ORDER

スルメイカ

第1話「一つの理性」

津上諒太つがみ りょうたは、まだ淹れたばかりのコーヒーを飲もうとカップを口に近づけた。芳醇な香りがする。玄米由来の代用コーヒーとは似ても似つかない。そんなことを考えながら、HTホログラム・テレビジョンの電源を付けた。ニュースでは、国際連邦機関の入庁式が本日執り行われることが報じられていた。ふと時計へと視線を移す。時針はもう少しで8を指そうとしていた。コーヒー淹れに時間を使いすぎてしまった。急いで背広にそでを通して宿舎から飛び出る。太陽はひと際に眩しいと感じた—————


—————モノレールの車内で揺られて20分。炭素繊維カーボンファイバープラスチック製の外壁が特徴的な建物の門を通る。門には「刑事総局アジア局」と書かれていた。建物の中に入ると係員が案内をしてくれた。機械的に並べられた椅子の中の一つに腰を下ろす。後ろの方にはテレビ局のカメラマンが何人か居た。前に視線を戻すと、丁度司会役が話を始める。


「それでは、第10回国際連邦保安委員会刑事総局アジア局入局式を始めます」


全員が一斉に椅子から立ち上がり、前方へ敬礼した。その次に入庁者代表の鷹島洋司たかしま ようじが呼び出され、宣誓をする。彼は日本第一大学法学部時代の同級生で、幹部研修所でも一緒に切磋琢磨した戦友でもある。


「…法を順守し、自らの良心のみに従い、公平中立に秩序維持の職務の遂行に当たることを誓います」


彼の声は講堂内によく通った。この声には、どこか気持ちが落ち着く効果がある。その後15分ほど式が続き、正午に差し掛かってようやく解放された。未だにこの国には権威主義的な部分が残っている。


午後からは配属先への顔合わせがある。部署は刑事局第一課第三係。確か鷹島は刑事局第二課だったはずだ。あそこは公安事案を取り扱う。対してこちらは広域・重要犯罪を取り扱う。「昔からなりたかった刑事になれる」と浮足立つ自分を抑えるのに必死だった。


昼食を取り、配属先の部署へ歩みを進める。ここに来て急に緊張してきた。途中でトイレに寄り、気持ちを落ち着かせる。何も心配することはない。ただ顔合わせして、相手の出方を伺えばいい。


そう言い聞かせて、再び配属先へ歩き始める。第三係の文字が見えてきた。いよいよだ。扉を開けて、背筋を伸ばす。


「本日より配属となりました。津上諒太です。お世話になります」


天井を見ながら前日考えてきた台詞を吐き出す。ゆっくりと視線を下すと、部屋の中には人影が見受けられない。集合時間を勘違いしていたのか。事前に配布された紙を取り出そうとしていると、肩を軽く叩かれた。


