トリック・オア・カロリー

 朝。教室に入る手前のところで栗色の髪の三つ編み姿が見えた。幼馴染のチヨだ。

 チヨは私に気付くと小さく駆け寄って手を出す。


「とりっく・おあ・とりーと!」


「……はいはい。トリートね。今年はこのチョコをあげよう」


 そういえば今日は10月31日。ハロウィンだった。


 たまたま昨日買ったチョコが鞄の中に入ったままで良かった。個包装のチョコを一個、チヨに手渡すとチヨはそれをじっと見つめていた。


「? どうかした?」


「……今年こそは完全な不意打ちを決められたと思ったのに」


「そんなに私にいたずらしたかったってこと?」


「うん♡」


 チヨはにっこり笑顔で言う。


 …………あとでスマホのカレンダーアプリにリマインダを登録しておこう。来年もお菓子を忘れないように。


「だってさ、エイプリルフールが嘘をついてもいい日なら、ハロウィンは人にいたずらをしてもいい日——って言えるでしょ?」


「お菓子をもらえる日、じゃなくて?」


「シズクちゃん、カロリーは乙女の敵だよ♤」


 お菓子、ではなくカロリーときたか。そういえばこの間もダイエットする——とか言って牛乳寒天を食べてたっけ。しかも自作の、砂糖が全然入ってないやつ。


「……ええと、じゃあ。トリック・オア・トリート」


 個包装のチョコとはいえ、ダイエット中のチヨにとっては大敵だろう。今ここで私がこう言えば、チヨには私がさっきあげたばかりのチョコを食べずに手放す大義名分が与えられる。


 我ながら名案。ナイスアイデア。


「?」


 チヨがきょとんとした顔をこちらに向ける。それから何かに気付いたみたいにはっとした表情をして、


「——まさか、シズクちゃんの食欲がとうとう限界に……!?」


 とわけのわからないことを言った。


「いや、なに言ってんの。……ああでも、ある意味間違ってはいない、のかな」


「ま、間違ってないんだ……そっか。それじゃあ……またあとで、部室でも良い?」


「え、なんで?」


「こ、ここじゃ人目についちゃうし、食べるって言っても、時間かかるでしょ……?」


「人目を気にするようなことじゃなくない……?」


「…………! そっか、そこまで衝動が…………」


 なんだろう。何かチヨと私の間に深刻な勘違いがある気がする。


 ただ、それが何かを探りたくない自分がいた。深堀りすれば、何か良くないことに行き着いてしまいそうで————。


「はいはいそこまで」


 と一つの声が私たちの間に割って入る。


 先っぽがウェーブした、長い金髪の高身長。宵星アカリである。


「チヨ、ちゃんとシズクの目を見なさい。いつも通りでしょ」


「あ…………そっか…………」


 チヨがふうと息を吐く。結局、何を勘違いしていたのだろう?


「あれ、じゃあさっきのトリック・オア・トリートは……私に純粋にいたずらしたかったってこと?」


 ずっこけそうになった。


「そのお菓子! それを返してもらおうと思っただけ……!」


「あ……私がカロリーは敵だって言ったから? へえ、心配してくれてるんだ、シズクちゃん♧」


「そ、そう。そういうこと……私もごめん、変に回りくどい言い回ししちゃって」


「うーん、でもこのチョコってこれ一袋で60kcalくらいなんだよね◇ このくらいなら気にしなくてもいいし……なにより、シズクちゃんからの貰いものだからなあ♧ シズクちゃんと言えども、簡単にあげるのはねぇ……♤」


 チヨにいつもの調子が戻り始めた。と同時に確信する。これは、何かイタズラを要求されるパターンだと。


「どっちでもいいけど、そろそろホームルームの時間になるから、続きは昼休みか放課後にしときなさいよね」


 結局、チヨは私があげたチョコを食べてから自分の教室へと向かって行った。昼休みまでにイタズラの内容を考えておこう……。


◇◇◇


 昼休み。

 購買でさっさと昼ご飯のおにぎりを買って、いつものように部室に向かう。

 今日はアカリが先に来ていた。そして机の上には個包装のお菓子が山を作っている。


「どうしたの、それ?」


「このあいだの土日、商店街のイベントでお菓子を配ってたのよ。ハロウィンってことで、ちょっとした仮装をすればプレゼント、って感じに」


「で、もらってきたのがそれ?」


 アカリがわざわざそういうイベントに出るというのは、ちょっとイメージがつかない。


「言っとくけど、私はあくまで付き添いね。知り合い……私の家に住んでる子が、そういうイベントにちょっと興味あったみたいで」


「ふうん……このチョコもらってもいい?」


 アカリは「好きに食べて」と応じた。察するに、自分たちだけでは食べ切れないからここに持ってきたのだろう。


「その子って、いくつくらいなの?」


「…………………………14、歳くらい?」


「なんで疑問形?」


 14歳というと中学生。そういうイベントに参加する年齢としては、ちょっとギリギリな気がしないでもない。


「にしても大量だね」


「タダで貰えるものはかき集めないと損って、その子が張り切ってねぇ……」


 うんざりした様子でアカリは言った。この様子だと、かなり連れ回されたようだ。


「……ああそうだ。せっかく甘いもの食べてるんだし、チヨが来るまで、頭の体操でもしない?」


「というと?」


「昨日、商店街巡りをしてた時に暇だったからクイズを考えてたの。小学生レベルの簡単な問題よ」


 アカリは腕を組むと、こう言った。


「問題。1つの包装に1個入りのチョコのお菓子と、1つの包装に3枚入りのクッキーのお菓子が合わせて10袋あります。カロリーの合計は900kcalでした。さて、チョコのお菓子は何袋で、クッキーのお菓子は何袋でしょう。ただし、チョコは1つで60kcal、クッキーは1枚で40kcalとします」


