第2話「ノスタルジーの面影」

津上は、パソコンのディスプレイを苦虫を嚙み潰したような表情で見ていた。自動文章生成AIのASGALアスガルが誕生して以来、役所に勤める公務員は無益な書類仕事から解放された。実際、ほとんど問題なく使用できると言ってよい。しかし、だである調を指定しているにも関わらず、ですます調を勝手に用いてくることだけは我慢ができない。


事務仕事に疲れた津上は、ふと研修所時代を思い出していた。—————


—————6ヶ月前。南関東県新橋にある刑事局幹部研修所。ここでは、キャリア採用の「将来的な幹部」を養成する。また、この研修所に入るのはアジアから集められた秀才だ。日本第一大学、朝鮮第一大学、台湾第一大学、フィリピン第一大学。これら大学の法学部生が、毎年挙って刑事局に入る。このようなシステムは21世紀にもあり、アジアの風土に合っているため、そのまま使われていると言う。


かく言う津上家も代々警察官僚としてキャリアを築き、暗黙の掟として子供たちは自然と警察官僚を目指した。それは津上も例外ではなかった。子供の頃から厳しく躾けられ、小中高と勉強・勉強・勉強の連続だった。日本第一大学の法学部に入ったときも両親は大して喜ばなかった。むしろ「警察庁にキャリア組で入ってようやく一人前」と言わんばかりであったから、親への反抗として保安委員会刑事局を就職先とした節があったと言ってよい。


そんな動機で入ったため、当然やる気などはなかった。研修所に入ったときは次席だったものの、最初の試験では下から数えた方が早く、教官からはこっぴどく叱られたものだ。しかし、恩師とも言える海田かいだ教官に出会ってから、自分は大きく変われた。そんな海田教官との出会いは実技訓練だった。


「いいか。捜査官が常に携帯できる武器はマイクロ波ガンと特殊警棒だけだ」


そう言いながら黒い角ばった物を取り出す。


「これがマイクロ波ガンだ。正式名称は指向性マイクロ波銃。こいつはマイクロ波を一方行に照射し、相手を無力化することができる非致死性武器だ。一昔前のテーザーガンは、相手が厚手の服を着ていると効果が無かったが、これは服も透過するから問題なく使える」


更に腰へ手をやり、棒状の物を取り出した。


「そしてこいつが特殊警棒だ。21世紀の遺物だと思うかも知れないが、こいつが意外と役に立つ。炭化ケイ素で出来ているから、軽くて硬い。また、スイッチを押すと電気が流れる代物だ。もしもの時の矛であり、盾でもある」


右手で警棒を戻しながら、机の上に置かれていた一丁の銃を持ち出した。


「俺たちの秘密兵器だ。200年以上続く老舗の銃器メーカーのGlock社が開発した。名前はG-117。装弾数は20発。弾は警棒と同じく炭化ケイ素で出来ている。少し前まで炭化タングステンを使っていたんだが、発がん性があると言って使われなくなった。この弾の内部には高性能の蓄電池が内臓されていて、一瞬で数千ボルトが流れる。俺も実際に使ったことがあるが、当たった奴はほぼ即死だった」


空気が重くなる。それに気が付いてまずいと思ったのか、海田は話の道筋を戻そうとした。


「つまりだ…。お前たちに与えられる装備は玩具じゃない。人を殺せる武器であることを忘れるな」


その時の海田の顔は忘れられない。何か耳を塞ぎたくなるような話が二つや三つ持っていそうな様子だった。—————


回想をしていると、誰かに背中を突っつかれた。後ろを見ると、木本がコーヒーを差し出してくる。


「はい、コーヒー。何か作業するときはこれがなきゃね」


そう言いながら自分のデスクに向かっていった。厚意を無下にする訳にもいかず、カップを口元に近づける。やはり香りからして代用コーヒー。しかも自分が嫌いな玄米由来の物だった。飲んだふりをしてデスクの上に戻す。これは後で捨てておこう。


そんなことを考えていると、けたたましく館内放送が鳴りだした。


「南関東県品川で人が倒れていると入電。被害者は海田正司かいだ しょうじ。刑事局研修所教官。先月から続く『連続刑事局員殺傷事件』の同一犯によるものだと思われる。広域・重要犯罪事案に認定。一課三係に出動を命ずる」