「遅れてごめんね。ちょっと外までお昼ご飯を食べてたんだ」


後ろを見やると、女性が一人立っていた。ワイシャツにはきちんとアイロンが掛けられていたが、襟元の染みによって相殺されていた。


「私が推察するに、ここから徒歩5分のラーメン屋ですか」


「え!なんで分かったの…」


「襟元の染みですよ」


そう言いながら襟元を指で指し示す。顔に焦りの色が浮かぶ。


「今日替え持って来てないのに…。また売店で買わないと」


その言動から察するに、同じような事態に陥るのは初めてではないようだ。「これが自分が夢見た刑事か」と落胆しながら、前日考えた台詞を再度唱える。


「私は木本凜きもと りん。この第三係で主任をやっています。あ、でも改まらなくていいよ。3ヶ月後には同じ主任になるんだから」


そう言いながら部屋に入っていく。それを追うように自分も入った。木本は一つのデスクに手を置き、顔をこちらに向ける。


「これが今日から貴方が使うデスク。自由に使ってもらってもいいけど、整理整頓しないと係長に怒られるから」


「整理整頓は社会人の基本だ。出来ない方がおかしい」


声のする方向へ顔を向けると、入り口に一人の男性が立っていた。


「君が新人の津上か。私は統括捜査官の城内祐輔じょうない ゆうすけだ」


「統括捜査官は官名で、役職名は係長。直属の上司だから怒らせないようにね」


「聞こえているぞ、主任捜査官。新人にあることないこと吹き込むのはやめろ。私は基本的に叱責したりしない。何かしでかさなければな」


そんな話をしていると、突如けたたましい音が流れる。


「至急至急。信州県軽井沢で二係がマーク中の容疑者が逃走。二係はAI搭載ロボットアーボットに足止めされて追跡困難。三係の出動を命ずる」


「すぐに出動しよう。彼に装備を渡せ。私はV-1の準備をする」


「分かりました。ほら、早く付いてきて」


そう言って木本は部屋を飛び出していった。津上も続いて廊下に飛び出る。津上は緊張感と高揚感が混合した不思議な感覚を覚えた。


装備を身に着けてからティルトローター機V-1に乗り込む。城内が端末を操作して目的地を入力する。その瞬間にエンジンが起動し、体が浮かぶ感覚を覚えた。乗り心地は悪くないが、この二人と乗り合わせるのは少し気まずかった。


20分程で軽井沢に着いた。21世紀には避暑地として金持ちが挙って別荘を持っていたらしいが、今では温暖化によって見る影もない。


「ドローンがあのビルに入っていった容疑者を確認したようだ。これからあそこに突入する」


そう言って拡張現実AR時計を操作し、アーボット2台を起動させた。その2台は颯爽とビルの中へ入っていく。


「研修所で学んだから知っているだろうが、無茶なマネはするな。鑑識、追跡、逮捕はあの機械がやる。お前はそれを見守っておけばいい」


津上は静かに頷く。今は23世紀。昔の刑事の様に「ホシは自分の足で捕まえる」などというのは、映画の中だけだということは理解していたつもりだった。


3人はビルの中に入っていった。とても古く、築50年は優に過ぎているだろう。照明もほぼ全てが壊れており、暗視グラスが無ければ一寸先も見えない。


アーボットはある部屋に入っていった。その部屋だけは小綺麗にされており、人が住んでいたことが見受けられる。


「奴はここに住んでいたんだろう。この部屋だけ食べ物の容器が落ちている」


「何だか急いで出て行った感じがしますね」


そんな話をしていると、後ろから走り去る気配がした。部屋を飛び出る。姿はよく見えなかったが、ここには自分たちと容疑者しかいないはずだ。走って追いかけようとする。その時、城内に大声で静止された。


「津上!追跡するな!それはアーボットの仕事だ」


そう言ってAR時計を操作するが、アーボットは言うことを聞かない様子だった。


「くそっ!また誤作動か」


津上はいても経ってもいられず、走って追いかけ始める。城内たちの声が聞こえた気がするが、今ここで逃がす訳にはいかない。階段を駆け上がり、屋上へ出る。そこには1人の男が地上を見下ろしていた。


「そこから飛び降りたら死ぬぞ」


こちらの声に気づいた男は、驚いた様子で顔を向けてきた。


「大人しく地面に伏せるんだ」


そう言いながら、腰のベルトから指向性マイクロ波銃マイクロ波ガンを取り出して構える。


その時、後ろから木本が走って近づいてきた。隣に並び、同じくマイクロ波ガンを構える。


「無茶をするなと言われたでしょ!」


ものすごい剣幕で凄まれ、言葉が出てこない。


「何をごちゃごちゃ言っているんだ!さっさと失せやがれ!」


「刑事局です。大人しく投降しなさい」


「俺は投降なんてしない!いいからさっさと失せろ!」


そんなやり取りをしていると、突然プロペラの音が聞こえてきた。男の後ろに小さい影が見える。男も気配に気が付いたのか、後ろを向く。そこにはドローンが飛んでいた。勢いをつけて男の顔面にぶつかる。男はふらふらしながら後方に転倒した。津上たちはすかさず男にマイクロ波ガンを撃ちながら拘束した。


AR時計から着信音が鳴る。その電話は城内からだった。


「このバカ!無茶なマネはするなと言っただろ!」


時計から怒声が響く。津上は平謝りしながら頭を下げる。


そのとき、男が突然泡を吹きながら苦しみ出した。白目を剥きながら激しく痙攣する。男はあっという間に動かなくなった。男の手元を見ると、高価そうな時計をしている。腕時計を外すと、手首側に針が突き出ているのが見えた。恐らく捕まったときのために仕込まれていたものだろう。時計には「M・L」と言う文字が彫られていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る