第12話

 送信から一分も経たないうちに、電話をかけてきたのは父だった。

「神光教の祭壇だ。どこにあった」

「お姉ちゃんとこ。今、遺品整理の手伝いに来て見つけた」

 素直に答えると、父は黙る。まさか姉まで神光教に染まっていたとは思っていなかったのだろう。ずっと密かに信仰を続けていたのか、病から抜け出したくて藁にも縋る気持ちで信仰を再開したのか。

「私、これ見てちょっと思い出したんだけど、うちにもあったよね? なんか鉄格子の中みたいなとこに入れられてなかった?」

 さっき浮かんだ光景を伝えて尋ねても、父はまだ黙っていた。よほど腹に据えかねていたのだろう。父にとっては、思い出したくない過去なのかもしれない。

「そっち済んでからでいいから、少し会えるか。電話でする話じゃねえ」

「分かった。昼過ぎには終わると思うから、また連絡する」

 神妙な声に了承を返して、通話を終える。

「神光教の祭壇だって。お姉ちゃん、信仰を続けてたの? それとも鬱になって復活した?」

「分からないけど、でも」

 宗市は少し躊躇うように間を置いて、私を見た。

「死ぬ時に『これで神様が願いを叶えてくれる』って言ってた。僕は、妄想だと思ってたんだけど」

「夫は、神光教の神は神じゃなくて邪念の塊だって言ってた。教祖に取り憑いて、自分の欲しいものを集めてたんだって。だから、もしかしたら差し出された犠牲の代わりに願いは叶えてたのかもね」

 それなら、自分の命を犠牲にした瑞歩の願いも聞き届けられたのだろうか。

「ねえ。お姉ちゃんが何を願ったか、分かる?」

「なんだろう。『病気を治してほしい』や『子供が欲しい』は、本人が死んだら意味がないよね。本人が死んでも叶えたかった願いだから……僕が新しい人生を歩めますように、とかかもしれない。死ぬ前にはそんな感じのことを口走ってたし」

 寂しげな、懐かしげな表情で答える宗市の予想を採用したくはあるが、積年のあれこれで信じきれない自分もいる。あの瑞歩が、自分の命を懸けて他人の幸せを祈ることなどあるだろうか。むしろ他人の不幸を願う方がしっくりと来る。

 単純に考えれば私の不幸だろうが、自分の人生に掠りもしなくなった私のために今更命を犠牲にするとは思えない。父である可能性もなきにしもあらずだが……もしかしたら、瑞歩は宗市のことが嫌いだったのではないだろうか。だから寝室から宗市を追い出して閉じこもり、入ってこられないように鍵を掛けた、とか。

「だんだん、僕の愛情を信じてくれなくなってたんだ。言葉でも『好き』とか『ずっと一緒にいたい』とか愛情表現はこまめにしてたし、安心してもらえるような行動を心掛けてきた。浮気を疑われたくないから、スマホはいつでも自由に見ていいって言って置いてたし、女性がいる会合や飲み会はできるだけ避けてた。家でも家事は進んでしたし、瑞歩が持ち帰った仕事を手伝ったりマッサージしたり。僕なりに、できる限りのことをしたつもりだったんだけど」

 マメすぎて、逆に疑わしくなったのだろうか。でも宗市は元々マメなタイプだ。家庭教師をしていた時も、私の苦手なところに合わせた問題を詰め込んだプリントを作ってくれたり、丁寧な添削をして返してくれたりしていた。付き合っていた時も気遣いは欠かさなかったし、愛情表現も惜しまなかった。だから、まさか二股を掛けられているなんて思いもしなかったわけだが。

「奪ったものは奪われると思って、不安で仕方なくなってたんじゃないの」

 ぼそりと漏らした私に、宗市は分かりやすく表情を暗くして俯く。

「やっぱり、そうだよね。信じてもらえない僕と信じきれない瑞歩で、自業自得だったんだ」

 今にも死にそうな声で絞り出す宗市に胸が空いたのが、良くないのは分かっている。ここにいると、どんどん自分を嫌いになりそうだ。早く終えて、早く帰ろう。

「この祭壇は気持ち悪くて触りたくないから一旦はこのまま置いといて、今日はこの中を片付けよう。とりあえず中にある服を全部外に出して」

 クリーニングのビニールに包まれた花柄のコートに手を伸ばした時、メッセージの着信を告げる音が響く。取り出すと、有慈からだった。

 『神光教の祭壇だ。生きているから、誰かの願掛けを受け入れた状態だろう』

 とんでもない返信に、血の気が引いていく。おそらくは、瑞歩の願いだろう。瑞歩は命を懸けて何を願い、どう叶えられてしまったのか。

 『姉の部屋にあった祭壇です。どんな願いか分かりますか』『願いの詳細までは分からないが、呪いの類だ』

 呪い。瑞歩は、誰を呪って死んだのだろう。宗市か父か、それとも。

 不意に、あの夜ホテルで起きたことを思い出す。あの時現れた女性の霊は、瑞歩だったのではないだろうか。だとしたら、瑞歩はまだ私を恨んでいるのか。私が恨むならまだしも、私を恨む理由がどこにあるのか。

