばした。

「人は、見えぬものへの欲より見えるものへの欲を優先するだろう。『周囲との和合を為せる心の強さ』よりも『金が欲しい』『結婚したい』『癌を治してほしい』が先に立つということだ。人の心は余裕を知らねば欲を手放せず、周りに手を差し伸べられぬ。だから、まず願いを叶えて信徒の心に余裕を与えるやり方は有効なのだ。世情不安な今の世にまで続いていれば、信徒の数は爆発的に増えていただろうな」

 有慈は中に入っていたものを全て取り出したあと、クリアファイルに挟んで持ち帰った御札を見る。私にはなんのためのものか全く分からないが、有慈には分かっているのだろう。

「しかし見えるものに執着する限り、欲は尽きぬ。百万を使い切った者は次の百万、あるいは一千万を望み、結婚した者達は素晴らしい子供を望むだろう。そこにつけこみ、今度は執着が強すぎて願いが叶わぬと説く。そして執着や欲を捨てる祈りのために必要だと、蝋燭だの像だのを売り込むのだ。『欲を捨てれば欲が叶う』など、端から見れば滑稽でしかない。だが信徒達は一度ないし二度、願いを叶えられているからな。『また願いが叶うのなら安いものだ』と考えるようになる。医者も見放した我が子の病が治ると思えば、親はあり金をはたくだろう。人心の脆さや依存心をうまくついたやり方だ」

「神光教と比較すると、うちはびっくりするほど生温いですね」

 神光教の守銭奴ぶりと比べたら、クリーンすぎる。有慈は手元の御札から私へ視線を移すと、はは、と珍しく声を出して笑った。整った造作が柔らかく崩れて、親しげな雰囲気に変わる。普段ももっと笑えばいいのだが、有慈は信徒との間に一線を引いている。馴れ合いになるのも、良くないのだろう。

「ああ、そうだ。そもそもうちは信徒から一切の金を集めなかったとしても、私の投資で十分にやっていけるからな。しかし人がそれなりの身銭を切らねば真摯になれぬのも、また真だ。これ以上信徒の負担を増やすつもりはないが、減らすつもりもない」

 確かに、その方がいいだろう。無料にすれば、それだけで飛びついてくる連中もいる。そういった者達に少しかじられて誤解されるくらいなら、敷居は高い方がいい。

「そうですね。私もそれがいいと思います」

「思わぬところで事務方の言質が取れたな」

「えっ」

 慌てた私に有慈はまた笑い、確かめたものを再び段ボールの中へ収めていく。最後に像を手に取り、私を見た。

「これには、蝋だけでなく血も垂らされている。私が脱会したあとに生まれたやり方だ」

「こんなやり方、教団にとってはマイナスにしかならなかったのではないでしょうか。相容れない信徒も増えますし、警察にだって睨まれますし」

 血を捧げるような儀式をしていると知れば、新規は当然来なくなるし、まともな信徒は距離を置く。教団が滅びの道に進んだのは、当然のことだ。

「そのとおりだが、どこかで信徒達が『金より命の犠牲の方が願いが叶う』と知ってしまったのだろう。そしてそのことを怪しみ、恐れた信徒達は教団を去った。残ったのは、『どのような存在でも願いを叶えてくれるのなら構わぬ』と思う信徒達だけだ。そしてそこに、お前の母と姉もいた」

 母は、自らを一切変えず周囲を、世界を変えたがったのだろう。自分に原因があるとは、少しも思っていなかった。

 ――俺との結婚で『人生をやり直す』と言ってた。『本来の自分を取り戻す』ともな。

 父が話したことは、事実だろう。父は母が生き直すチャンスを、それなりに与えていた。でも母はそのチャンスをことごとく潰して世界を恨み、子供を犠牲にして新たな人生を得ようとした。

 祖母は、厳しいところもあったが優しい人だった。瑞歩が現れてからは反発することもあったが、それでも感謝している。本来は親の仕事である子育てを引き受けて、温かくおいしい食事を与え、清潔な服を準備し、安心して眠らせてくれた。

 有慈と会う前に亡くなってしまったが、本当は会わせたかった。あの時私を助けてくれた人だと紹介すれば、祖母は喜んでくれたかもしれない。

「この一式は、私が預かっておこう。もう気に病む必要はない」

 手元からようやく消えた「呪物」に、ほっとする。

「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしてしまって、申し訳ありません。また父や義兄と相談して、保管料をお支払いしますので」

 いくら妻とその実家とはいえ、負担を掛けるのに何もしないのは甘えすぎだ。自分達にできないことをしてもらうには、相応の対価は必要だろう。

「お前は相変わらず律儀だな。でも、そのような心遣いは無用だ」

「ですが」

 食い下がる私に有慈は笑み、像を収めた段ボールを傍らへ置く。膝を突き合わせる距離に近づいて、私に手を伸ばした。軽やかな衣擦れの音がして、白檀の香りがふわりと立つ。滑らかな手が、包むように私の頬に触れた。

「お前が笑みを向けてくれるのは久しぶりだ」

 言われて、ようやく気づく。そういえば、今日一日過ごすうちにすっかり忘れていた。癒えたわけではないが、宗市と話したことで気持ちの整理がついたのかもしれない。

「私は、それで十分だ」

 有慈は私を抱き締め、少し苦しげに言った。

 ――特に珠希ちゃんの旦那さんは教祖なんでしょ。そういう感じは強いんじゃないかなあ。

 確かに、そうなのかもしれない。私にはまだ、知らないことがたくさんあるのだろう。有慈もきっと、悲しくなかったわけではないのだ。

 目を閉じて、私も有慈の背に手を回す。宥めるようにさすると、腕は抱き締め直して力を込めた。

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