第10話

 宗市から二度目の連絡があったのは、ようやく日常生活に戻ったばかりのGWの中日だった。執務室の椅子を回して、窓外の景色を眺める。色濃くなり始めた緑に、躑躅つつじの緋色が交じり始めた。これから五月末に掛けて、一層鮮やかに咲き誇るだろう。

「不躾なお願いなのは分かってるんだけど、四十九日まで、週に一度でいいから瑞歩の遺品整理を手伝ってくれないかな」

 いやです、とすぐに答えは浮かんだが、大人の分別を発揮して一旦飲む。椅子を戻して、デスクの上に積まれたファイルを眺めた。うちは土日こそ忙しい場所だし、平日はそっちが仕事だろう。無理な話だ。

「どうして私が? ご両親やうちの父ではだめなの?」

「父とお義父さんは男性だから、僕に抵抗があってね。それに、同じ女性でも姑に触られるのはいやじゃない?」

 私に姑はいないが、確かに納得できる理由ではある。嫁姑の問題は、どこの集会でもよく聞く話だ。この二者には、時代を越えて続く女の苦しみが深く関わっている。有慈も、和合が最も難しい関係性に嫁姑を挙げていた。

「でも姉は、私に触られるのが一番いやだと思うんだけど」

「いや、そんなことはないと思うよ。葬儀の時には話せなかったけど、亡くなる前は珠希ちゃんに謝りたいって言ってたんだ。生きてるうちに言えなかったのは残念だけど」

 予想もしなかった答えだった。あの瑞歩が、私に謝ろうと? とてもではないが、信じられない。目の裏に浮かぶ瑞歩は、死んだ今も私を蔑むように笑っているのに。

「こんな風にさらっと言ったくらいじゃ、信じられないよね。だから、その辺の話もできたらと思ってる。もちろん都合は僕が合わせるし、謝礼は払う。食事も、僕の方で用意するよ。どうかな」

「あなたはどうして私達が絶縁したのか、忘れたわけじゃないよね」

 自分は中立にいて修復を手助けしているような顔をされるのは、普通に苛立つ。瑞歩が迫ったのは分かっているが、応えない選択肢を選ぶべきだったのだ。

「分かってるよ。僕達は君をひどく傷つけた。本当に申し訳ないと思っているけど、許してほしいとは言わない。瑞歩が心を病んだのも僕達がこういう結末を迎えたのも、自業自得ではあるし」

 そこまで言うのは、瑞歩の自殺の一件にそのことが絡んでいるからだろう。あの瑞歩が、本当に自責の念に駆られたのか。まあ地元にい続けたから、周囲からあれこれ言われていたのかもしれない。小さなものでも集まれば、あの図太い神経を食い破るくらいはするだろう。

「一人じゃ、つらいんだ。助けてくれないかな」

「つらくなくなるまで、そのままで置いてたらいいんじゃないの? 私も、おばあちゃんのものを捨てられなくてそのままにしたけど」

 結局、そのまま家からも飛び出したから、どうなったのか分からない。今頃、なんの執着もない父が全部捨てているかもしれない。

「それができたら一番なんだけど、無理なんだ。経済的な理由で、四十九日が済んだら今のとこからワンルームへ引っ越す予定でね。荷物を減らさないと入らない」

 会計士と教師の組み合わせなら、そこそこの収入だろう。暮らしが厳しくなるほどの贅沢をしていなければ、休職したって十分暮らせていたはずだ。

 ――欲しいものがあれば、好きに買えばいい。お前には、良い男に嫁いだと思ってもらいたい。

 どこの夫も、そんなものなのかもしれない。ただ妻が、それを鵜呑みにするかどうかの違いで。左手を少し掲げて薬指の指輪を確かめ、一息つく。

 あの日から、なんとなく有慈に背を向けて眠っている。有慈も何も言わず、無理強いもしない。善き夫であるのは間違いない、はずだ。

 ――そうか。それは、つらかったな。

 あの時の有慈は、妻ではなく信徒を慰めているような口振りだった。言葉尻を捉えて機嫌を損ねるなんて、大人げないとは分かっている。それでもこれまでは丁寧に私の心を汲み取り寄り添ってくれた人が急に突き放したようになったのが、いやだったのだ。

 ……「いやだった」、か。子供みたいだ。

「分かった。でも四十九日までだからね。あと、平日じゃないと無理だから」

「ありがとう。四十九日までは時々有給を取るって職場には伝えてるから、僕も大丈夫だよ。早速だけど、七日か八日はどうかな」

 七日は連休の翌日で来訪者は少ないだろうが、連休中に止まっていたあれこれが一気に動き出す日だ。忙しいのが分かっている。

「八日がいい。時間はまた、汽車の予定を調べてから連絡する」

「八日だね、ありがとう。本当に助かるよ」

 宗市は安堵した声で礼を言い、通話を終えた。

 スマホを置き、椅子に凭れて長く息を吐く。自分の一存で決めてしまったが、有慈に言わないわけにはいかないだろう。仕事の調整も必要だ。

 ――亡くなる前は珠希ちゃんに謝りたいって言ってたんだ。

 瑞歩は、本当に大人になったのか。あの性格は、死ぬまで変わらないと思っていたのに。

 目を閉じて、寄っているであろう眉間を揉む。訃報よりもよほど堪えたその変化に、変われない自分の頑なさを、初めて疎ましく感じていた。

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