第36話 2024/9 中旬

「……って思ってんじゃねーかと思って」


 二人きりになった生徒会室でインカーに真っすぐそう切り出され、僕は深々と溜息をついた。

 ホントこいつ、独りにさせてくれない。


「……別に。ここんとこ勉強頑張ってて放置してただけだよ」

「そっか。偉いな。

 ……でもそれだけじゃねーだろ」


 そこで、話を終わりにしてくれれば良いのに。なまじ観察眼のある世話焼きが一番厄介なんだ。クリスはぶっちゃけ誤魔化しやすかった。僕の嘘をそのまま受け入れて、甘やかしてくれたんだけどな。


「……そうだったとして、インカーが気にすることじゃないよ。お前は僕が傷付けていい人間じゃない。分かってたはずなのに、僕が調子に乗った。今後はお前に迷惑が掛からないよう気を付ける。そんだけ」

「リノ。私はお前を応援してんだぞ」

「クリスを取り戻したいからでしょ」

「それはっ、……そう、だけど……」

「それなら、僕の言いなりになるのは違うだろ。お前は……僕の犠牲になる必要なんて、ない」


 インカーは眉をひそめて押し黙った。諦めず、言葉を探しているようだった。

 もうやめてほしい。

 僕のことを救おうとしないでほしい。

 クリスのついでに救えると思わないでほしい。

 僕は、クリスじゃないんだ。


「リノの言うことは正しいよ。お前も頭では分かってる。でも、つらいんだろ。耐えられないんだろ。だから、一度は死のうとしたんだろ」

「……次は、耐えるよ」

「だーかーらー。独りになろうとするなって。私もクリスのことが好きなんだから、手伝わせろ」


 そう来たか、と思った。僕のためって言うと僕が嫌がるのを察したんだろう。クリスが好きだから僕を諦めないと言うのなら、それはまるきりインカーのエゴだ。そこに僕の遠慮なんか、挟んでやる義理はない。


「……我儘かよ」

「おうさ。今更気付いたか」


 ちら、と時計を見遣る。ここで押し倒してやろうかと思ったけど、一通り生徒会の仕事をした後では、さすがに時間が無かった。


「インカー、三連休どっか時間取れる?」

「えっ? うん、予定は特にないぞ」

「じゃあ、どっかまるっと一日ちょうだい。甘えさせて」

「い、一日!? 急に気が変わったな!? それなら、土曜日かな……二日後ろに休み取れるし……」


 インカーの顔が真っ赤になる。僕の誘いの意味が伝わったらしい。

 ああ、こんなにのめり込んで、良いんだろうか。

 心の弱い僕のことだ。このままではすぐにインカーに依存し始めるだろう。いや、もう間に合わないかもしれない。

 顎をすくい上げて、唇を重ねる。歯列の隙間は閉じることなく、するりと僕の舌を受け入れた。

 許せない。お前がこんな、こんな最低の僕にクリスを見出しているなんて。


「……インカー、僕のこと、好き?」

「ああ、好きになった」

「クリスとどっちが好き?」

「スッスだ」

「じゃあ、僕のこと好きって言うのは、嘘じゃん」

「嘘じゃない。クリスを抜きにしてリノのことを好きになることは……多分……ない。でも、お前は今現にクリスの中にいるんだ。そこは何があっても否定しようがない。今はお前がクリスなんだよ」


 それは、僕が本心で求めていた答えじゃなくて。

 でも、手に入れていい中では最上の答えだった。


「僕はお前が好きだよ。クリスよりも」

「んなあからさまな嘘いらねえよ」

「嘘じゃない。クリスと一緒に生きてきて、ずっと苦しかった。でも今は満たされてる。インカーには、本当の僕を見せられるから」

「……本当のお前なんて、まだ見せてもらってないけどな」

「……だから。土曜日、見せるから」

「……分かった」




 連休の初日。クリスのベッドで、僕はインカーの首を絞めた。


 クリスの握力は強くて、インカーの首は細いから、今まで怖くて出来なかった。腕を少し強めに握っては、跡の付き方で確認を重ねてきた。いつか絞めたいと思ってはいた。でも、それは最後の一線な気がしていたんだ。

