第3話「渡り鳥の如し」

津上は、OPP袋に入った眞崎の時計を、照明に照らしながら眺めていた。今の時代には滅多に見ない旧式の時計。ホロディスプレイを搭載せず、文字盤による時刻読みしか出来ない遺物だ。背面には、軽井沢での事案で男が持っていた時計と同じく、「M・L」と言う文字が刻まれていた。


「また文字が刻まれていたの?」


木本が代用コーヒー片手に話しかけてくる。


「ええ。一体何のイニシャルなんですかね」


「誰かの名前とか?」


「『Media Leagueマスコミ連合』のような団体名かも」


「それだったら『union連合』の方が適切だろう」


城内が話に割り込んできた。


「では一体何の略字なんですか」


「例えば.....。『モノ・ロゴスM・L』はどうだ」


「そんな訳ないでしょう」


木本が静かに、しかし毅然として言う。


「思い付いたことを言ったまでだ。では私は仕事に戻る」


この話題に挙がった「モノ・ロゴス」とは、この国際連邦のとなる存在だ。ギリシャ語で「一つの理性」と言う意味を持つ。実態は自己フィードバックとデバックが可能な人工知能AI。人間の総合的な能力を超えた、まさにシンギュラリティに達した存在でもある。しかし、一般的なパソコンの10の21乗倍以上の性能を持つゼタ・コンピューターが必要になるため、一般には普及していない。このAIは新たな国際組織である国際連邦に全面導入され、組織運営の全てはモノ・ロゴスが行っている。ある人は「ディストピアの到来」と表現し、またある人は「神の治世」と表現するが、津上はそのどちらとも思えなかった。


「そんなに深く考えることないんじゃない?多分なんかの記念品とかなんだと思うよ」


木本はコーヒを飲みながらそう言った。だが果たしてそうだろうか。二人の、しかも直近の事件の容疑者が同じ種類の時計を持っていたと言うことは、とても偶然だとは思えない。これは誰かからのメッセージではないか。


そんなことを考えていると、館内アラートが鳴る。


「フィリピン・セブ島で男性の遺体を発見。名前はジェームズ・ブラオン。国際連邦福祉委員会公共衛生局の調査官。広域・重要犯罪事案と認定。一課三係に出動を命ずる」


「よし!出動するぞ」


城内らは部屋を飛び出していった。—————


—————太陽が照らしつける中、津上らは車内で横たわる男を眺めていた。西洋人の白い肌に反射した太陽光が目の中に飛び込んでくる。


「頭を銃で一発ですか」


木本がハンカチで顔を扇ぎながら言う。


「額に火傷痕が。至近距離で、旧式の火薬銃によって撃たれたんだと思います」


津上が車内を覗き込みながら言った。


「取り合えず捜査補助・支援IASシステムを使おう。話はそれからだ」


城内がAR時計を操作し、アーボットが車内や車付近を鑑識し始めた。おおよそ10分ほどで鑑識が終了する。


「鑑識結果。死因は至近距離から銃で撃たれたことによる脳の損傷。使用弾薬は22口径。車内に被害者以外の毛髪を発見。保安委員会データベースに該当者なし。DNA解析によって性別は男性であることが判明。プロファイリング結果。犯人は30代半ばから後半の男性。左利き。中肉中背。殺人には慣れていない。被害者への強い殺意はなし。よって請負殺人である可能性が高い。また被害者と加害者は知り合いである。以上、報告終わり」


機械音声が淡々と読み上げた。


「請負殺人か。依頼人は人間関係を探ればすぐ分かるだろう」


「そうですね。まず、妻のエミリー・ブラオンに話を聞きに行きましょう」


「この人妻帯者なんだ。何だかその妻が怪しいですね」


木本はハンカチで額を流れ落ちる汗を拭きながら言った。


「先入観を持つのはやめろ。全てをフラットにして考えるのが鉄則だ」


そう言いながら、城内は車に乗り込んでいった。津上も妻が浮気相手と一緒になるために暗殺を頼んだと邪推していたため、自分まで説教をされた感覚を覚えた。—————


—————20分程掛けて、セブ郊外のプラングバートにある一軒家に着いた。トタン屋根のボロ家がある点在する中、塀に囲まれた豪邸は異彩を放つ。


「相手は銃器を所持している可能性がある。統括捜査官権限により、係員の銃器携帯及び防弾着ボディーアーマー着用を許可する」


そのとき、銃器運搬ドローンが津上の足元に着地する。城内はしゃがみ込みながら、ドローンに手を伸ばして銃を取り出した。握った瞬間に指向性可視光が目に飛び込んでくる。


銃には人工知能が搭載されており、注意すべき場所、敵味方識別、仲間の場所などを、指向性の光を通して教えてくれる。最初はウザったく感じていたが、慣れてくれば非常に便利だと感じてくる。


