第29話 2024/7 中旬
いつの間にか、僕のあだ名は「辛口」になった。
ほぼほぼ悪口だと思うんだけど、まあどうでもいい。
友人を減らした気はしない。少なくとも初日に絡んできた奴らとは引き続き交流できてる。ただ、ちょっと遠巻きになったのかな、と思う。
惜しいとは思わなかった。そんなことより、僕には目指さないといけない目標ができた。
リノが、リノの体が東京の大学病院に移された。多分父の医者としてのコネもあるだろう。僕はその大学の医学部に入る。クリスと早く接触できるようになるために。
この高校から入学できたら、前代未聞の快挙だという。
そして天才だったはずの僕は、クリスの中に入って、凡人に落とされていた。
勉強、というものを、生まれて初めて本気でやる必要ができた。
一度聞いて見て取り入れたはずのものが、出てこなかったのだ。
復学してすぐの期末試験だったから、周りはそんなもんだよ、上位取れただけですごいよ、と励ましてくれたが、僕は愕然としていた。
解けない、とは、こういうものか。
道具は手元にあるはずなのに、その輪郭が思い出せない。
どう使うのが適切なのかが思い出せない。
リノの体のままでこれに襲われたら発狂していたかもしれない。
でも、僕は、今はクリスなのだ。
何かを覚えようと思うと、必死の努力が必要なのだった。
そんなの、知らなかった。
クリスは、僕の知らないところで、僕についてくるためにものすごく努力していたのだ。
僕が恵まれた才能にあぐらをかいている間にも。
教科書読む以上の勉強なんてシュミでしかないだろ、と笑いながらネトゲにかまけている間にも。
こいつは必死に食らいついて、頑張って……振り落とされたんだ。
……多分医学部入学ならなんとかできると思う。大学入試なんてしょせん小手先だ。
でもそれはゴールじゃない。僕はあいつを救うために何でもしないといけない。
この制約の多い頭脳で。
インカーが生徒会室で二人きりの時に声を掛けてきた。
「リノ、最近怖いってさ」
「お前は?」
「リノでしかない」
「なら、いい。他の奴らがなんて思ってようと、どうでもいい」
「……成績悪かったんだって?」
「もう文系にまで話がいってるのかよ……」
僕は溜息を誤魔化すように大あくびをした。
「……別に。ちょっと前の頭と勝手が違っただけ。問題ないよ、すぐ首席に戻すし、ぶっちぎりにしてみせるから」
「それで機嫌悪かったのか?」
「いや? 機嫌悪いわけじゃない。平常運転」
「そうかなぁ……?」
インカーは気にかかっているようだけど、本当に今の僕は平常運転だ。というか、シングルコアなもんで平常運転でやらざるを得ない。心の半分を苛々に費やしながら他のことを楽しめる頭の構造になっていないようなのだ。話しかけられるとそれまでに考えていた取り留めのないことは吹っ飛んじゃうし、気分だってコロコロ変わる。こんだけ振り回されるんなら、クリスの能天気さも今は理解できる。嫌な気持ちに割くリソースが勿体ない、ということだ。
ただそれで常時ハイになるようなポジティブさは、僕にはない、というだけ。ただそれだけのことなのに、クリスと比較されて不機嫌だとか怖いとか言われるものか。
クリスがこの一年で積み上げたものの大きさに圧倒されてしまう。どれだけ人の記憶に残ってんだよ、お前。羨ましいな……。
元のリノの人付き合いを思う。フィーネちゃん、セルシアさん、アレクセイ……。取ろうと思えば連絡が取れないことはない。でも納得してもらえる説明ができるとは思えないし、忘れられてるかもしれない。それが正直一番怖かった。
クリスとインカーの消えない傷になれればそれで良いと思っていたはずなのに。
いざ生き残ってみると、こんなに淋しいもんか。
……いや。リノ・ライノは死んだんだ。やめよう、彼らに残留思念を向けるのは。僕はリノだけど、クリスの人生を生きると誓った。だから。
「僕のことよろしくね、インカー」
「なん……急になんなんだよ……」
インカーがちょっと赤くなって声を上ずらせる。
「ううん。お前が僕のことリノって認識してくれてるから、僕は頑張れるんだ」
「ああ、そういう話ね。心配すんな、私はどっちも忘れねえから」
僕の太陽がからりと笑う。
そして、僕の前にドサリと書類の山が置かれた。
「んじゃ頑張ってもらうぞ、生徒会長サン。今から各部活に学園祭に向けた予算調整のための聞き回りだ」
「……あぁ〜……うん……めん……」
「一緒に行ってやっから、頑張れ」
「しょうがないなぁ……」
僕はインカーの細腕に引っ張り上げられて、ヨロヨロと立ち上がった。
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