 それを、僕は踏み越えた。

 インカーの生死を握った。

 僕が、リノが手に入れた。

 もう、何をどう言い繕ったって、お前は僕のものだ。

 体の隅々まで僕だけに反応するようにしてやる。

 何をされても嫌と言えないようにしてやる。

 馬鹿な男に相応しい馬鹿な女に堕ちろ。


 そして、僕を恨んで。

 いつか死ねば良いと願ってくれ。

 僕の甘えたい欲望は、結局そこに行き着くんだ。




 土曜日に散々痛めつけたからか、日曜月曜はインカーから何も音沙汰が無かった。

 日付が変わった、月曜の深夜。いや、だから火曜か。

 僕は翌朝には顔を突き合わすことになるインカーに、謝罪のLINEを送った。


『ごめん、さすがにやり過ぎた』


 深夜だし、まあ朝まで読まれないだろうと思っていたら、すぐに既読がついた。


『土曜日のことか?』

『そう。てか、寝ろよ』

『お前が言うなよ!』

『僕のこれは寝言だから』

『寝言で謝るんじゃねえ、謝るなら正気で謝れ』

『それはそう。撤回する。マジのごめん』

『驚きの軽さ』


 心配して謝ったのに、茶化されて僕は身勝手にもムッとした。何と返事をしてやろうかな、と思ったら、インカーから通話が飛んできた。


「……軽くねえし。本気だよ」

『こんな時間に送ってくるんだもん、本気だとは分かってたよ。眠れなかったのか?』

「……このまま明日おはよーって言える気がしなくて」

『リノはホント繊細だなァ……』


 電話口でふふ、と微笑の漏れる音がした。


「首絞められて平気で付き合える奴が図太すぎるだけだと思う」

『謝りたかったんじゃねえのかよ』

「謝ったからもういい」

『すげー、末っ子って感じ……』

「インカーもだろ!」


 僕がツッコむと、インカーはからからと笑った。


『あ、リノ、外見ろ。月が綺麗だぞ、満月かな』


 急に風流な話をするなぁ、と思いつつ、僕は南側のカーテンを開ける。うつくしい白い月が影一つなく浮かんでいた。


「ん……どうかな、確かにほぼまんまるだね。ってことは十五夜?」

『……あ、違うみたい。十五夜は十七日だって』

「今日の夜か。てことは、この月はまだ十四夜目、小望月だね」

『子持ち?』

「こ、小さい、もちづき。望月の一日前の月」

『へぇー、リノはやっぱり何でも知ってるなぁ』

「何でもは知らないよ、知ってることだけ」

『あー、クリスの中に入って分かんなくなったこともあるって言ってたな、そういや』


 クリスとの間では鉄板のネタをスルーされた。さすがに古過ぎたか、非オタに振るネタとしてはマイナー過ぎたか。


「今のは……ううん、まあいいや」

『満月じゃなくて、ちょっと足りない月か。なんか、今のお前みたいだな』

「……どういう意味?」


 僕の声のトーンが意図せず低くなる。インカーはしばらく黙っていた。小望月という呼び名には、足りてない、満ちてない、完璧じゃない。そんな焦燥と、いつか満たされるという希望がある。僕が小望月だということは、前者の意味なのだろうか。


『んー、あっとごめん、深い意味は無くて。完璧で美人な金色のリノじゃないっていうのが、さ。でも、ちゃんと月で、輝いてて、こんなに綺麗だ』

「……何それ。月はいつでもちゃんと月だよ」

『それはそうだけどな!

 ……私は今のお前、悪くないと思う。クリスでもリノでもない、でも今そこに生きてる、一人の人間として』

「……ん」


 何を突然口説き始めたんだお前は、と呆れそうになる。

 でも、そうか。

 お前は誕生日の時もそんなこと言ってたな。

 自分の命が危険に晒されても同じこと言うのか。

 どれだけ僕のことを肯定しようって意思が強いんだ。


「インカーは……これからもあんなことされて、いいの」

『別に嬉しくはない。でも、お前がしたいなら、していいよ』

「したい。……でも、嫌になったり、つらくなったりしたら、いつでも言ってね。大好きだよ、インカー」

『……お前、って……。ホントに……』


 電話の向こうでインカーの様子が少しおかしくなった。息が震えている。泣いているんだろうか。なんでこのタイミングで泣くんだ。


「……ごめん、身勝手過ぎたかな。泣かないで」

『……ッ違う、……リノ……』

「……なぁに?」

『リノ……』


 インカーは、しばらく泣きながら僕の名前を呼び続けていた。

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