第9話
食事を終えて、二人で穏やかな時間を過ごす。そんな時間を過ごしたい。だが、それではいけなかった。
碧は遂に、翠へ言う。
「私ね、翠のことが心配だったの」
その言葉で、どういった話が始まるのか察した翠は、表情を引き締める。
「それで、どうしたらいいのか分からなかった時、菫に会った」
その瞬間、テーブルを強く叩く音がした。
思わず肩を震わせてしまった碧を見て、慌てて翠が言う。
「ごっごめんなさい! 違うの、碧が、あの女の名前を呼ぶのが許せなくって……それで……つい……」
表情を曇らせる翠の手を優しく取る。
「そうだったんだ……分かった」
これで翠が喜んでくれるのならそうしよう。
「あの女に会って、私、相談しちゃったんだ。翠の助けになれないかって」
「私の助け?」
「うん。翠が会社を建てた理由って、私に吊りあうためだって言ってくれたよね? だから会社のことは興味ないけど、だからって適当なことはできないって」
「そうね……そうだったわ」
昔を思い出してみると、確かにそう言った記憶がある。まさかあの言葉を覚えていて、自分のために動いてくれていたとは。
「そして、相談をしていくうちに、多分あの女が私の利用価値に気づいたんだと思うの」
「利用価値……⁉」
また翠の手に力が入る。
「そう。それが、あの女の目的にも繋がっている」
やはりあの女は消すべきだ。そう思って、立ち上がろうとするが、自分の手を包む、碧の温かい手を振り払う気にはなれない。
それを知ってから知らずか、碧は伝え続ける。
「あの女の目的は自分の会社を大きくすること。そのためには、競合他社の翠の会社は邪魔だった。そのために、やろうとしたこと、一番波風立たない方法だったのが、私と結婚して、私の実家企業と繋がりを持つこと」
「それは、本当?」
翠は、ただあの女が碧を奪おうとした、それだけだと思っていた。良くも悪くも、会社にほとんど興味が無い翠だ、碧の実家企業がどうのなんて思いつかない。
「多分。それでね、私はあの女に会いたくないってハッキリ伝えた。そうしたら次はどうしてくるのかな、そう考えたの。そして思いついたのは、翠の会社の妨害」
「まさか――⁉」
それを聞いた翠の胸が絞めつけられる。会社にほとんど興味が無いといっても、全く無いという訳ではないのだ。なぜなら、会社が無くなり、翠が社長ではなくなると、碧と一緒にいることができないからだ。
社長という社会的地位が無くなると、当然大手老舗企業の令嬢である翠とは一緒にいられなくなる。
「そう。だから私は、そうさせないために、どうにかしようとしていたの、一人で。だから、昨日、あんな態度をとったの。ごめんなさい」
やっぱり、あの女が悪い。あの女は、自分と碧の仲を引き裂こうとしている。
「私は……あの女が、碧のことを奪おうとしていると思っていたの。会社とか関係無く」
「似てるけど、違うよね」
「ええ、違うわ」
考えたくないが、もし仮に碧があの女に奪われてしまっても、翠の社会的地位があれば取り戻すことができる。しかし、その地位そのものが無くなってしまうと、あの女なんて関係無く、碧は自分の下からいなくなってしまう。
似ているようで違う。
「だけど、それを阻止しようにも、妨害ってどういうことをしてくるのか分からないの。私、なにも知らないから」
そう言って顔を俯かせる碧の姿に、翠は昨日の自分を殴り飛ばしたくなった。
なにが碧は嘘をついているかもしれない、だ。この話を聞いて、この表情を見て、碧が嘘をついているなんてあり得るはずがない。
碧の嘘には訳があったし、それに、嘘をついたことを認めて、こうして話してくれる。
碧は自分の味方だ。捨てる筈なんて無い。その安心感を抱くと同時に、今までの不安が不思議なように無くなっていく。
だけど、面倒なことに、不安が無くなっても心を縛る茨は無くならない。心を縛りつけると新たな不安の芽が産まれる。それも、繰り返す度に大きく。
全く恨めしい。
この茨が無くならない限り、心から喜ぶことなんてできない。
もう、喜ぶことなんて諦めて、捨ててしまった方が楽だとも考えたことがある。
「なるほど……」
「翠は、あの女がどんなことをしてくるのか、予想がつく?」
「私もあまり分からないわ」
「そっか、翠も分からないかあ……」
どうしよう、と力なく微笑む碧。
翠にも分からないとなれば、対策はできない。
だが、碧の目的は、翠の喜の感情を解放することだ。最悪、翠が社長では無くなっても、喜の感情を失わなければ問題無い。
この世界は、翠の感情が作った世界だ、それなら、この世界のどこかにヒントはあるはずなのだ。
そのヒントになりそうな心当たりを当たるしかない。
そこでふと思う。菫はなにか知っているのだろうか?
それは昨日抱いた疑念。菫の作戦、翠との仲を消滅させる。もし、本当にそれらを狙っていたのなら、なにかを知っているかもしれない。
今はどうすればいいのか分からない状況だ、こうやって動いてみるのもいいのかもしれない。
ただ、翠にそれを言っても大丈夫なのだろうか? 仮に言ったとして、それを許可してくれるのだろうか?
菫に会うことを――。
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