飛べないドラゴンの飛ばし方

 烏森山のふもと、木々に囲まれた中にある自宅に宵星アカリが帰宅すると、家の庭にドラゴンが鎮座していた。


「………………」


 遠目に見て、もしやと思っていた。木々の合間から見える、あの竜の顔のようなモノ。それが幻覚でもなんでもなく実際に存在していて、しかも自分の家の庭にあるのではないかと——アカリは予想していた。


 けれど実際にそれを目の当たりにしてしまうと、言葉が出なかった。


 ドラゴンは赤一色である。日の暮れかけの空の下、長い影を作って佇んでいる。西日のオレンジに照らされて硬質に反射光を放つ。


 顔の位置はアカリの家の二階部分よりも高いように見える。東洋の龍ではなく西洋のドラゴンであるため、でっぷりと太った四本脚のトカゲのような外見だ。恐竜のような翼を持ち、大きく広げている。


 鱗の造形はやけに細やかで、その翼もひどく立派なものだった。


 さて、烏森山は基本的にのどかな山である。

 ふもとの森に野生動物が降りてくることだってあるが、せいぜいがイノシシ。いまアカリが目にしているような巨大なドラゴンが自然発生するような環境ではない。


 というか、そんな場所はたぶん日本のどこを探したってない。


 アカリはその巨大なモノを見上げ、あっけに取られて——それから冷静になってにおいを嗅ぐ。


 ほのかに鉄くさい。


 血のにおいだ。


「あ、おかえりなさいアカリさん」


 ドラゴンの影からこちらに向かってくる影があった。


 白髪赤目の少女。アカリは彼女に「クローディア」と呼びかけ、問う。


「これ、あなたがの?」


 クローディアは頷いた。


「はい。ちょっと自分の異能の限界を調べてみようかと思いまして」


 言って、クローディアはドラゴンを見上げる。


「私の異能——【統血権ドミニオン】は血液支配の異能。血を弾丸にしたり縄にしたり煙にしたり……とにかく応用範囲が広い、というのはアカリさんも知っての通りですが、自分が一度に操れる血液量までは、把握してなかったな、と思いまして」


 アカリもドラゴンを見上げる。


「…………これ、何リットル使ったの?」


「とりあえず出せるだけ出してみた、と言いますか……あ、もちろんですが全部自分の血です。少なくとも、いま私の身体を巡ってる血の3、4倍はありますね」


 ——たしか、体重が60kgの人間の血液量は約5リットル。なら、このドラゴンに使われてる血は最低でも20リットル……というところかしら。


 絶対20リットルでは済まないだろう。アカリは考えるのをやめた。


「真祖の断片の再生能力って、傷が再生すると同時に体外に出た血や切断箇所が塵になって消える特性があったわよね。そして、あなたの異能ならその消滅作用をある程度抑制できる…………」


 これはもはや「ある程度」なんてレベルを超えていた。彼女ならやろうと思えば血の洪水を引き起こすことだってできてしまうのでは——そんな危惧を抱くほどに。


「自分でも、ここまでやれるとはちょっと思ってませんでした。……あ、ちなみにこのドラゴン、ただの置き物じゃありませんよ」


 クローディアが言うと、ドラゴンの長い首がぬるりと曲がり、顔がアカリとクローディアの方へと降りてきた。


「こんなふうに、少しなら動かせます」


 と、自慢気なドヤ顔。


 作りものだと分かってはいても、ドラゴンの顔を間近で見ると凄まじい圧迫感がある。


 鼻息が少しもなくて、生気を感じさせないのが逆に怖い。


「まあでも、翼に関しては飾りですけどね。この図体をあの翼だけで飛ばすのは物理学的に無理っぽいです」


 断言するということは、試してみたあとなのだろう。


 しかし、ここまでよくできたドラゴンなのだ。それが空を飛ばないというのはもったいない。


 画竜点睛を欠くような気分だ。アカリは腕を組む。


「——————————いえ、諦めるのは早いわ」


「……はい?」


「せっかく作ったのだし、飛ばしましょう。このドラゴンを」


 日は暮れようとしている。仮に飛翔に成功してしまったとしても、夜の闇に紛れて人々からは認識されないことだろう。


「いや、あの。そもそもこれは私の異能の限界がどのレベルにあるのかを試すために作っただけで、別に飛ばしたかったわけじゃ——」


「ちょっと待ってて、今専門家に電話して聞いてみるから」


「せ、専門家ってなんですか! そ、そんなのいいですから…………!」


 クローディアが止めようとしても、アカリは聞く耳を持たなかった。アカリは、このドラゴンを飛ばすという空想に夢中になっていた。


 その一方で、


「……あ、ちなみに、血の消滅作用を起動させてドラゴンを塵にしようとかは考えない方がいいわよ。その時はこれと同じものをあとで作ってもらうつもりだから」


 とクローディアに釘を刺すだけの冷静さはあった。




 ——————それから、アカリはクローディアに指示して様々な方策を試みた。


 ドラゴンの大きさは変えず、構成に使う血の量だけを変えて軽くする。

 翼の構造を変える。

 翼をより大きくする。



 ………………そんな様々な試みの果て、ついにアカリとクローディアは、ドラゴンを飛ばすことに成功する。


 ジェットパック、というアクティビティが存在する。水の噴射によって水上を飛行するというものだ。


 アカリが辿りついた結論は、それを血で行うというものだった。


 クローディアがドラゴンの背に載って、自分の血をドラゴンの腹の中に供給する。

 ドラゴンは腹から血を噴射する。


 果たして、ドラゴンはいま夜空をはばたいた。


 噴射された血は、適切なタイミングでクローディアが異能による支配を解除することで塵となって消える。周囲に地面に血溜まりを作ることもない。


 記念すべき瞬間だ。アカリはその様子をドローンでしかと録画した。


◇◇◇


 翌日、アカリは昨夜の興奮を思い出しつつ、撮影した動画を再生した。


 そこに写っていたのは、腹のあたりから血を滝のように噴射するドラゴンの姿だった。


「……見る角度によっては、お尻から出してるようにも見えるわね…………」


 あんまりかっこよくない。これなら飛べないドラゴンのままでいてくれた方が何倍もマシだ。


 アカリの熱狂は、一瞬で氷点下まで冷めていった。




(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る