 『壊した方がいいですか』『だめだ 壊さないように注意して持って帰ってきてくれ 後ろの札は折らないように』『分かりました』

「旦那さんから?」

「ああ、うん。祭壇が生きてるから、誰かの願掛けを受け入れた状態だろうって。多分、お姉ちゃんが自分の命を犠牲にして願掛けをしたんだと思う。呪いの類だって」

 呪い、と小さく呟いて宗市は黙る。

「多分、私だよ。葬式の時、ホテルで霊現象に遭ったの。『開けて』ってドアをがりがりしてたのが、お姉ちゃんだったんだと思う」

 有慈は、かなり強い霊だと言っていた。邪念とはいえ、神として祀られるほどの力だ。それをバックにつけたのなら、相当のものではないだろうか。

「いいな、会いに来てくれたんだ」

 ぽそりと聞こえた声に、視線をやる。

「僕のとこには、一度も来てくれないのに」

 力なく零して俯く宗市に、答えを躊躇って飲み込んだ。悪霊になんて会いたくないだろうと考えるのは、外野の人間だからかもしれない。宗市は、愛する瑞歩に会えるなら、悪霊でも構わないのだ。

 そんな理性では御しがたいほどの愛情は、私達夫婦の間にはない。もちろん有慈のことは大切に思っているし、大切にされているのも分かっている。愛情がないとは思っていない。でも。

 ――お前と私は、よく似ている。お前が私を受け入れてくれるなら、私はお前に全てを与えよう。

 私達を結びつけたのは、愛情とは違う質のものだった。


 大げさではなく、私の十倍近くある瑞歩の服をゴミ袋に突っ込み終える頃には、昼前になっていた。宗市が「これだけは」と残したのはウェディングドレスで、あとは全て処分となった。

「午後から、車に積んでクリーンセンターに持って行くよ。置いておくと決意が鈍って、開けて取り出しちゃいそうだから」

 そうだね、と答えながら、振る舞われたボロネーゼをフォークに巻きつける。適当に宅配ピザでも頼むのかと思っていたら、宗市の手料理だった。ソースも手作りなら、それが絡むフェットチーネまで手作りだった。

「すごくおいしい。料理上手なんだね」

「ありがとう。料理を分担してるうちに楽しくなって、自分でもいろいろ作りたくなってね。これが一番の得意料理かな。瑞歩も喜んで食べてくれてた」

 向かいに座る宗市は、パスタを巻きつけながら笑顔で答える。

「教祖の奥様でも、家事はするの?」

「掃除と洗濯はしてるよ。まあ掃除は自分達の部屋だけ、洗濯も自分達のものだけだけどね。頼めば全部してはもらえるけど、恥ずかしいから。食事は食堂が作ってくれたのを食べてる。おいしいよ」

 基本は菜食だが、こうして出される食事に肉があっても断らずちゃんといただくことになっている。信仰を理由に食事を断るのも、和合を乱すとされているからだ。

「珠希ちゃんと瑞歩、よく似てるよね。そうやって食べてる姿を見ると、まるで戻ってきてくれたみたいだ」

 宗市は堪えきれない様子で、目を赤くする。それでも、その言葉は私の食欲を一気に奪うのに十分だった。

「鬱になったのは、やっぱり子供ができなかったから? 仕事のストレス?」

 半ば腹いせのように投げた失礼な問いにも、宗市は眉を顰めない。

「一番はやっぱり、子供ができなかったからだと思う。自分の理想像とかけ離れていくのに耐えられなかったんじゃないかな。特に、小学校の先生だったしね」

 ああ、そうか。確かに子供達に囲まれる仕事だ。いくら懐いてくれたとしても、六年で離れてしまう。

「お酒飲んだらよく、『こんなつもりじゃなかった』『私の人生はめちゃくちゃになった』って言ってた。時々、お義母さんの話もね」

「母の? 思い出話みたいな感じ?」

 フォークでゆっくりと次の一巻きを作りながら、宗市に尋ねる。母の話はほとんど聞いたことがないから、どんな母親だったのか興味がある。でも宗市は、苦笑で緩く頭を横に振った。

「温かいやつじゃないよ。最後に行った集会で、お義母さんは瑞歩を犠牲にして新しい人生を歩ませて欲しいと願ったらしい。でも瑞歩が『私にちょうだい』って言って奪ったから、お義母さんは死んだんだと。ほんとかどうか分からない話だけど」

 確かに眉唾ものではある。でも今回瑞歩が祭壇を作った理由が、その記憶に基づくものであるなら? 有慈はあの祭壇を「生きている」と言った。それなら、その眉唾ものも真実味を帯びてくる。瑞歩は母の代わりに新しい人生を手に入れた、のか。母の犠牲になって死ぬ人生から、母を犠牲にして生き延びる人生に。確かに、その姿は私の知る瑞歩とブレがない。

「ほんとだと思うよ。しそうなことだもん」

 巻きつけたパスタを頬張って、食べきることに集中する。気分的に楽しめなくなったのは残念だが、仕方のないことだ。

 宗市もそれきり黙って、残りのパスタにフォークを差し込んだ。

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