第10話
あんなことがあったのに、結局碧は翠がいない時を見計らい、菫に会えるかどうか連絡をした。
一度無視をしたし、会いたくないと直接言ったのだ。今更会えるか聞くのはどうかと思ったが、翠のためなら仕方が無い。
――いいですよ。どこで会いましょう?
だからそう返って来た時、碧はホッと息を吐いた。
会えることになった。それならば、次の問題は翠にバレないようしになければならない。翠が仕事の日は勿論のこと、場所も人目がある場所はリスクが大きい。かと言って家に招くというのもできないし、菫の家に行くのも怖い。
――では、こちらでどうですか?
場所を決めるやり取りを少しした後、菫のとある場所を提案してきた。個室付きの料理店。政治家達がよく利用しているイメージがある。
確かに、ここならば人目につく心配は無さそうだ。
――分かった。
――ありがとうございます。では早速、今夜はどうでしょうか?
「えっ……⁉」
別に行けないことも無いのだが、心の準備ができていない。夕食を外で食べてくる、なんてことを翠に行ったら疑われてしまうから、できれば昼間に会いたかったのだが。
碧の返信が途切れたことに、なにかを察したのか菫が続けてメッセージを送ってきた。
――難しいですか? それもそうですよね、だって、翠さんに黙っているのですから。
思わぬ言葉に息を詰まらせる碧。そして、間髪入れず、碧のスマホから着信音が鳴る。相手は当然菫から。
恐る恐る通話ボタンを押し、耳に当てる。
『こんにちは、今日は少し天気が悪いですね。雨が降らなければいいのですが……』
今までの会話と全く脈絡のない話が聞こえる。
だけど、今の碧にはその話は助かる。窓から外を見ると、菫の言う通り雲が太陽を隠していた。
「……そうだね」
そう言うと、菫の笑う声が聞こえてきた。
『元気ですか、碧さん』
「別に」
『翠さんに似て冷たいですね』
なんてことのない、ただの世間話程度の会話だ。碧の口が動くようになってきた頃、菫が切り出す。
『翠さんに秘密で会いたいということは、わたくしを選んでくれる、ということですか?』
「違う、相談したいことがあるだけ」
『まあ、碧さんから相談ごととは! わたくしは嬉しいですよ』
ここでふと、電話で相談すればいいのではないのかという考えが頭に浮かぶ。
「やっぱり今相談してもいい?」
『ダメです』
「そう言うと思った」
電話で済ましてくれるはずがないと分かっていたのだから落胆することでも無い。
「昼間に会えないの?」
『大丈夫ですよ。碧さんに会うためなら、仕事なんて放って行きます』
「……そう。それなら良かった」
『ですが放って行きます、と言っても、現実はそこまで甘くないので、明日ならどうでしょう』
菫の立場も立場だ。それに、会社のためにそこまで無責任なことはできないだろう。だからそれに驚きはなかった。
「分かった」
それでも、次の日なら大丈夫とは。思わず、それでも早いじゃん、と言いそうになったが飲み込む。
菫に会うのは、翠の喜の感情を解放するためだ。友達同士の楽しいランチでは無い。そもそも、友達だとは思っていないが。
だから、これ以上会話をする必要は無い。
「時間は十一時でいい?」
『ええ、大丈夫ですよ』
「それじゃ」
『はい、楽しみにしていますね』
そして通話を終了する。
どれぐらいの時間話すかは分からない。翠の会社とは離れている場所だから、心配は無いと思うが、念のためまだ人が少なそうな十一時にした。
碧は深呼吸をする。大丈夫だ、これは翠のためなのだと、それは最もな理由のはずなのに、なぜ罪悪感が芽生えてしまうのだろうか。
その日は、翠は夕食を外で食べてくると言い、碧は一人で夕食を食べた。
いつも翠が外で夕食を食べてくると言っても、碧は浮気を疑ったことが無い。なぜなら、翠は社長なのだ。立場的に誰かと夕食を共にすることだってあるだろうからだ。
その相手がもし菫だったとしても、碧は疑うことができないだろう。
でも、その反対ならどうなのだろうか。
――その時だった。
家のドアが荒々しく開かれた音がすると、廊下から大きな足音が響く。
強盗かと、身構えるにはあまりにも短すぎる時間。リビングへ入ってきたのは、目尻を赤く腫らした翠だった。
「お、お帰りっ、どうしたの⁉」
碧の出迎えが通り抜け、大股で近づいてきた翠が両肩を鷲掴む。
「どうして!」
どうしてと言われても、なにに対するどうしてかが分からない。だけど、翠の表情と荒い息遣い、夕食は外で食べてくる、そしてさっきまでの考えごと。翠がなにに対してそう言っているのか、自然と解ってしまう。
「今日は……菫と……?」
そう言うと、翠はハッと息を呑む。碧の肩を握る、翠の手の爪が食い込む。
「どうして……‼」
力強く肩を握る翠の冷たい手に手を添えた碧が優しく言う。
「翠のためだよ」
「黙ってあの女に会うことが、私のためなの……⁉」
「…………」
そうだと、間髪入れずに答えられたらどれ程楽だったか。碧の心に芽生える罪悪感が言葉を出させてくれない。
「どうして答えないのよ!」
「だって……」
だって、翠を助けるため。
それを言っても伝わらない。この世界の翠は、今目の前にいるのだから。それでも言わなければならない。氷のように冷たくなっている翠の手を握りしめながら。
「だって私は……私は、翠に笑って欲しいから」
その瞬間、肩から翠の手が離れたかと思うと、視界から翠の顔が消えた。
碧が叩かれたと気づいたのは、よろめいて尻餅をついてからだ。
「碧のばか……」
逃げるように翠はその場から立ち去るのだった。
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