「…………なんかめんどくさそう」


「最初に言った通り小学生レベルの問題よ。文字式使ってもいいけれど……出題者としてはそれなしで解いてほしいところね」


 文字式なしで……?


 アカリを見ると、椅子から立ち上がってホワイトボードに問題を書いてくれているところだった。


 そういえば、昔……といってもたった4、5年前だけど、何かそういうのをやった気がする。なんだっけ、あれは……。


 考えていると、部室の扉が開かれた。


「やほやほー◇ イタズラしてもらいに来たよシズクちゃん♡ ……て、なにしてんの?」


 チヨだ。


「甘いものを食べたんだから、頭の体操をしようって話になって……」


「ふうん? ていうかシズクちゃん、それ、お昼でしょ? 食べないの?」


「あ」


 机の上のお菓子の山に面喰らって存在を忘れていたけれど、そういえばおにぎりをまだ食べてなかった。


 無意識に机の上に置いていたおにぎりの包装を解きながら、問題について考えてみる。


 求めるべきは、お菓子そのものの数じゃあなくて、包装の個数。


 それが10個あって、内訳はわからない。普通に考えてそんなことないと思うのだが、そこを突っ込むのは野暮というものだろう。


 まず考えるべきはチョコとクッキーそれぞれの包装ごとのカロリーだろうか。


 チョコのお菓子は1袋に1個だからそのまま、60×1で60kcal。

 クッキーの方は1袋に3枚だから、40×3で120kcal。


 それで……ここからどうすれば……?


 文字式がアリなら、 x+y=10 と 60x+120y=900 とでも連立方程式を立てるところだけど……。


「あ、これってつるかめ算?」


 ホワイトボードを見て、チヨが言った。


「よくわかったわね。一見してそうと分からないようにちょっとカモフラージュしてみたんだけど」


「……つるかめ算ってなに?」


 聞き覚えがないわけではない。だがどんなものだったかというと思い出せない。そんな感覚。


 チヨが大きな胸を得意気に張って、説明してくれた。


「よくある問題としては、ツルとカメが合わせて5匹います。足の数は合わせて12本でした。ツルとカメはそれぞれ何匹いますか————みたいなやつだね◇


 この問題はまず、5匹全部がツルだった場合について考えるの◇ そうすると、ツルは2本足だから、足の数は10本。つまり、2本足りないと分かる。


 この10匹のツルのうち、何匹かをカメに置き換えれば答えが出るってわけ♡


 この場合、カメは4本足だからツルの足の本数との差は2。カメとツルを1匹交換するごとに、合計の足の本数は2本増える◇


 だから——この場合はツル4匹、カメ1匹が正解♡」


「……おおー」


「ったく、そこまで丁寧に解説されちゃ、問題にならないじゃない」


 なるほど。これと同じ考え方をすれば良いということか。つまり………………


「チヨ、ちょっと手を貸して」


 私は購買でおにぎりのついでに買った水性ペンを手に持って立ち上がる。


「え? なにすれば……」


「ああいや、手を出して、そう。そのまま……」


 私はチヨの手を計算のメモ用紙代わりに使いはじめた。


「…………シズクちゃん? なにしてんのこれ?」


「イタズラ。何しようか思いつかなかったから、ベタなやつでいこうと思って……あ、全部がチョコだと600kcal……で、差を考えると300だから……わかった!」


 私はアカリに解答する。


「チョコ5袋、クッキー5袋!」


「正解!」


「よしっっっっっ!!!」


 チヨへのイタズラとアカリの問題への解答。両方を一度にこなせた爽快感とともに、私は椅子に座った。


 が、そんな爽快感はすぐに吹き飛ぶ。


「……シズクちゃん。私が期待してたイタズラって、こういうのじゃないんだけど……♤」


 チヨが——怒っている。


 語調を少し飾り立ててはいるものの、失望そのものは本音だろうと感じられた。


「…………ご、ごめん」


 その後、昼食を済ませた私は昼休みが終わるまでチヨに命じられるがままにイタズラを行った。


 昼休みの終わりを告げる頃には、チヨの機嫌は回復通り越して絶好調になっていたが、私は疲弊していた。疲弊し切っていた。


 最終的に、完全にチヨに振り回されたかたちになったが、まあ諦めよう。


 なにせチヨいわく、ハロウィンは人にいたずらをしてもいい日——なのだから。


 幼馴染からの「自分にイタズラをさせる」というイタズラだって、甘んじて受け入れなくては。


(了)

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