第28話 2024/7/1

 復学の日。僕は朝の校門でいきなりやらかしてしまったらしい。

 待ち合わせした八時にインカーを見つけ、二人で校門の先生に挨拶をする。


「おはよーございます」

「おー、雷野! もう大丈夫なのか!」

「はい、ご心配お掛けしました」

「……雷野?」


 訝しげな表情になる先生と、しまったという顔をするインカーを交互に見る。


「……あー、センセ、こいつまだちょっと本調子じゃなくて」

「お、おう、そうか。無理すんなよ」


 インカーに長居は無用とばかり、ぐいっと引っ張られる。少し離れてからインカーが小声で教えてくれた。


「……スッスはあの先生にはタメ語」

「そうなの!?」


 先生にタメ語ってどうなんだ、生徒として……。


「……先生によって態度変えてるってこと?」

「まあ懐きやすい先生とか、取っつきにくい先生とかいろいろあんだろ」

「ええー、めんど……」

「あの先生には、『ざーっす! コタちゃん! 心配掛けてごめんねー!』が正解」

「……やってらんねぇ!!」


 もういい。記憶喪失はとっとと公表してしまおう。僕は心にそう決めた。


 靴箱の場所は教えてもらっているし、出席番号も知ってる。五番の箱から上履きを取り出し、そのデカさに一瞬頭がフリーズした。

 いや、そりゃそーだ、クリスの体だもん。


「クリスー! もう元気なったの!?」


 後ろから背中を遠慮なくどつかれる。


「……上條」


 今度は予習が活きた。クラスメイトの名前は把握済だ。出席番号四番、雷野の一個前。忘れるわけにはいかない。だが、上條はギョッとした顔になった。


「……なん、何、どシリアスじゃん」

「……えっと……」

「もしかして俺のこと忘れた……?」

「……あー」


 僕は大きく諦めの溜息をついた。ぱん、と両手を合わせる。


「ごめん! 雷野クリスは、記憶喪失になりました」


 靴箱に集っていた生徒達から大声が上がったのは言うまでもない。



 その日は散々だった。授業は毎回上條の「せんせー、クリスが記憶喪失になってるそうです!」から始まり、先生達は驚きながら僕に質疑を集中させた。ふざけんな、答えられるに決まってるだろ。僕が全部正答してやると、クラスはすごい! とどよめいたし、先生は自分が教えたわけでもないのに満足そうだった。そうして授業自体はさっぱり進まなかった。生徒達にとってはサボれるまたとない余興の時間だったんだろう、誰も僕の質疑タイムをとることの不毛さを指摘しなかった。

 休憩時間には当然、俺/私の名前覚えてる? が殺到した。


「名前は覚えたよ。失礼があるといけないから。でもごめん、エピソード記憶は何もない。だから何貸した借りたとかは覚えてないよ、先に言っとく」

「俺に一万円借りたのは!?」

「僕が金に困るわけないだろ。嘘つくな」

「僕って言った!!?」


 平気で吹っ掛けようとしてきた三谷は、否定されたことより僕の一人称に気を取られたらしい。すっかり忘れて僕の周りで仲間達と騒いでいる。


「えー、じゃあ私のことも名前以外覚えてないの!?」

「あっと、高野さん」

「そうだけどー、私クリス君の彼女第二号だったんだよー!」


 言われて僕は眉をひそめた。んな話一度もクリスから聞いてねえけど?

 僕の機嫌が悪くなったのが伝わったのか、周りが少し静かになる。


「……ごめん、今は興味ない。友達からやり直してくれる?」

「え、えぇ〜……仕方ないなぁ、良いよぉ、それで……」


 高野さんは微妙な笑顔のまま女子グループの方に戻っていった。バーカ、フられてんじゃん、変な嘘つくからー! なんて言われている。どうやら今のも騙りだったらしい。クリス、もしかしてだいぶナメられてないか?


「すげぇ、高野が引いたぞ……」

「俺ライノのこと見直したわ……」


 男子達が畏怖の目で僕を見てくる。僕はフン、と小さく鼻を鳴らした。


「でも、したら、犬飼さんのことも忘れてたり?」

「インカー? 当然覚えてるよ、彼女だもん。昨日もうちに来てた」

「おいおいおいおい、聞き捨てならねえぞ」

「家に? 自宅に? マドンナを上げたと申すか?」

「俺らの夢壊すんじゃねえよ!!」

「クリス君が勝手に大人の階段のぼってしまうなんて!」


 なぜか一気に批判が噴出する。わけが分からない。


「……僕とインカーはお前らの何なんだよ」

「正しき青少年の交際というものを教わっていました」

「希望でござった」

「儚い夢でした……」

「ラウワンの回し者だと思ってました」

「僕、童貞だと思われてたの?」

「いやそれは無かろう」

「クリスはチャラかったしなー」

「あの金髪の女の子とヤッてんだろどうせ、とは思ってました」

「でも犬飼さんとはラウワンデートしかしてなかったから……」


 ははん、と僕は半笑いを浮かべた。つまりこいつら、全員インカーのファンってわけね。


「悪いね。僕のだ」

「あああああ! こんにゃろー!!」

「生徒会再選! 風紀の乱れじゃ!」

「教えはどうなってんだ教えは!!」

「二股なんて酷い! 僕も抱いて!」


 もうめちゃくちゃだ。襲いかかってくる野郎共をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。一段落ついた頃には、


「……なんかクリス、荒れたな……」


 そういう認識が周りに広まっていた。

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