第8話

 宗市そういちには朝のうちに連絡しておいたが、足を踏み入れた葬儀ホールはぴりついていた。とはいえそれは父だけが醸し出しているもので、宗市は喪主としてきちんと有慈を迎えた。

「旦那さん、やっぱり実物は迫力がすごいね」

「知ってたの?」

 一人で父のところへ向かった有慈を窺いながら、宗市に尋ねる。新興宗教教主の嫁になった、程度だと思っていたのに意外だ。

「マンションの人に珠希ちゃんとこのパンフレットをもらったことがあって、そこに写真が載ってたから。瑞歩に『多分これが珠希ちゃんの旦那さんだよ』って見せたら、びっくりしてたよ」

「でも、すぐに馬鹿にしたでしょ。いくら顔が良くても新興宗教の教主なんて、こんなのと結婚するなんてまともじゃない、とか言って」

 予想できる反応を口にすると、宗市は黙って苦笑を浮かべた。あまりにそのとおりだったから、何も返せないのだろう。

「そうやって、私を蹴落とすことでしか自分の幸せを得られない人だったから」

「でも、僕にとっては誰より大事な人だったよ」

 まあ、こんな図太い男だから瑞歩ともうまくやっていけたのだろう。その言葉にどれほど私が苛ついているか、想像できない。私は大人として最低限の礼を果たすためだけに来たのに、許されたとでも思っているのか。

 ここにいるよりはマシな気がして、仁王立ちのまま話をしている父と有慈の元へ向かう。有慈も一八五はあるはずだが、やはり父の方が少し高い。体の厚みに至っては、比べるまでもなかった。

「挨拶は済んだ?」

 掛けた声に有慈は気づいて頷いたが、父はそうではなさそうだ。

「まだ済んでねえ」

 眉根を寄せて有慈を睨む父を見るに、平和な話し合いとはいかなかったのだろう。不安になって有慈を見上げると、宥めるように私の肩を抱いた。

「だとしても、珠希に聞かせる話ではないし、あなたはもう刑事ではない。正式に話を聞きたいのなら、所定の手続きを取って教団までおいでください。それでも、これ以上お話できることはありませんが」

 落ち着いた声で突き放すように言ったあと、有慈は私の肩を抱いたまま歩き始める。父は、何を聞いたのだろう。振り向いて一瞥した父の険しい顔に、視線を落とした。


 葬式は通夜よりもう少し弔問客が増えて、見ない顔が瑞歩を悼む姿を物珍しく眺めた。瑞歩は鬱で休職する前は小学校の教師をしていたらしく、その関係者だった。あれほど利己的で人のものを奪うことでしか自分の価値を高められない人間が何を教えるのか、聞いた時には笑ってしまった。

 そのおかげで葬式中は目下の懸念材料から意識を逸らせはしたものの、全てを終えて帰宅したあとはそうではない。

「今日、父となんの話をしていたんですか」

 温かい腕の中で寝返りを打ち顔を上げると、すぐ間近に見慣れた顔があった。昼間の顔とは違う、リラックスした表情だ。下ろした髪がところどころに影を落とすのが、昼にはない色気を感じさせる。

「それで、先程は気も漫ろだったというわけか」

「そんなことは、ありません」

 慌てて言い返すと、有慈は小さく笑う。私の顔を掬うようにして持ち上げ、深く唇を重ねた。鼻先を掠めた白檀の香りを、胸の奥まで吸い込む。

「父のことを聞かれたのだ。遺体が消えたのはなぜかと」

 遺体が、消えた? 陶酔を断つ言葉に、驚いて有慈を見据えた。そんな話を聞いたのは初めてだし、もちろんネットを検索しても出てこない。捜査情報なのだろう。

「それで、なんと?」

「憑いていたものに喰い潰されたのだと、真実を答えた」

 さっきから驚くばかりだが、有慈はそちらへ思考を奪われるのを許さないかのように、また唇を重ねる。ゆっくりと離れると、体を起こして私を組み敷いた。

 長い黒髪が肩先から滑り落ちて、私の髪と一つの流れになる。見上げても、常夜灯が作る影でその表情は分からない。

「父は厳しい修行をこなし、その瞑想中に神と繋がったと言う。しかしそのような時に繋がるものが、神であるわけがない。あれは、父のように道を求める者の心の隙を狙って寄生する邪念の塊だ。宿主を通じて自分が求めるものを集め、宿主が死ねばその体ごと魂を取り込んで糧にする」

 有慈の傍で暮らす私すら「有慈がそうだと言うのだから」としか納得できない内容だ。父に理解できたわけがない。父は有慈を疑っているのだろうか。

「心配するな。日杜ひもり氏は私を疑っているわけではない。ただ」

 有慈は体を崩し、私の首筋に唇を落とした。抱き締めると、しなやかで熱い体が沿う。

「お前を私から引き離す理由を探しているのだ。一つでも多く集めれば、お前が私を遠ざけるだろうと」

 沈み込んでゆく感触に、長い息を吐く。いつもより感じる熱っぽさと気怠さは、日中のいやな予感が当たったのかもしれない。目を閉じると、奥の方に鈍い痛みが走った。

「遠ざけさえすれば、自分の元に帰って来ると思っている。男を知った女が、幼子に戻れるわけもあるまいに」

 どことなく昏いものを感じる声に、ぼんやりと目を開く。揺れる視界には、仄暗い天井以外映らない。

「お前は、私のものだ」

 有慈は私を掻き抱くと、いつもの言葉を口にした。

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