「よし、全員出動だ。10分以内に用意して駐車場に集合しろ」


全員慌ただしく部屋を飛び出していく。それにしてもあの海田が被害に遭うとは。命に別条がなければいいが。そんなことを考えながら、津上も部屋を飛び出していった。——―—―


—————20分ほど掛けて品川に急行した。既に地元警察が辺りを封鎖しており、野次馬は完全に外側へ出されていた。立哨の警官にAR時計で身分証を提示する。


規制線を超えると、一人の男が地面に倒れているのが見える。まさか。そう思って駆け寄ると、地面にあの恩師が倒れていた。呆然とする。


「もしかして知り合い?」


「研修所の担当教官です。恩師でした…」


「もし気分が悪いなら外で待っていていい。自分で決めろ」


城内からの意外な優しさを感じて拍子抜けをしたが、津上は冷静に切り返した。


「いえ、大丈夫です。悲しむのは後にします」


「本当に大丈夫なんだな?」


城内は津上の目を見ながら確認する。それに津上は頷いて答えた。


「分かった。私は所轄の刑事に話を聞いてくる。君たちはアーボットを使って、このご遺体から情報を集めろ」


そう言って城内は走っていった。木本はAR時計を操作してアーボットを起動させる。アーボットは素早く遺体を検視し、周囲の遺留物なども残さず回収した。


「被害者は海田正司。54歳。南関東県有明に居住。家族は息子と娘が一人ずつ。妻とは死別」


木本は淡々と読み上げていった。


「頭部に6センチ大の挫滅創ざめつそう。死因は後頭部を殴打されたことによる外傷性くも膜下出血」


そこで木本は読み上げるのをやめる。


「どうしたんです」


「『後頭部を殴打』と書いてあるからてっきり後ろから不意打ちされたんだと思っていたけど、このご遺体には前腕に防御創がある」


防御創。他者の攻撃を防ごうとして付く傷のことだ。これが前腕についていると言うことは、被害者が加害者と対峙したと言うことを意味する。


「その防御創はどれぐらい前に出来たものですか」


木本はAR時計のホロディスプレイを操作する。


「死亡する2~3時間前。それがどうしたの」


「恐らく被害者は近くの場所で監禁されていたと思われます」


「その根拠は?」


「手首に拘束痕があります。日常生活で拘束痕が付くことはありません」


「『監禁場所が近く』と言うのは?」


津上はしゃがみ込みながら遺体の足元を指さす。


「被害者の足には靴下だけで靴は履いていません。靴に慣れた現代人が裸足で移動できる距離はたかが知れています」


津上は立ち上がる。


「そして靴下で出歩く人はいません。つまりこの靴下の繊維を辿れば、監禁場所もすぐに割り出せます」


そう言いながら野次馬の方向に顔を向ける。その中で、自然と一人の男に視線が行く。あの男には何かを感じた。—————


—————海田は有明にある自宅マンションのオートロックを通った。このオートロックは嫌いだ。旧型だからか、認証に5秒ほど時間を取られる。無駄なことは嫌いな性分であったから、真剣に管理人に苦情を入れようかと逡巡していた。エレベーターに乗って11階で降りる。自分の部屋は一番奥だ。これも毎度憂鬱になる。


海田はドアの鍵を開けて中に入ろうとする。そのとき、後ろから足音がした。見ると30代半ばの男が立っている。


「あの、何か御用ですか」


そう聞き終わる前に、男はバールを振りかぶって来た。咄嗟に頭を腕で守る。腕越しだったが、顔に強い衝撃を感じた。思わず後ろに転倒する。急いで立ち上がろうと海田は肘を地面に突き立てた。そのとき、首筋に鋭痛を感じた。次第に意識が濁っていく。海田の意識は、暗黒の底に沈んでいった。


海田はゆっくりと瞼を開ける。痛みを感じて腕を見やると、両腕は結束バンドで拘束されていた。ここで襲われたことを思い出す。一気に冷や汗が噴き出る。死の恐怖。今まで捜査官をやってきて幾つもの修羅場をくぐって来たが、監禁されたことはなかった。


