第40話 2024/9/26 夕刻 続

「えっ、どういうこと?」

「んや、言わなーい。今のお前に言っても分かんないだろうし、殴られんのもナイフで切られんのも嫌だし?」

「持ってねえよナイフなんか!」

「非暴力不服従〜」


 おどけて両手を挙げてみせる三谷に対してこれ見よがしに溜息をついてやる。


「あのな、怖いから逃げるってのはガンジーの思想とは違うんだよ」

「怖くないよ、辛口様は。拗らせてて面倒くさそうで可哀想だなってだけ。

 まあ今すぐっていうのは酷だとは思うけどさ。その他人に縋って生きる生き方、早めにやめた方がいいよ。

 お前犬飼さんに捨てられたらどうすんの?」

「僕が……捨てられる……?」


 あまり考えたくないシナリオだ。思わず眉を寄せてしまう。すると、三谷も同じくらい渋い顔になった。


「ほらぁ。やっぱね!

 今のお前は甘口と違って子供なんだ。赤ちゃんなんだよ。皆が良くしてくれると信じて疑わない幸せなお子ちゃまだ。

 ……俺から言わせりゃそんなもん、砂の城より脆い。人の気持ちなんてころころ変わるし、永遠に信じられるもんじゃない。今が幸せならそれで満足して、それ以上を相手に求めるな。合わなくなったら別れる権利は誰にでもあるんだ。裏切られた、なんて泣くのはそれを分かってない馬鹿だけだ」


 僕は黙って高説を聞いていた。反論は、正直いくらでもできる。でもそれをしたところで三谷の考え方は変わらないし、変わった方が良いとも思わなかった。


「……三谷ってシビアだね」

「まあ俺は、こう見えてそれなりに苦労してっから。

 ……あの金髪の女の子はどうしたんだよ。甘口ん時のお前は、本命あっちだっただろ。だから逆に、適度に遊べるバランス感覚のある奴だと思ってた。

 でも今のお前は、やっぱなんかおかしい。犬飼さんが心の支えっていうのは本音なのか?」

「金髪の……リノのことか。あいつは……クリスとあいつは、別れ話をしてた。クリスはインカーを選んで、リノを捨てるはずだった……」


 言葉が、僕自身を傷つけていく。

 本当に僕は、リノは勝手な奴だ。

 捨てさせようと仕向けたのは僕。

 別れたがったのは僕だってのに。


「……リノは、自殺未遂をしたらしい。クリスはそれを庇って事故に巻き込まれた。インカーは、それを見ていた……惚れた男が自分じゃない誰かのために命を投げ出すところを。

 だから僕はもうインカーのことしか大切にしない。クリスが犯した過ちを、僕が償っていく」


 そう言ってから気付いた。クリスもまたインカーを傷付けていた。僕だけじゃない、僕らの罪だ。二人分の贖罪を、僕はインカーにしなければならないのだ。

 三谷は少し弱々しく嘆息した。


「……そうか。ごめん、そこは俺、知らなかった。でも……うーん……」


 ぱん、と軽く背中を叩かれる。


「そりゃ、お前の背負うモンじゃないよ。お前が背負っていいモンじゃない。勘違いするな。お前は犬飼さんへの償いができる立場じゃない」

「だって、僕がやったことで……」

「お前じゃないだろ、甘口だろ。悪いけど、甘口とお前、そこまでキャラが違うともう完全に別の人間にしか思えない。甘口を知ってる人間誰に聞いてもそう答えるし、犬飼さんにしたってそう思ってるはずだ。

 だからお前が償おうとすると、違うんだよ。それは犬飼さんにとって負担になる。彼女は、何の罪もない人間が身内の不徳を償おうとするのを、黙って受け取れる人じゃないと思う」


 でも、そしたら。

 インカーの救いが無くなってしまうじゃないか。

 僕が、見た目だけでもクリスだから、愛してやれるのに。

 僕がいつかクリスを目覚めさせると信じてくれているから、一緒にいてくれているのに。

 一緒に、いてくれている。

 ああ、それって、

 インカーの救いじゃない。

 それは僕の欲望に付き合わせているだけだ。

 クリスのものを奪って征服しようとした僕を許してくれているだけだ。


 そうか。僕にとっては償いなんて、

 最初から口実でしかなかったのか。


「……それでも僕は、彼女が欲しい。クリスが大切にしなかったもの……僕が合法的に奪い取れるもの……」

「……そういうメンタルでいた方がむしろ健全かもなー!」


 三谷がニヤニヤと僕を見てきた。腰掛けていた生け垣のブロック積みからひょいと立ち上がり、隣に座っていた僕を見下ろす。


「そういうことなら応援するよ、辛口様。自分のために選んで、自分のために動くってんならね。綺麗事並べてると傷付いた時に他人のせいにしちゃうもんだからさー。でも、今の考え方ならきっとそうはならないっしょ」

「……嫌な奴じゃね? どっちかってーと」

「俺は嫌な奴だろうと分かりやすい方が好き」

「そんな奴もいるんだね」

「いるさ! ここに一人な!」

「……三谷スマホ無いクセに割とネットミーム知ってるよね」

「親父がVtuberなもんで」

「へぇ~……」


 衝撃の事実。僕らの親世代って、少なくともアラフォー以上じゃないか?

 いや、アラフォーだからって趣味を否定しちゃいけないよな。僕だって今の趣味がこの先変わるとはあんまり思えない。この先……

 何年、僕は生きないといけないんだろう。

 まず僕の体と再会できるのがいつなんだろう。

 あの大学に入って、目当ての学科に進んで、雷野リノの担当になって?

 医師免許を取れるのが二十四歳……ここから七年後。

 僕はそれまでずっと、クリスとして……。


「……んじゃ、俺帰るわ。チャンボありがとうね」

「チャンボ」

「チョコモナカジャンボの略」

「文脈で分かるけど言わねえよ」


 へへ、と笑って三谷は手を振り去っていった。多分僕の心がここに在らずだったのを察されたんだろう。辛口はそうやってすぐ気を遣われる。甘口ならもっと上手くやれていたと思うのに。

 くそ……もう一個、チャンボ買って帰ろう。



 アパートに帰って、買ってきた弁当を温める前にアイスを齧る。

 分かってる。

 甘口なら、クリスなら、って考えても仕方ない。

 クリスの人生を書いた脚本があればいいのにね。

 そしたら、僕はそれに沿って演じるだけでいい。

 細かいアドリブはできないかもしれないけれど、

 皆にクリスだな、と思わせられたらそれでいい。

 クリスのフリ出来ないかな、僕は。

 出来るんじゃないかな、天才だし。

 とりあえずシミュレーションして。

 今までの僕から地続きに少しずつ。

 甘辛くらいになっていってみるか。


 どうせリノなんて、誰にも求められていないのだし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る