第25話 2024/6/24 午後2時

 激痛で、目が覚めた。

 痛いということは、生きているということだ。


 失敗したのか、僕は。


 右手を動かしてみる。

 僕の手じゃないみたいに腫れていた。

 ……いや、腫れてるんじゃないな、これ。

 何だ?

 この爪の形。まるでクリスの手みたいな……。


 頭が割れるように痛い。

 病院、かな、ここは。

 とりあえず、この痛いのを何とかしてくれ……。


 僕はナースコールを顔の周りに探して、押した。



 どうもおかしい。

 医者らしき男に名前と生年月日を聞かれたので答えたら、妙な顔をされた。

 それにこの声。しゃがれているのかと思ったんだけど、どうにも低い。

 首を触ってみた。あれだけ深く傷つけたはずなのに、何も跡がない。

 時計。二〇二四年、六月二十四日、午後二時。

 一ヶ月も眠っていたのか。

 いや、一ヶ月しか経っていないのか。

 なら、この変化は、どういうことだ?



 僕の年の離れた兄が病室に入ってきた。

 クリスの父親でもある。

 クリスのお母さんも来た。

 ……察したくない。


「クリス、起きたんだな」


 ……認めたくない。


「クリス、大丈夫? 何があったの……」


 ……受け入れたくない。


「……違うよ。僕は、リノだ」

「お前、何を言って……」

「僕の名前は、雷野リノ。クリスが知らない秘密をひとつ言うよ。僕は、リノは留学先でArre'NというバンドのMVに出てる。父様……カミナに確認してくれれば分かるはずだ」

「クリス……いや、リノ、なのか……?」

「そうだって、言ってるでしょ……何だよ、何なんだよ、どういう状況だよ、これ……!」


 注射された痛み止めに、鎮静剤も入っていたのかもしれない。

 泣き喚きたい気分だけど、そんな元気は出なかった。


「……僕の体は……リノは、起きたの?」

「いや……」


 兄のイナホが……クリスの父さんが渋面を浮かべた。


「多分そっちにクリスが入ってんじゃないかな。入れ替わったんだと思う……一緒に歩道橋から落ちたから……」

「……」

「……死んだの?」

「死んでは、ない。植物状態……ということだ」

「……そう……」


 植物状態って、意識不明とどう違うんだっけ。

 あれ? 昔調べた気がするのに、覚えてない。

 クリスの脳みそだから?

 でもそれなら、Arre'Nのことも知らないはずでは?

 よく、分からない。

 頭が思うように回らない。

 それに、なんだかすごく、シングルコアな感じ。

 気が散るっていう言葉を、生まれて初めて実感してる。

 ああ、もっと考えたいことがいっぱいあるのに……

 檻の中に入れられた、ような。

 枷で繋がれた、ような。

 ここは不自由だ。

 これが僕の罰、なのか。

 クリスを巻き込んだ、僕の罰。


 ひどいことするなぁ……。

 この体じゃ、死ねないじゃん。

 クリスにちゃんと返すまで。

 僕が僕に戻るまで、死ねないじゃないか。


「……インカーに言わなきゃ。クリスのスマホ、取って」


 ロックパターンは僕とクリスで同じ形にしてあったから、簡単に起動できた。

 LINEを開こうとして、躊躇う。

 これ、開けていいのか。

 クリスとインカーのやり取りを、僕が許可もなく覗き見ていいのか。


「……いや、良くないな。兄様、インカーの連絡先知ってる?」

「ああ、さっきから連絡してる。お前の意識が戻ったって……」

「そう、なら、会いたがってるって伝えて」

「……良いのか」

「彼氏が彼女に会いたいのって当たり前じゃない?」

「お前は……。……分かった。ちょっと母さんが限界みたいだから、一旦外にいることにするよ。お前はインカーちゃんになんて説明するか考えとけよ」

「……ごめんね」


 僕がそう言うと、クリスの母さんは耐えきれなくなったように嗚咽を漏らしはじめた。兄はその肩を抱いて、病室を後にした。


 僕だって泣きたい。

 クリスを喪った悲しみは、僕だって同じだ。

 でも、僕は加害者だ。

 こんなことになるなんて、と悲劇面する厚顔さは、少なくとも今の僕には無かった。


 クリス。帰ってきてよ。

 僕はお前の人生を奪うつもりなんてさらさら無かったんだ。

 なんで僕を庇ったんだよ。

 僕がどれほど死んだ方がいい人間か、知りもしないクセに。



 リノの体の意識を取り戻させないと、クリスは多分、戻ってこない。

 もしかしたら入れ替わりはこのままずっと、戻らないかもしれない。

 なら、僕がこの体でできることは……

 医者になって、あいつを治すこと。

 インカーに謝って、ちゃんと別れること。

 いや、勝手に別れたらクリスが可哀想か。

 でも、説明はしないと。クリスのフリをして生きるなんて……インカーの前では絶対に誤魔化しきれない。



 僕はお前にはなれないんだよ。

 なんで体だけ寄越したんだよ。

 僕の大切な人を返してくれよ。

 得るはずだった充足を返して。

 僕は死ななきゃいけないのに。

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