恐怖を押し潰し、冷静に辺りを見渡す。少なくとも自宅ではなかった。さらに目を凝らすと、そこが倉庫であることが分かった。意識を集中させてみたが、倉庫内に人間の気配は感じなかった。アクションを起こすなら今だ。


海田はゆっくりと立ち上がる。幸いにも、足は拘束されていなかった。出口らしきものに近づく。そのとき、足裏に冷たい感覚を感じる。しゃがんで手をやる。暗くてよく見えなかったが、触覚からして注射器だった。恐らく自分を眠らすときに使った物で、犯人が誤って落としたのだろう。これだけは犯人に感謝した。


注射器の針を使って、どうにか結束バンドを切った。手首を掴む。きつく締められていたのか、かなり痕になっていた。


海田は立ち上がり、出口から出ようとする。だが外から鍵が掛けられていて出られなかった。唯一の希望がなくなり、絶望を感じていた。


そのとき、外から足音が聞こえる。咄嗟に扉の裏に隠れる。ドアノブが小刻みに振動し、遂に扉が開き始める。その人物は、部屋の中に入って来た。


その瞬間、海田は体当たりした。人物は床に転倒する。今だ。そう思い、外目掛けて全力疾走する。しかし、疲弊していたことに加え、裸足のため思い通りに走ることができなかった。


数十メートル走った後、海田は物陰に隠れた。息を殺す。相手に勝つには不意打ちしかない。近くにあった石を拾う。これをアイツの顔面に投げつけて、姿勢が崩れた瞬間を狙って押し倒す。これしかない。海田は覚悟を決めた。


突然、後ろから気配を感じた。後ろを振り向こうとする。その瞬間、海田は後頭部に激しい衝撃を感じる。そのままアスファルトに突っ伏した。薄れゆく意識の中で、犯人の後ろ姿を見ようと目を凝らす。はっきりとは見れなかったが、確かにスカートを履いていた。海田の意識は、暗闇に沈んだまま元に戻らなかった。—————


—————津上らは10分程歩いたのち、ある倉庫に辿り着いた。津上はそのまま倉庫に入ろうとしたが、木本がそれを静止した。


「何度も言っているでしょう。アーボットが先行し、その後ろを私たちが行く」


津上は引き下がった。アーボットが倉庫に入っていく。それを追うように津上たちも入っていった。


倉庫には窓一つなく、監禁にはもってこいだった。アーボットが地面を照らす。そこを見ると、地面に注射器が落ちていた。アーボットが検査をする。結果としては、注射器の針に付着しているのは海田の血で、注射器内からは静脈麻酔薬のプロポフォールが検出された。


「どこかで麻酔薬を打たれて、ここまで連れてこられたんでしょうね」


木本はAR時計のホロディスプレイを見せてきた。


「この倉庫の所有者は眞崎美緒しんざき みお。ここから徒歩5分ほどの所に住んでいるみたい」


「では話を聞きに行きましょうか」


津上らは倉庫を出た。犯人はその女で間違いないだろう。津上は拳を握りしめた。しかし一つの疑問が浮かぶ。海田を誘拐した理由だ。強盗ならあそこまでする必要性はない。と言うことは、動機は一つしかない。


津上らは一軒の家に着いた。表札には「眞崎」と書いてある。木本はインターホンを鳴らした。家の中から女性の声がする。ドアが開き、女性が顔を覗かせてきた。


「はい。どちら様ですか」


木本はAR時計で身分証を提示する。


「刑事局です。眞崎美緒さんですね」


女性は静かに頷く。


「あなたの所有している倉庫に人が監禁されていた可能性があります。お手数をおかけしますが、ご同行願えますか」


女性は静かに外へ出てきた。木本はそのまま女性に近づこうとする。そのとき、津上は唖然とした。女性の手には料理包丁が握られている。津上は木本の腕を掴み、後ろに引き寄せた。女は包丁を振りかざす。


その瞬間、女はバチバチと言う音と共に床へ転倒した。後ろを見ると、城内がG-117を構えている。助かった。安堵で足の力が抜け、津上は地面にしゃがみ込む。


「だから無茶をするなと言ったんだ」


そう言いながら、城内は津上たちに歩み寄ってきた。城内は津上に手を差し伸べる。津上はその手を掴み、立ち上がった。


「中に子供たちがいる。早く行って保護するんだ」


津上は頷き、家の中に向かって走った。

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