第33話 2024/8/29 午後
リノが連れていってくれたイラン料理屋は、素晴らしかった。イラン料理屋というかペルシャ料理屋で、トルコからパキスタンまで幅広いメニューが揃っていた。ケバブもビリヤニもカレーもあったから、偏食なリノでも、色々食べられるものがあって喜んでいた。私はリノが選んだもの、美味しいと言ったものを覚えておこうと思った。そして、帰ってから父さんに作り方を聞こう。そのうち自分でも作れるようになりたい。
彼氏を喜ばせたいと思うのは当たり前のこと、だよな?
そんなに後ろめたい気持ちになる必要なんて、ないよな?
(浮気する奴とか、絶対に無理なんだけど)
自分の言葉が私を刺してくる。
だってこいつはスッスじゃない。
私を助けてくれたあの男じゃない。
でも、クリスの体なのは間違いない。
好きだから、許して、受け入れてきた。
別人だと認識してるのに愛してしまった。
半信半疑、ということにしている。
だってリノだと思うには時々、余りにも……クリスでしかなくて。
私にはクリスにしか見えない時があって。
無性に泣きたくなる。抱きつきたくなる。どこにも行かないで、と叫びたくなる。
そこに、居るんじゃないのか?
今でも私を愛してくれているんじゃないのか?
分からない。
大好きなんだ、お前のことが。
でも、
「インカー、この後のことなんだけど……っ、どうしたの?」
帰りの車内でリノが話し掛けてきた時、ちょうど私の頭の中がワーッとなっているピークで、つい涙がこぼれてしまった。
「あっ、いや、大丈夫、気にしないで……」
「泣いてんじゃん、気にするなって言われても無理なんだけど」
「あー……うん……ちょっと待って……」
なんて伝えたらお前を傷付けずに済むだろうか。
私だけはお前の味方で、理解者でいたい。
結局私はお前のことも好きなんだ。
私はズルくて欲張りな女だ。
「……お前が……クリスで良かった。リノを失ったスッスでも駄目だったし、他の誰になっても嫌だ。お前がいい。生きててくれて、ありがとう」
「急に、何……」
リノが言葉を失っている。そりゃそうだよな。お前は、今のままでいいなんて、絶対に思わないだろう。私も、そりゃあスッスとリノ、両方揃っていたほうがいいと思う。
でも、な。その時が来たら、私はいないほうがいい。
リノもクリスも好きだなんて、間違っている。
二人とも好きになってしまった、私は。
二人ともを、諦めるべきなんだ。
リノの夢を叶えてやりたい。
明るい元のクリスを取り戻したい。
その手助けになることなら、何でもする。
今は、自分にそう言い訳をさせてほしいと思う。
諦めるのは、いつか大人の分別を得た私に丸投げして。
「大好きだよ」
私は隣の男に莞爾と笑ってみせた。
リノはその後、リノの実家に連れていってくれた。
「ほら、僕の誕生日の時に……漫画とかも色々あるから遊びにおいでよって言ったでしょ。大丈夫、家には誰もいないから」
「誰もいないから心配なんだけどなァ……」
「おや、期待されてるのかな」
「心配だっつってんだろ」
そう言いながらも、私は結局何の抵抗もせずにリノを受け入れてしまう。初日のように血を流すような傷は付けられなくなった。リノなりに色々試したいことがあるんだろう。このくらいの力で跡が残るから……などと呟いているのも聞いた。リノは私を危険に晒すような真似はしない、そう自分に言い聞かせる。リノは私をクリスに返さないといけないと思っているから、私に愛想を尽かされてリノから離れられるようなことは、絶対にしない。
受け止められる、というのは嬉しいものだ。自信のようなものもついてきた。リノは、クリス相手だと嫌われるのが怖くてできなかったことを、私で消化しようとしている。嫌われることの恐怖より、甘えたい気持ちの方が強いのだろう。クリスには普段から甘えっぱなしだからバランスが取れないと思ったのかもしれないな。
不思議な関係だ。いびつだと思われるかもしれない。
それでも私達は、お互いに満たされていた。
「インカー。はい、これ誕生日プレゼント」
各々気になる漫画を読んでいると、リノが小さな袋を手渡してきた。
「えっ、良いのか? ありがとう」
「良いよ、ここで開けて着けてみて」
着ける、ということはアクセサリーの類だろうか。リボンを解いて袋を開けると、大きめの金色の花が四個ついた黄色いシュシュが出てきた。
「わ、可愛い!」
「金色、お前に似合うと思ってさ。本当はペアのネックレスにしたかったんだけど、クリスの首が太くて……既製品のだと無理だった。特注で来年リベンジする」
「来年は受験生だろ、そんな無理しなくていいって」
「やだ。インカーはクリスのなんだから、絶対着けさせる」
「着けないとは言ってないけどよ……」
ペアって言ったら指輪とかじゃないのか? と言おうとして、やめた。指輪だと特別な意味がありすぎる気がした。ペアリングをクリスと付けていい相手は、私じゃない。ネックレスでリノが誤魔化されてくれるうちは、それを着けていればいいじゃないか。
今の質素なヘアゴムの上から髪飾りを着ける。着けてしまうと自分から見えないのが勿体ないな。
「……似合うか?」
「うん……」
「良かった」
「なんでインカーが良かったって言うの?」
「似合わなくてがっかりするのはリノの方だろ」
「それは、そうかもね」
リノが納得したようにうなずいて、それから顔を寄せてきた。目を閉じると、唇に優しくキスされる。
「誕生日プレゼントありがとう、リノ」
「うん。来年もよろしくね」
「おう。ずっと応援してるよ」
「お前もお前で頑張れよな!」
「それはそうだけど、私はほら、入れるとこに入るだけだし。リノみたいにハードル高くないぞ」
「あー。受験の時だけ前の体に戻らねえかなぁ……」
「そんなに自由に入れ替われるんなら、そもそもあの大学受ける意味無いだろ」
「まーね。どこでもいいなら日本から出てもいい。なんとなく、僕に合うのは国内じゃない気はしてる」
「私は英語苦手だから、そうなったら一緒に行けないなー」
「せっかくのハーフが勿体ねえなぁ」
「中東の大学に行くんなら付き合えるかもな」
「やだよ、暑いとこは……」
将来の話をするけれど、決定的なことはお互いに言えないでいた。
クリスが起きるまで。クリスが起きたら。
そこから先は二人とも、考えないようにしていたのかもしれない。
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