「全員銃は取ったな。一応言っておくが、相手が銃を持ち出すまで銃を使うな。余計に事態が深刻になるからな」


そう釘を刺して城内は家に走っていった。それを追って津上たちも家に走っていく。津上は、ただ何事もなく穏便に事が運ぶことを祈っていた。


城内と木本が玄関に、津上が裏口に待機する。城内が一呼吸置いた後、玄関のチャイムを鳴らす。中から女性の声が聞こえてきた。ドアが開き始める。


「May I have your name, please? (どちら様でしょうか?)」


一人の女性が城内たちの顔を訝しげに覗く。城内はAR時計の翻訳アプリを起動し、女性に質問し始める。


「エミリー・ブラオンさんですね?」


城内が機械的に質問する。


「ええ。失礼ですが、どちら様でしょうか」


女性が念を押すように再度確認する。


「これは失礼。私たちは刑事局の者です。貴方の旦那様のことでお伺い致しました」


身分証を提示しながら、城内は淡々と話を進めた。


「ジェームズがどうかしたんですか?実は昨日から家に戻っていなくて」


女性は心配そうに言う。城内と木本は顔を見合わせ、困惑したような表情を浮かばせる。


「既にフィリピン警察がお伝えしたと聞いておりますが」


「何も聞いていません。夫が一体どうしたというのですか」


女性は今にも城内に縋り付きそうな勢いで尋ねる。


「実はジェームズさんが昨晩何者かに殺害されまして」


それを聞いた瞬間、女性が膝から地面に崩れた。大声で泣き喚く。


「ここでは何ですから、中で詳しくお話しましょう」


城内はそう言いながら、女性の腕を掴んでリビングまで運ぶ。


暫く時間が経ち、女性が落ち着きを取り戻してから、城内は話を始めた。


「…こちらのAIで調べたところ、犯人に強い殺意が無かったことが分かりました。つまるところ、犯人は請負殺人でジェームズさんを殺したのです。犯人に心当たりはありませんか」


城内は女性の顔を凝視しながら言う。


「そんな。心当たりなんてありませんよ。もしかして刑事さんたち、私の事を疑っておられるのですか」


「いえいえ。滅相もない。ただ、手順としてお聞きしているだけです」


城内は芝居じみた笑顔を浮かべながら諭す様に言う。


「ジェームズは国際機関の調査官をしていましたから、過激な人たちに狙われてもおかしくありません。実際、ジェームズもそう言っていました」


「でしたら、犯人は強い殺意を抱いているはずです。ですが、AIは『犯人が強い殺意を持っていなかった』と結論付けました。これは矛盾していると思いませんか」


城内は笑顔を浮かべたまま、しかし冷静にそう切り返した。


「そもそもAIがそう判断した理由は何ですか。そんな不確かなものを前提に捜査を進めていいのですか」


女性は凄みながら言う。


「『不確かなもの』ではなくプロファイリングですよ。統計学を基にした科学的なものです。ところで旦那さんの殺害依頼をした理由はなんだったんですか」


城内は突然笑顔を消し去って聞いた。木本もその様子に少し驚いていた。


「はぁ?一体貴方たち何なんですか。さっさと帰ってください」


女性は怒声を城内たちに浴びせながら追い出した。突然玄関先に出てきた城内たちへ津上が駆け寄る。


「どうしたんです?」


「そんなことはどうでもいい。それより、あれはクロだな」


城内は靴を履き直しながら言う。


「だから言ったじゃないですか。妻が怪しいって」


木本も靴を履き直しながら言った。


「お前の無根拠の戯言と一緒にするな。…それよりも、あれだけ圧を掛けておけば今日中に動くだろう」


「動く?何をすると言うんです」


「決まっているだろ。証拠隠滅だ。…共犯者をな」


城内が歩き始めながらそう言った。—————


—————光源が月明りと家から零れる光だけの漆黒の中、津上たちは車の中で張り込みをしていた。前側に座る城内と津上が見張り、木本が仮眠を取る。


「本当に証拠隠滅に動きますかね」


「あの女は馬鹿じゃない。俺たちが自分を疑っていると分かったならば、必ず証拠の隠滅を図るはずだ」


津上は鼻から息を吸いながら、視線を車外に移した。そのとき、例の豪邸から二本の光が伸びてくる。


「係長。来ました」


「遂に動いたか。おい、さっさと起きろ」


城内は木本を起こしながら、車のエンジンを掛けた。ライトを付けたら相手に気づかれるため、暗視グラスを着用する。津上たちが乗る車は、少しずつ動き出した。


女は15分ほど車を走らせ、山間部に止まった。その場所はひと一人いないほどの未開拓の地だった。女が車を降り、後部座席のドアを開ける。そこから一台のアーボットが下りてきた。


「そろそろ声掛けするか」


そう言って城内は車を降りた。津上たちも下車する。三人は忍び寄り、後ろから女に声を掛けた。


「エミリーさん。こんな所で何をしているんです?」


城内は静かに問いかけた。


女は非常に驚いた様子で、目が痙攣したように泳ぐ。


「てっきり共犯者は人間だと思っていましたが、どうやら機械だったようですね」


城内はアーボットを指さしながら言う。


「本当にしつこいわね。まぁいいわ。丁度ここには人がいないし、もう一度ロボットに共犯者になってもらいましょうか」


そう言って女はAR時計を操作する。そして突然、アーボットが津上たちに襲い掛かった。


アーボットの腕が振り上げられ、津上の頭に向かって振り下ろされる。それを津上は寸前のところで避ける。アーボットの目標が木本に移り、再び腕を振り上げながら追う。木本は車を背にして銃を構えた。頭部を狙って発射する。しかしアーボットが腕で弾き、そのまま水平に薙ぎ払う。その腕は木本の銃に当たり、弾き飛ばされた。今度こそ確実に仕留めるべく、アーボットが腕を振り上げる。


そのとき、津上が放った弾がアーボットの頭部に当たり、煙と爆音を出しながら転倒した。木本はそのまま小刻みに震えながら地面に座り込む。


城内は女に向かい直し、口を開く。


「同じ様にアーボットを使ってジェームズさんを殺したんだな」


女は否応なく、城内にレーザーカッターを振りかぶる。城内は女の腕を掴み、そのまま捻り上げる。女は悲鳴を上げ、レーザーカッターを地面に落とす。


「エミリー・ブラオン。ジェームズ殺害容疑、および公務執行妨害で逮捕する」


城内は女に手錠を掛けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る